第75話 才とは、手札をいくつ揃えられるか
床にへたり込んだおじさんは言葉を止めてしまった。
動きもなく、それはまるで――――
「象の像みたいになってるね」
不意に、看板が文字を浮かべ、店内の空気が一瞬だけ凍りついた。
俺と一つ目バンダナの女性は、看板へひそめた眉をぶつける。
看板はその眉へ……。
「あ、今のは『象』と『像』と掛けた駄洒落なんだよ。難しかったかなぁ?」
「そんなことはわかってるよ! お前の空気の読めなさに、俺もそちらの女性も眉をひそめたの!」
「はぁ~、夢破れたおじさんの愚痴を聞いても仕方ないでしょ。そんなの掃いて捨てるほどあるわけだし。むしろ、君は利用されていたことに怒るところだよ」
「お前って、相変わらず淡白と言うか……ごめんね、おじさん」
「……はは、ははは」
「おじさん?」
「いや、そいつの言うとおりだ。未練を坊主に押しつけて、愚痴までぶつけるたぁな。下らねぇ男になっちまったもんだ」
おじさんは胡坐をかいた自分の太ももをパンと叩き、よっこいしょといった感じで立ち上がった。
「さて、おっさんの愚痴を若造に聞かせても仕方がねぇ。と言ってなんだが、最後に一つだけいいか? 包丁は?」
「あ、それなんだけど……命の恩人がいて、その子が欲しいって言ってたからお礼に挙げたんだ。ごめん」
「ほ~、そうか。そいつは料理人か?」
「ううん。でも、料理は好きっぽい」
「なら、包丁も喜んでるだろうよ。神なんか斬らずに、美味しい食材を切れることを……」
おじさんは遠い目をして、小さく微笑んだ。
だけどそこから、ゆるんだ口元を引き締め、重い口調を見せる。
「……お前さんらは、何用でこの街に戻ってきたんだ?」
「それは――」
事情を話す。
管理者を殴るために、自分の次元へ引きずり下ろそうとしていること。
そのために、最低でも善行ポイントが五千万必要であること。
その目標まで、およそ百万足らないこと。
だけど、神が俺たちに興味を失って、善行ポイントを集めることができなくなったこと。
話を聞いたおじさんは、両腕を組み、そこに鼻を絡める。
腕と鼻が絡み合って、なんだか知恵の輪みたいになってる。
「う~ん、百万なぁ。もしかして、ギャンブルで増やそうと思って戻ってきたのか?」
「いや、そういうわけじゃ――」
「リョウはそう考えたけど、勝率と、失うもののバランスが合わないからビビってやめた」
「うるさい、看板」
「がはは、そいつは賢明だ。ギャンブルに100%はない。99%勝つとなっても、残りの1%が夢を食らいつくすもんだからな」
そう言って、おじさんは瞳を細め、薄く笑った。その笑いに背筋が凍る。
瞳に宿っているのは、覗き見ることすら忌避感を覚える闇……この人はどれだけの人間を、どん底へ叩き落していったのだろうか。
ギャンブルを知り尽くした男の1%の敗北に込められた言葉は、重い……。
おじさんは悩む素振りを見せつつ、言葉を漏らす。
「まぁ、協力してやってもいいが、お前さんはすでにいかさまで稼いでるからなぁ。二度目となっちゃあ、さすがに見逃すわけにはなぁ」
「――あ! そっか、おじさんオーナーだったんだもんね。俺のやったことを知ってるんだもんなぁ」
「あれは坊主に近づき、包丁を押しつける口実だったしな。勝っても負けてもどうでもよかったってのがあるが……他の客の手前、八百長を組むわけには……」
「ですよねぇ……」
俺は肩を落とす。おじさんは俺を見下ろしながら、鼻先で顎を撫でる。
「ま、足りない分を稼ぐってのは、労働やギャンブル以外にもあるけどな」
「本当、おじさん!?」
「ああ、欲しいものを得るってのは、いくらでも方法があるもんさ。坊主、頭を回してみな」
淀んだおじさんの瞳が俺を見つめる。
一つ目バンダナの女性は、こちらに一切の反応を見せない。
看板も表示面に、お口にチャックの絵を描いている。
つまり、これはおじさんからのちょっとしたお題ってわけだ。
そのお題に、俺は即答した。
「盗む」
「ぷふ! がはははは、正解だ! なんて奴だ! 悩む素振りもなく答えるとはなぁ。お前もなかなかの悪党だ」
「その誉め言葉はうれしくないなぁ」
「悪い悪い、だが、この町じゃ最高の賛辞なんだぜ……で、他にはねぇのか」
「それは……」
一度、受付へ視線を飛ばしてから、俺は答えを返した。
「借金をする」
「それも正解だ。いいか坊主、得るためにどれだけの手段を思いつくか、ってところが大切なんだ。合法非合法関係なくな。そして、得るために何を捨てられるか……」
「捨てる……」
捨てるものの中身、それは……人間性? 善意? 正義? そして、信念。
目的達成のために全てを犠牲に捧げる。
(その程度の覚悟は必要だけど、でもなぁ)
俺自身が傷つくだけなら、その覚悟を示せる。だけど、他者から奪い犠牲を強いるのは性に合わない。
俺は口元をもごもごと波打たせる。
その様子におじさんは笑い声と共に、軽やかに鼻を動かした。
「ガハハ、こいつはぁ、悪党の哲学だからな。お前さんにアドバイスするなら、こう言い換えるか。リスクバランス……そのバランスをどう考える?」
「そうだなぁ、盗むも借金も不可能。盗む場所はこの悪徳の町しかない。だけど、おじさんはそれに対処できる。他のオーナーにも知らせる。これでは動けないし、そもそもあんまりやりたくない」
「借金は?」
「以前、俺の善を借金のカタにして、手に入れたポイントは1000ポイント。全然足らない」
「今の坊主は有名人。その善に箔がついてるぜ」
「百万借りれるくらいに?」
「それは無理だな。せいぜい十万ってところだ」
「……今のところ詰みか」
俺は軽く頭を押さえる。そして、おじさんがくれたアドバイスを反芻する。
(得るために手段をどれだけ思いつくのか? 仮に発想を盗むに集約した場合、その盗み方次第で得られる? 借金も借金の仕方で得られる……のかな? いや、まずは他の方法を思いつくべきだ)
・資産・権利の売却=そんなものない。
・詐欺・搾取=盗み以上に抵抗があるので却下。
・給付金=あるわけない。
・情報=データのマネタイズ
商材のノウハウ(持ってない)
インサイダー情報の利用(非合法)
企業の機密や個人情報の売買(非合法)
「う~ん、いくつか考えたけど、全体的にアイデアが非合法に偏っているような……」
「がはは、短期間で大きく得ようと考えるとそうなるもんさ。だがな、坊主――正攻法で合法で、大金を得られる方法が一つある……」
「それは本当?」
俺は弾けるように体を前に押し出した。おじさんは不敵な笑みを見せる。
「俺は悪党だ。悪党は神が嫌いでな。こんな地獄を生み出した神が憎い」
受付に行き、テーブルの奥に長い鼻を突っ込む。
「だから、神の生み出した檻をぶち壊してやりてぇ」
その鼻でナニカを鷲掴みにし、俺の下へ戻ってきた。
「その檻を壊し、お前さんが大金を得る方法……」
そして、それを叩きつけた。
「そいつは――融資だ!」
叩きつけられた善行ポイントのコインが宙を舞う。
キラキラと舞う黄金の輝きの隙間に、おじさんの邪悪な笑みが見えた。
「俺はお前にBETするぜ! 管理者を殴った先にある未来。その未来で俺をここから救い出し、自由をくれ!!」




