第54話 予測する神
宇宙――漆黒の向こうに、数え切れぬ恒星が瞬く。
知恵ある者は空を仰ぎ、光に焦がれる。
神にとっては、指先一つに満たぬ踏み出の近傍。
されど、知恵ある者にとっては遼遠にして層累を尽くすとも、届かざるやもしれぬ場所。
神アスカは絹糸のように艶やかな桃色の髪を揺らし、眼下にて緩やかな時を刻む天球の旋転を見つめ、無垢な少女の微笑を湛えている。
「さて、帰るかの」
「殺しちゃったんですか?」
「いやいや、殺しはせぬよ。一時的に零へ還元を――っと!?」
アスカは驚き、後ろを振り返った。
そこにいた者は当然――
「ミュール!? なんでおぬしがここにおるんじゃ?」
「アスカさんがどこに行ったのか気になって、お部屋を覗いたら、道を開いた痕跡があったので、それで……」
そう言って、ミュールは人差し指をピッと向ける。指の先には、青い靄が渦巻く空間が浮かぶ。
アスカは激しく片手を左右に振って、目を見開く。
「いやいや、あの靄は神専用の道で、人間が通れるモノではないぞ!」
「そうなんですか? アスカさんが通ったんだから私でも大丈夫だと思い、通ってみたら行けましたよ」
「思っただけで通れたら世話ないわい! っと言いたいが、おぬしは何でもありじゃからできそうじゃな……いや、待て。ここは宇宙じゃぞ? 酸素は? 重力は? 各種放射線は?」
「酸素は風の魔具で供給しています。私の靴は錬金術の道具ですので、人工重力場を形成して、どこであろうと立っていられます。放射線は光の魔法で制御できますから」
アスカは呆れて言葉が続かず、ただ頭を抱えた。
「なんちゅー娘じゃ」
一方ミュールは、辺りをきょろきょろと見回していた。
「生身で宇宙に来るのは初めてですけど、あまり難しいことじゃないようですね」
「謝れ! 全宇宙の宇宙飛行士に謝るのじゃ! あやつらがどれほどの努力を重ね、安らぎの場から飛び立とうとしておるのか!!」
「ん? 私も努力の結果ですよ。がんばったら、来れました」
「いや、頑張っただけで……もう、よいのじゃ。詮無い……」
ミュールに神の理・人の条理を解いても無駄だと思い、アスカは諦めた。
(まったく、とんでもない女の子じゃの。管理者の力に近い性質を持っておるとはいえ……まぁ、近いだけで、本質は管理者以上に異質ではあるのじゃが……他の者にバレぬよう、ワシが守ってやらんとな)
心から漏れ出た本当の想いを封じるように頭を押さえた。
その想いを知らずに、ミュールはアスカに疑問を投げかける。
「アスカさんは何を『企んでいる』のですか?」
「おや、それはどういう意味かの?」
「とぼけないでください。いつものアスカさんなら、この騒動。率先して首を突っ込むはずです。ですが今回は、傍観に徹しています。これは明らかに常軌を逸した行動ですよ」
「なんだかめちゃくちゃ辛辣な評価に思えるが、まあええじゃろ」
アスカは宇宙を撫でるように、手を嫋やかに揺らす。
「現在、ワシら神の意思は二分しておる。管理者を放置して新たな全知を獲得するか、脅威として排除するか」
「二分ですか? 無限に存在する神は同一個体……という、なんだかよくわからない存在のくせに、妙な話ですね」
「ちまちま言葉に棘を仕込むのはやめてくれんかのぅ~」
「棘ではなく、素直な感想ですよ」
「……今後はその素直を、オブラートで包んでほしいのじゃ。話を戻すが、二分と言っても、大した話ではない。人に例えるなら、朝食をパンにするかご飯にするかと悩んでいる程度じゃからな」
「ですが、神にとってのちっぽけな悩みは、私たち人にとっては脅威です」
「そうじゃな。神の小さな悩みは、時に人の世界を滅びへと追いやる」
ミュールは顎に手を置いて、アスカを覗き込むような視線を見せる。
「アスカさんは、その二分ではない立ち位置にいるわけですよね?」
「さすがはミュール、察しがよいのぅ。いかにも、翻弄される神と違い、ワシは明確に先を『予測』しておる」
「予測?」
ミュールは眉をひそめ、アスカはその寄った皺に不敵な笑みを返した。
「管理者の力の流入によって、神ですら先を見通せぬ展開となった。なにせ、管理者の力は認知外の力じゃからな。これは全知の枠から離れた力のため、仕方なきことよ」
「……そうなると、神には見通せない。ですが、アスカさんは予測した? だけど、それは……」
「その通り、あり得ない話じゃ。神が予測などできるわけがない。予測を行うのは、未熟なる存在であるため。つまり本来、神には備わっていない機能なのじゃ」
この言葉を受け取り、ミュールは大地のない宇宙に足音を響かせて、思考を深淵へと静めていく。
そして、五秒にも満たぬ時間で解を得た。
「……アスカさんは長年全知を封印して、人間の世界で過ごしている――まさか、獲得しているんですか!? 予測という力を? 全知全能であるアスカさんが!?」
「フフ~ン、不便さを補うために『学ぶ』というものを学び、情報を重ねることにより予測するという、なんとも回りくどい能力を得ておるよ」
「それは……あなた自身の存在否定になりませんか? 全知全能に対する反逆ですよ?」
「全知を封印する代わりに、人間の能力を使っているだけじゃからの。セーフじゃ」
「そうでしょうかねぇ? 今年開催の太陽神会議でまた吊るし上げられるんじゃ?」
「うぐ……いや、セーフじゃ! そもそも、今回の事象はその全知が危ぶまれる事象じゃしの。まぁ、そのことが起因し、先ほど零へと還した神のような存在が生まれてしまうんじゃがな」
「全知を保つために、管理者の先兵たるリョウさんの排除……ですか?」
「そういうことじゃ。一方、全知の枠を広げたいという神もおる。その綱引きで二分しておるわけじゃ」
「ですが、アスカさんはすでに予測している……それは、一体どのようなものなのですか?」
ミュールの問いに、アスカは口を押えて、わざとらしい含み笑いを見せた。
「クックック、ワシはこの物語の終着駅が、実に愉快になるものだと確信しておる。ゆえに、今回は傍観じゃ」
「アスカさんが愉快と感じるなら、きっとろくでもない結末なんでしょうね」
「ひっどい言い方するのぅ。言っておくが、あのお堅い『連邦』もまた同じ予測を立てて、ワシのように放置――いや、むしろ積極的に協力しておる」
「え?」
アスカは右手を広げ、光の粒子が編み上げた看板の姿を生み出す。
「この看板という存在。連邦の技術がふんだんに使われておる。つまり、連邦は早々と管理者と接触し、こちらの世界で動くためのお膳立てをしておったということじゃ」




