第74話 夢と後悔と策謀の果てにある絶望
――象のおじさんがいるギャンブルのお店へ
トランプカードのネオンと、巨大なルーレットが風車のように回るオブジェがトレードマークのお店。
俺と看板が店内に入ると、大きな一つ目の刺繍が編まれたバンダナで目を覆い隠している女性と、皮膚が緑色で人の背丈の倍はある象のおじさんが立っていた。
おじさんが俺たちに気づくと高揚した声を上げながら、どしんどしんと足音を鳴らして向かってくる。
「お、有名人様のご帰還か?」
「有名人?」
「いま、お前らは宇宙中で噂になってるぜ。神にケンカを売ってるってな」
「いや、神様にケンカは売ってないけど。管理者相手になら売ってるけど」
「その管理者の扱いを巡って、神の奴らは意思を二分してるそうじゃねぇか。お前さんらが否定する側の女神を返り討ちにしてやったって聞いたぜ」
「女神……」
胸の奥がざわつく。
――いたい、いたい、痛みを知らない。知らないは恐ろしい……――
包丁をわき腹に刺された女神が恐怖に打ち震え、嘆きに包まれる。俺はそれを無視して立ち去った。
(あれは正しい判断。でも、もっと別の形で……)
「坊主、どうしたんだ? 神妙な顔をして?」
「――っ。いや、なんでもないさ」
「ん、そうか? それよりもだ……俺がくれてやった包丁が、女神に通じたって本当か?」
「え? ああ、あの包丁のおかげで助かったんだ。ありがとう、おじさん」
お礼の言葉を渡すと、おじさんはおっきくて長い鼻で自分の頭を掻いた。
「がっはっはっは、な~に、い~ってことよ。俺の方も……坊主を利用したんだしな」
「へ?」
短い疑問の声。その答えを目隠しの女性が、言葉として表す。
「オーナーは自身の持つ包丁が、高次元存在に通じるかどうかを確かめたかったのです」
「オーナー? オーナー!? え、おじさん、この店のオーナーなの!?」
「ああ、まぁな」
長い鼻を動かして、今度は顎をくいっと上げてる。
人間と違い、鼻を手のように操るのが象の人の習慣なんだろうか?
おじさんは鼻先と体を前のめりにして俺に尋ねてくる。
「その女神はよっぽど旨そうな姿をしてたんだな。神の中には、見た目がキノコやタコそのものといった、食材にしか見えない神もいるからな、がっはっはっは」
「……いや、思いっきり人間の姿と同じだった」
この一言に、おじさんと女性の体が固まった。
「……なんだと?」
「あなたは同種族を、食材と見做したのですか?」
「違う違う! それは誤解。いろんな状況が重なって、刺す瞬間に食べ物を考えちゃったの!!」
「神を刺す瞬間に食べ物を考えるって、まともじゃねぇな……」
「なるほど、神に戦いを挑む者は、常人の思考ではないですね」
「だから誤解だっての!」
このままだと、俺は変人扱いのまま話が進む。ここは無理やり話題を変えよう。
(え~っと……あ、そう言えばさっき、俺を利用とか言ってたな)
「ねぇ、おじさん。おじさんはどうして、神を傷つけることが可能な包丁を俺に譲ったの? さっきも利用って言ってたし」
「そいつぁ……」
鼻が萎れ、垂れていく。鼻の動きは感情表現を担ってるのか?
おじさんは軽く鼻を振って、薄く吐き出るような声を漏らす。
それは本当に薄くて、すぐに消えてしまいそうな声……。
「……未練さ」
「それは、何の未練なの?」
「俺は……料理人だった。料理を愛する象の一族の中でも、天才と誉め讃えられるほどだった。だがな……弟はそれ以上の才能を持っていやがったんだ」
「弟さんが?」
「ああ、俺はあいつに嫉妬した。憎しみすら覚えた。いや、その憎しみは……追いつけないと悟っちまった……自分自身にか……」
鼻先が震えている。
これは怒りでも悲しみでもない。後悔の震えだろうか?
「だから逃げ出した。逃げ出した先で、ヤクザな連中と知り合って、そこの調理番をやってるうちに悪いことに手を出しちまってな。気がつきゃ、この、神のいない世界悪徳の町へ、罪人として流れ着いてたってわけさ」
「そうだったんだ……」
おじさんは両手を腰に置いて、ゆっくりと鼻を振ると、僅かに潤んだ瞳で天井を見上げた。
「俺はここで成功した。でもな……未練が背中を刺すんだよ。心を抉るんだよ。料理人としての、自分の未来を自ら閉ざしたってのに。俺はオーナーになっても、料理を作り続けた」
腰に置いた手を離し、おじさんはその大きな手を悲しげな瞳でじっと見つめる。
「だが、不思議なもんでな……遠ざかった場所で、昔以上に腕を磨いちまった」
「おじさん……」
「だが、もうおせぇ。俺の両手は血に塗れてやがる。心には糞が染み込んでやがる。誰かを幸せにする料理なんて作れねぇ。でも……だがな! 俺の腕が、弟に劣るってのがいまだに認められねぇ!! そんな自分がずっといるんだよ!!」
空気を割く大声に、ギャンブルに狂う客たちは一斉におじさんへ瞳を集めた。
だが、すぐに瞳の色を鈍い黄金色に染めて、賭け事に踊る。
おじさんの潤んでいたはずの瞳は、いつの間にか乾いた瞳へと変わり、それをこちらへ向ける。
「だから、お前さんに包丁を預けた。罪人として、ここから出られねぇ俺には、包丁の力を知ることができねぇ。持ち手の才能を昇華して、食材ならば何でも切れる業物へと成長していく、包丁の力をな……」
「だから、神に出会える……いや、神からの依頼を受けている俺がいつか、神と衝突する可能性を夢見て、俺に包丁を預けた」
「がはは、そのとおりさ……馬鹿げた夢。それが訪れるかもわからねぇ。でも、もしかしたら坊主が神と敵対するかも――こんなバカでかい図体をさらしてるってのに、そんな幼子のような夢を見たのさ」
自嘲を込めて、言葉を継ぐ。
「でもな、その夢は成った! 賭けに勝ったんだ! 俺の包丁は神を刺した! 神に通じたんだ!! ガハハハハハ!! 俺の才能は本物だった。本物だった! 本物だったってのに!!」
足を崩し、床にへたり込む。
黄金色の欲望に彩られた夢の中で、その場所だけ色が失われる。
「俺は、こんなとこにいる……」




