第6話 神の介入不可・人なれば良し
『ここは、闇の中に揺蕩う影たちが汚染する世界』(by.看板)
「ひっ!」
俺は人の形をした影たちを前に、小さな悲鳴を上げた。
慌てて口を両手で押さえ、彼らに音が届かないように努める。
しかし、彼らは俺のことをまるで存在しないかのように振る舞い、まったく興味を示してこない。
彼らの多くは、ざりざりと砂を踏みつけるような音を立てながら、足腰が弱った老人が歩くように、のろのろと動いている。
中には、マネキンのように固まった人も。
目の前にいる女性の形をした影を見た。
真っ黒なので服を纏っているのかどうかもわからない。
ただ、艶めかしい女性のラインだけがくっきりとわかる。
まじまじと見つめるのもどうかと思うので、頬に火照りを覚えつつも目を逸らす。
すると、看板が奇妙なことを書いてきた。
「ふ~ん、女性を見て照れてるんだ?」
「ん? 今のどういうこと? 俺がエロいってこと?」
「さぁ?」
この看板、たまに意味深な態度を取るが、それが何を意味するのかさっぱりわからない。
尋ねても「ひ・み・つ」とかで誤魔化すし……信用はならない存在。そういう認識で接しないと。
看板に警戒しつつも、それを表に出さずに、この影たちについて尋ねてみる。
「この人たち何なの? 俺のことを無視してるけど?」
「彼らは光の下で人になるはずだった。でも、光がないから、闇に溶け込み、人の意識だけを模倣した異物となったんだ」
「それじゃ意味がわからん」
「そうだねぇ……残滓。残りかす。存在しているようで、存在しない存在かな」
「ますますわからん。それで、俺のことを無視する理由は?」
看板に猫の目と口が生まれた…………なんでこいつ、猫を描写するんだろうか?
謎が多すぎてどこから手を付けたらいいかわからない。
とにかく、目の前の疑問から一つ一つ解決してくほかなさそうだ。
看板は、彼らが無視してくる理由を伝えてきた。
「認知領域が違うから」
「もっと詳しく説明しろ。噛み砕いてな」
「もう~、わがままだなぁ。君と彼らでは時間軸も空間認識領域も全く別物なの。一言でいえば、次元が違う。彼らからすると、君は精霊のような存在。見ることも触れることもかなわない存在なんだよ」
「俺が精霊ねぇ。でもさ、さっき俺は……なんか、柔らかいものを……」
闇の中で触れた柔らかさを思い出し、それを誤魔化すように両手をこすって、もごもごと言葉を漏らす。
「その、触ったけど……」
「それは彼らに触れることが可能な高次元領域に、君がいるだけだよ。絵は君に触れられないけど、君は絵に触れられるのとおんなじ。ま、僕から見れば、どっちも低次元存在だけどね」
「また、一言多いし。とにかく、影たちは俺のことわからないわけね」
「そゆこと」
「じゃ、周りを気にせず……なんだっけ、スイッチ? 光をつければいいわけ」
「そうそう」
俺は辺りを見回す。影たちが微妙に位置を変えている。
「光の下で人になるって言ってたけど、明かりをつけると人間になるの?」
「そだよ」
「そっか、そうなったらゆっくり話せるかもな。食料とか分けてもらえるとありがたいけど」
このあと、看板にスイッチの場所を尋ねてみたが、教えられないとさ。
仕方なく、当てどなく探し回ることにした。
――――
魔導の力という、科学とは違う奇妙な力を宿した暗視スコープを頼りに、闇を彷徨う。
歩き進めるたびに、影の人の数が増えてきた。なんとなく人が多い場所を目指してみる。
時折、彼らの肩などに触れるが、彼らはまったく気にしない。
俺と看板の会話も、聞こえていない様子。
会話……ふと気になり、目の前にいる影の男性の口元に耳を寄せてみる。
「さー、びす……ざん、ぎょう……」
耳を離して、俺は眉をひそめる。
「嫌なフレーズが出たなぁ。この人、仕事中なのか?」
「そうじゃないよ」
「どういうこと?」
「仕事をしている人の意識の残滓ってだけ」
「残滓かぁ。意識の残りかすで仕事のこと考えているって、よっぽどの仕事好きか、もしくは劣悪な環境で酷使されてたんだろうな」
そんな取り留めのない会話を行いながら歩き続けると、巨大な交差点のような場所に出た。
その周りには大勢の影たち。
中心には、扇状の鉄の塊っぽいのに、棒が突き刺さって、左に傾いている物体があった。
「スイッチって、これ?」
「いぐざくとり~」
「左にあるから、右に動かせばONになるのか? 結構歩いたけど、それだけの話で、ナスの収穫と比べれば楽勝だな。でも……」
俺は手に持っていた看板を真っ黒な地面に刺して、じっと見下ろした。
「これ、俺がやる必要なくない? ナスの時は宗教的理由みたいのがあったけど、こんなもん、この世界の神様とやらが、ガッチャンって動かせばいいだけでは?」
「世界創造のルール。創造した世界に高次元存在は介入してはならない、ってのがあるの」
「介入が駄目? ということは、創造に失敗したら諦めるしかないってこと?」
「そうなる。でも、放置するのはもったいないから、君のような低次元な存在に、手直しさせることにしたんだよ」
「低次元な存在に頼るしかないなんて、高次元存在が聞いて呆れる。んじゃま、スイッチを動かすか」
「あ、暗視スコープは取っておいた方がいいよ」
「そっか、明かりがついたら目をやられるもんな」
スコープを取ってから、両手で鉄っぽい棒を握る。
「――っ痛!」
「どうしたの?」
「なんか、端がささくれ立ってたみたいで、軽く指に刺さった。血が出てる。もう~」
看板の薄暗く光る文字に指を近づけると、血が小さな玉となって小指の先にたまっていた。
小指の先をちゅーちゅー吸う。
血はすぐに止まった。大した傷じゃなかったみたいだ。




