第64話 信じて、待つ
―――半球内(リョウと看板がいる部屋)
天井からミシャの声が下りてくる。
「準備は整いました。今から看板さんの心象風景を生み出します」
「おう、こっちはいつでもいいぞ!」
「その前に一つ、アドバイスを」
「なんだ?」
「生み出された世界は、心の思いが投影される世界。イメージが具現する世界。そのため、妙なことを考えないでくださいね。それが反映してしまうので」
「妙なこと?」
「火だるまになった、ご自分の姿など……」
「考えるか! ってか、その一言のせいで逆にイメージしそうで怖いわ!!」
「オリジナルのリョウさんは近しい状況で、火だるまになったことがあります。ですので、念のための注意でしたが、余計なお世話だったようで」
「え、あいつそんな目に遭ってるの? なんでまた?」
「では、看板さんの心の世界を、投影します」
ミシャは俺の言葉を受け流して、作業を先に進めた。
あいつがどうしてそうなったのか、すっごい気になるんだけど……。
ミシャの言葉が閉じると同時に、肌全体に痺れのようなものが通り過ぎた。
すると真っ黒だった床には灰色の草が生い茂り、セピア色の空が広がる無音の世界が現れた。
――――――
灰色の世界……看板の茶の色は、世界の異物であるかのように佇んでいる。
俺は一歩、看板に近づく。
「看板――えっ!?」
手を伸ばし、側面に触れようとしたところで、世界が闇に閉ざされた。
草も風も音もない。
目を開いても閉じても、黒しか映らない……。
――半球の外
併設された部屋に勇者、魔王、メル。そして、戻ってきたミシャがいた。
彼らはそこに用意された、空中に浮かぶモニターからリョウたちの様子を見ていたが、突然闇に覆われ、何も見えなくなってしまった。
ミシャは自分の正面に無数の光の粒を浮かべて、新緑の虹彩が囲む黒の瞳を忙しなく動かす。
「看板さんの心の防御反応。それに加えて、管理者が予め用意していたセキュリティもまた起動を……」
これに勇者と魔王が問いかけてきた。
「看板の心に近づく者を排除するため、というわけかな?」
「いや、排除というよりも、近づけさせないため、と見えるな」
「その通りです。看板さんの中枢にアクセスさせないためのもの。ですが、この状況――」
メルが続きの言葉を奪う。
「何もない闇の空間。視界情報、上下感覚、時間の喪失。リョウさんは長い時間耐えられないでしょう」
「その通りです。対処を試みていますが……無理に解除を行うと看板さんの心を破壊してしまいます。しかし、それを回避して行おうとすると、数日はかかりますね。緊急停止もまた、新たな危険が――」
――聞……いるか、ミ……ャ――
暗闇のモニターから、掠れたリョウの声が届く。
メルはミシャへ視線を送るが、彼女は首を横に振った。
管理者のセキュリティが邪魔をして、音はまともに拾えず、さらにこちらからの声は闇に飲み込まれ、届かないようだ。
――聞こえ……前提で……はな……すぞ。何も……な、俺に任せ……くれ――
声は途切れ、完全に沈黙。
勇者はこれにすぐさま声を出して、魔王とメルも続く。
「ミシャ、本当に彼に任せっきりで大丈夫なのかい? 止めるべきでは?」
「いや、勇者。これはリョウの意思だ。我々の勝手な判断で、止めるべきではないだろう」
「ですが、ただ放置というわけにはいきません。ミシャさん」
「はい、モニタリングは続けます。看板さんの機械的な部分を補正。心の部分は、精神系紋章術を用いてアクセスし、負担をかけずに精神安定に努めます」
ミシャがちらりと視線を向けた先、光の粒が集まり描く波形は激しく乱れていた。
それを見つめる彼女の微かな眉のひそめ方が、看板の心の状態を如実に物語っている。
ミシャは小さく首を横に振り、言葉を続けた。
「完全なる闇の除去は難しいですが、お二人の姿の外枠だけならば……」
光の粒を見つめるミシャが、数度瞬きを行う。
すると、モニターに看板と人型の線が浮かび上がった。
その様子を見て、魔王の瞳に困惑の色が浮かぶ。
「リョウ……なぜ、看板の後ろに座っているだけなのだ?」
リョウは闇の中、座り、看板がいるであろう先を、じっと見つめているだけ……。
その意味を、勇者が察する。
「彼は……待っているんだろう」
「待つ?」
「心を閉ざした看板に語りかければ、それだけで彼の負担になるとリョウは考えた。だから、看板が自分の存在に気づいてくれるまで待つ――その選択肢を取ったんだよ、魔王」
「馬鹿な! そのようなことを行えばリョウの心が持たない! それは危険な選択だ!」
「たしかに、そうかも。だけど、そんな『信じて待つ』という曖昧で危険な行為が、時に正解ってこともあるものさ」
「勇者……?」
「勇者をやってるとさ、信じて待つしかないってことは山ほどあるんだよ。いや、別に勇者じゃなくても、魔王、お前にだって、そんな選択肢を選ぶ場面はあるだろう?」
「……ああ」
「それが正解かどうかなんてわからない。だけど、リョウが選んだ選択だ。私たちは、静かに待とう」
勇者はそう言って、ちらりとメルを見る。
メルはそれを無言の相槌と共に受け取り、ミシャへ囁く。
「本当に危険となれば、その時はお願いします……」
「ええ、緊急停止を行います。その際、看板さんの心が無事であるかどうかの保証はできませんが……」




