第50話 ガチギレ
驚く俺をよそに、アスカとヤマタノは血染めミュールに対して、ごく自然に話しかける。
「待て待て、冤罪じゃ。ワシらは騒いでおらんぞ」
「ミュールちゃん、真っ赤っかなの~」
「血を素材に、お薬を作ってる最中でしたからね。叫び声にびっくりして零しちゃいましたが……それで、犯人がアスカさんではないなら、誰なんですか、騒いでいるのは?」
「おぬしは目の前の存在が見えとらんのか!」
「あら、何かいますね? アスカさんのお友達ですか?」
「違うわ! リョウの知り合いじゃ」
「そうなのですか、リョウさん?」
「え……知り合いと言えば知り合いだけど、あの人は……ほら、夕食のときに神を刺した話をしたじゃん」
「ああ~、この方がその時の……なるほど、このご様子では堕神してしまったようですね。ん、その原因は?」
ミュールが女神の腹部をじ~っと見つめる。
彼女はぐずぐずに崩れた腐肉を凝視しても、しかめ面すら見せない。
「……宇宙象印の包丁! リョウさん!」
「は、はい、なんすか!?」
「あれ、貰ってもいいですか!?」
「はい?」
「くれるというなら、あちらの方は、私が処理しますので」
「ええっと、何とかしてくれるなら、お好きに……」
ミュールの勢いに負けて、朧な返事をしてしまった。
彼女はこの返事に、飛び上がるような喜びを表す。
「ありがとうございます!! フフフ、思わぬところでよいものが戴けそうです。では……」
ミュールはパチンと指を跳ねる。
すると、血塗れのエプロンが真っ白に戻った。
さらに青いブラウスとエプロンの上に、ふわりと浮かぶ天女の羽衣のような薄地の布を纏う。
その出で立ちで、堕ちた女神の下へ向かっていく。
俺はアスカとヤマタノに声をかける。
「ミュールが一人で女神のところに行こうとしてるけど、いいのか?」
「うむ、危険じゃな」
「そうなの~、これは由々しき事態なの~」
「二人は神なんだろ、だったら――」
「ヤマタノ、サイレンの準備をしておけ」
「ラジャーなの!」
「サイレン?」
二人のよくわからないやり取りを見ている間に、ミュールはすでに女神へ話しかけていた。
「あの~、はじめまして、私は理を司る錬金術師ミュールと申します」
「じゃまだあああああ! ニンゲンふぜええがああ!!」
「ちょっとお願いですから騒がないでください。ご近所迷惑になりますから」
「殺す、殺す、殺してやるぞリョウうううううう!!」
「本当にお願いですから、声を落として! また、ご近所に謝罪行脚することになりますので」
ミュールと女神……この温度差の激しいやり取りの前に、俺は少しだけ張り詰めていた緊張がほどけ、アスカに質問をするくらいの余裕が生まれた。
「アスカ、謝罪行脚って、何?」
「……なんじゃろうな、ワシにはさっぱりじゃ?」
この声が聞こえていたようで、ミュールが声に怒気を乗せて答えてきた。
「アスカさんが深夜に配信をして騒ぐからじゃないですか! そのせいで熊のクレマさんからいつもお小言を受けて、そのたびに私は頭を下げ続けているんですよ!」
「ミュール、し~じゃ、し~。ほら、声が大きいぞい」
「ぐぬっ! はぁ~、ごほん!」
ミュールは一つ咳払いを行い、気を落ち着かせると、アスカから視線を切って女神へと向けた。
そして、とても穏やかな声をかける。
「あなたが痛みに苛まれているのは理解しました。私なら、その痛みを消すことができます」
「うがああああああああ! 返せええ! わたしをかえせえぇ、りょうおおおお!!」
「ちょ、お願いですから、落ち着いて。私ならその包丁の効果を――」
「じゃまだぁ、ニンゲン!!」
「え?」
女神は首をのけぞると、次には前へ突き出して、焔を纏った肉塊を吐き出した。
「ミュール!?」
俺は彼女へ声をぶつけた。
しかし、肉塊はミュールに当たる手前で、彼女を包んでいた羽衣が受け流した。
「もう、何をするんですか?」
「ニンゲンが……神の力をぉぉぉ! 認めない、認めない、ミトメナイィィィイィ! ガァアアア!」
女神は再び口から炎を吐き出した。
それは先ほどの肉塊ではなく、腐敗した血と肉が混じり合った熱線。
穢れた熱が、ミュールを切断するように薙ぎ払う。
「ちょっと、それは駄目です!」
再びミュールに当たる手前で、熱線は羽衣によって防がれたのだが、飛び散った血が周囲に拡散して、それがミュールの家に降りかかった。
ミュールの家は木……当然、炎の血が当たった場所は燃え上がる。
ミュールはその様子を見て、体を固めたかと思ったら、すぐに叫び声をあげた。
「あ……きゃああああああ! 私のおうちがぁあぁああ!」
取り乱す彼女を前にして、アスカとヤマタノは暢気に話し込んでいる。
「ほぅ、防衛錬金術で守られたミュールの家を燃やすとは、なかなかやるの」
「メラメラのキャンプファイアーなの~。ごきげんなの~」
「……キャンプファイアー、じゃないですよ……」
……森に、深く、沈んだ声が響いた。
その瞬間、俺は周囲の気温が下がったような肌寒さを感じた。
ミュールはぶつぶつと独り言ちる。
「騒ぐなと言っているのに……助けてあげると言ってるのに……燃やすの? 私のおうちを…………ふざけた真似をしてくれますね~」
ミュールがポーチに手を突っ込み、そこから――釘バットを取り出した!?
彼女、錬金術師だよね!? あれで何をするつもりなんだ!?
それを見たアスカとヤマタノが慌てふためき始める。
「やばいぞ! ガチギレじゃ! ヤマタノ、サイレンを!」
「ハイなの! う~う~なの!!」
ヤマタノはボリュームある毛玉のような髪の毛の中から、手回しで作動する警報器を取り出して、それを回し始めた。
静寂の森に、けたたましいサイレンの音が鳴り響く。
「みんな、避難なの~!! ミュールちゃんガチギレ症候群なの~!! 早く逃げないと、巻き込まれちゃって死んじゃうの~!!」
ヤマタノの声も、サイレンに負けず劣らず森に鳴り響く。
すると、森のあちらこちらから声が響いてきた。
森のゴブリンがふんどし一丁の姿で逃げ出す。
「ミュールがガチギレ! 誰だよ、あの子を怒らせたのは!!」
エルフが弓を担ぐのも忘れて走り出す。
「森がまた消失しちゃうじゃないの! もう七度目よ!!」
妖精が真っ赤な鱗粉をまき散らしながら舞う。
「逃げて逃げて、森の外まで逃げてぇえぇ!」
森に棲んでいた魔物も幽霊も、眠っていた死体すらも土から這い出して、森の外を目指して我先にと駆け出していく。
俺はこの騒動を前に、右往左往するばかり。
「なになになになに? 何が起こってんの!?」
「リョウよ、ワシの後ろへ」
「はい?」
「はようせい――死ぬぞ」
「は、はい」
よくわかんないけど、アスカのマジトーンに、ヤバさをがっつり感じて、俺は素直にアスカの後ろに隠れた。
俺はアスカとヤマタノの背中越しから、ミュールを見つめる。
ミュールはバットをクルリクルリと回して、静かな声を告げる。
「暴力は嫌いですけど、あなたのような話の通じない相手には、暴力が一番……効果的ですからね。さあ……始めましょうか……」




