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世界が滅びたので看板を片手に旅に出ます  作者: 雪野湯
第十二章 宇宙→ミュールの世界→草原の世界

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第53話 零にして無限の存在

――その後


 包丁は消毒液に数日浸したのちに、熱消毒を行ってから使用することにしたそうだ。

 刃先に残っていた白い虫さんは羽が生えて、どこかへ飛んで行った。

 ポワソの森の住人になると言い残して。しゃべるんだな、虫って……。


 一方、アスカとヤマタノは、バケツになみなみと注がれた消毒液に浸かる包丁を見つめながら、

「ばい菌とか全部死んでおるじゃろうが……」

「精神衛生上よくないの~」


 と、小さな嘆きを漏らしている。


 二人は今後、あの包丁で作られた料理を出されていくのだろう……俺は二度と、ミュールからごちそうにならないようにしようと誓う。



 ともかく、騒動を終えたので、消毒液に浸かった包丁を残し、家に戻ることにした。

 俺は戻り際(ぎわ)に、女神が立っていた場所に、その姿を描く。

 瞳に宿るは、見るも無残な姿で、痛みに悶える女神の影……。


(俺のせい……になるんだよな)


 殺されかけて、とっさに刺した包丁。抜いてくれてと懇願する女神を放置して、世界を去った。

 その結果が、これだ。

(先に手を出したあいつが悪い! っていうのは簡単だけど、なんだろう?)



 罪悪感? 同情心? 

 そんなもの必要ない――そういった想いが蓋を押し上げて、様々な感情が入り交じり、心を淀ませる。

 するとヤマタノが、ポンと俺の尻を叩いた。


「優しすぎるの」

「え?」

「時に優しさは、心に毒を生むの」

「毒か……そうだな。そうかもな。でも……」



 俺は、はにかむような、困ったような奇妙な笑みを浮かべる。

「これは性分だわ。これからもずっと、俺は……このよくわからん感情と格闘していくことになりそうだ」


 この答えに、ヤマタノは小さな笑みを見せた。

「ふふ、おもしろいの」

「おもしろいか?」

「うん、とっても。そして気に入ったの。もし、リョウが女の子だったら、お〇してるところなの」

「へ? 今さらっと凄まじいこと言ったよね!?」


 話を聞いていたミュールが警告をしてくる。

「ヤマタノさんは女の子が大好きですからねぇ。すぐに襲おうとする。かくいう私も、何度寝室に忍び込まれたことか」

「そ、そうなんだ……」

「ですが、そのたびに返り討ちにしていますけどね」



 ジト目で睨むミュール。

 睨まれたヤマタノは自分のお尻を撫でる。

「でっかいお注射で何度も血を抜かれたの~。薬の材料にするっていっぱいいっぱい採られたの~」

「それは自業自得でしょう、ヤマタノさん。では、私は……はぁ……」



 ミュールは項垂(うなだ)れると、力なく言葉をつなげた。

「謝罪行脚に行ってきます。お騒がせしましたからね」

「俺も付き合おうか?」


「いえ、それには及びません。リョウさんはお客様ですし。それに、普通の人間のあなたが森を歩くと、食べようとしてくる人たちもいますから」

「そ、そっか。それは危険だな」

「ですので、同じおうちに住むアスカさんを……あれ、アスカさんは?」



 ミュールの動きに促される形で、俺も周りを見た。

 どこにもアスカの姿がない。


「ほんとだ、いない」

「謝罪行脚が嫌で逃げましたね」


 しかしそれは違うと、ヤマタノが言う。

「アスカちゃんは用事があるって言ってたの~」

「それは言い訳? それとも、ネトゲのイベントの時間ですか?」

「違うの~。真面目は話だと思うの~」

「……そうですか。ならば仕方ありませんね。私一人で行きますか。お二人は休むなりくつろぐなり自由にしていてください」


 ミュールは軽く頭を下げて、森の奥へと向かっていった。


 俺は視線を森から下へと向ける。

「じゃあ、戻ろっか、ヤマタノ」

「うん、戻るの~。戻って格ゲーで対戦するの~」

「あはは、望むところだ!」


 俺はヤマタノと手をつなぎミュールの家に向かう。

 心の隅に、看板のことを想って……。


(日が明ければ、草原へ戻る。看板……何を話せばいいかな? あはは、わかんねぇや)




――ポワソの森より遥か先の空、星々の座する場所



 そこは深淵の園。生命の息吹を拒む、静寂が支配する無限の天盤。



 己の姿を取り戻した女神は恥辱にまみれていた。


「人に痛みを与えられ、救われる? 認められない」


 高位存在である神が、人間に頭(こうべ)を垂れるなどあってはならない。それが世界のルール。

 だが、そのルールを覆されてしまった。


 ならばどうするか?


「…………消去。このような事実はなかった。そう、事実を消し去ればよい」


 女神は神としての力を、指先一点へ集める。

 その力は世界を、星を消し去るには十分すぎる力。



「消え失せろ――」


 集約された力が地上へ落ちようとしたまさにその時――少女の声が響いた。



「いい加減にせぬか!」


 女神はぴたりと体の動きを止めて、瞳だけを横へ動かした。

 そこにいたのは――桃色の長い髪と白いワンピースを纏った少女。


「貴様は……神か」

「いかにも。おぬしの同族じゃ。正気が戻り、しっかりワシを認識できるようになったようじゃな」

「正気――くっ!」


「人に救われたことに恥辱を覚えるか? しかしの、その恥辱という感情そのものが未熟である証拠じゃぞい」

「だまれ!」


 怒りという感情をむき出しにする神の姿へ少女は――アスカは首を横へ振った。

「悪いことは言わん、退(ひ)け。退(ひ)き、一度己を省みよ」

「省みろ、だと? 神である私に反省をしろと? 過ちを認め、見つめろというのか?」


「おぬしには必要なモノじゃ。じゃがな、その感情を恥じる必要はない。神の一面に過ぎぬゆえな」

「黙れ……」

「ワシらは、零にして無限の存在。おぬしという存在もまた零であり無限。零は一なる存在の柱となり、無限は皆となる」



「私は貴様であり、貴様もまた私である。だが――私に刻まれた恥辱は私だけのものだ!」


 この言葉に、アスカは思わず噴き出した

「かはっ!」

「何がおかしい!!」

「いや、おかしいのではない、感動したのじゃよ。新しき神は個性を覚えるようじゃな。零にして無限なる存在に個性とは……全知であれば、いま、ワシが得た感動はなかったであろうな。やはり、神生(じんせい)縛りプレイは良いのう」



「貴様は何を言って――」

「じゃがの、恥辱を忘れるために……奪うことはワシが許さん」


 アスカの黄金の瞳が、熱い輝きを放つ。

 その熱に当てられた女神は、神にあってはならぬ感情――恐怖を知る。


「あああ、まさか……あなたは太陽神ケツア――」

「今は休め、女神よ。おぬしの救い手は、間もなく現れる」


 アスカは親指で中指の爪先を押さえ、女神のおでこを跳ねた。

 そのちっぽけな一撃で、女神の存在は消失してしまった。

 彼女に内包されていた甘い香りも、恥辱も、そのすべてがプリズムのように分解されて、純粋な情報へと還元されてしまったのであった。



「零へ帰り、己を見よ。さすれば、救い手は現れる。ふふ、それはおぬしにとって、不本意な存在であろうがな」

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