第43話 確信、目標、そして白菜
確信した! あやふやだった形がはっきりとした!
拳を握りしめる!
爪が手のひらに食い込む感覚。
感情の猛りが笑みを生む。
歓喜が世界を満たしていく。
――俺はリョウ! 名前は与えられたものかもしれない! だけど、それを含めて、いまあるすべてが俺だけのものなんだ!!
爆発的な衝動が、体の奥底で眠っていた俺だけの『心』の鍵をこじ開ける。
俺は柚迩をまっすぐ見た。
彼女は深く頷くと、次には不敵な笑みを浮かべる。
「フフ、悩みが消し飛んだのなら、次ね」
「次?」
「そう、次。これからあなたがどうしたいのか?」
「これから……俺は……」
再び、草原に戻る? そして、そして……そして……。
「看板……」
「看板?」
「ああ、相棒に看板ってのが居て、まず、あいつと向き合わないと」
「なんだ妙な人がいるみたいだけど、それでいいんじゃない。向き合ったら、どうするの?」
「そうだな、そのあとは……」
俺は空を見た。
雲一つない空はどこまでも青く、境界などない。
でも、ずっとずっと向こうに……人の手の及ばぬ場所にヤツがいる。
「管理者に会う。会って……どうしたらいいかな? 問いかける? それとも、文句の一つでも言うか?」
「それは、あなたが本当にしたいことじゃないと思う」
「へ?」
「だって、そいつは舐め散らかした真似をしたんでしょ。だったら、文句だけじゃすまないよね」
「たしかにそれだけじゃ――あ、そうだ!」
――思い出した! 俺は看板に宣言していた!!
『数百万、数千万ポイント貯めてやる。そしてそのポイントで、管理人ってやつをぼこぼこにしてやるぜ!!』
と……。
俺はゆっくりと指を閉じて、拳を作る。
拳の内側に、偽りに対する怒り、苦しみの記憶が宿る。
「管理者をぶん殴る……俺の痛みを、ありったけの想いと一緒に、顔面に叩き込んでやる!」
覚悟という名の宣言を前に、柚迩が微笑む。
「ふふ、さすが私のお兄ちゃん! そう来るよね!」
「え、お兄ちゃん? 俺は兄と呼べる存在じゃ……」
「いいよいいよ、べつにお兄ちゃんで。一人いても二人いても変わんないし」
「いや~、変わると思うけどなぁ……」
「はいはい、細かいことは気にしない。というわけで、新たな家族誕生を祝して、当家に伝わるというか、パパがよく言う言葉を授けましょう」
柚迩は咳ばらいを一つ挟んでから、こう言葉を続けた。
「ムカつくやつを相手にするときは、言葉や権力や札束を使って勝っても、すっきりしません。唯一、心晴れやかになれる方法は――」
彼女は拳をぐっと握りしめる。
「全力で顔面をぶっ飛ばすことです!」
「ええ~……」
なんか、とんでもない教育が行われているような……。
「それは、だめでしょ……」
「わかってるよ、現実問題そんなことしたら、警察のご厄介になるだけだもんね。でも……」
柚迩は一度空を見上げ、俺に戻す。その瞳から光が失われ、淀んだ目が俺を覗き込んでくる。
「公権力が及ばない場所なら……フフ、すっきりするのは確かだよ」
俺は思った。
(こいつやべぇ! 一体、宇宙で何をしてきたんだ!?)
逆恨みされたとか言ってたけど、相当怪しいと思いました。
柚迩は左ジャブ、右ストレートを繰り返し、言葉を続ける。
「一発お見舞いしてあげなよ。痛みを知らない人に痛みを教えてあげるのも優しさだよ。こう、ボコってね!」
シュシュシュっと拳を振るう妹の姿に、俺は苦笑いを浮かべつつも、納得できる思いもあった。
(野蛮……だけど、真実かもな。そう、俺たち人間はまだ、そこに立ってるんだ。だからこそ、上の連中に思いを伝えるとしたら、言葉の羅列よりも……)
拳を作り、睨みつける。
(これしかない)
「ありがとう、柚迩」
「え? 大したことしてないでしょ。一般論を口にしただけだし」
「いやぁ、一般論からは、水平線の先くらいまでかけ離れてると思うぞ」
「そんなことないよ。一度宇宙に出てみて。弱肉強食の世界だから」
「はは、機会があったらな」
ふっと、笑いが零れ落ちた。
その様子を見た柚迩は、もう俺のことは大丈夫だと思ったのだろう。
ちらりと駅の方を見て、俺に別れの言葉を述べた。
「ごめんね、私、そろそろ行かないと」
「そうか、用事があるんだな」
「うん、そろそろ行かないと、クロワッサンの行列がとんでもなく長くなるから」
俺の悩み事よりもクロワッサンが勝るのか、と声に出しかけたが、それを飲み込んで、もう一度だけお礼を渡した。
「ありがとう、助かった」
「ふふ、どういたしまして。全部が片付いたら、遊びにおいでよ」
「いや、俺が来たら、さすがに親が混乱するだろ」
「大丈夫大丈夫、そういう細かいこと気にしないから」
「いや、さすがにするって。突然、息子が二人になるんだぞ」
「二人に……そうだねぇ、食費がかさむから、バイトを強制させられるかも」
「そういう意味じゃなくて……いや、もういいや。じゃあな」
「うん、また」
「ああ、またな」
柚迩は俺に手を振ると、早足で駅構内へ向かっていった。クロワッサンがよほど恋しいようだ。
彼女の背中を細めた目で見送りながら、最後に交わした言葉を反芻する。
(またな……か。自然とその言葉をかけられて、俺も自然と返した。良い妹を持っているんだな、俺は……)
心に宿る柔らかな温かさ。その思いに感謝を重ねる。
(ありがとう。俺という存在を肯定してくれて。ありがとう、見失いかけた道を思い出させてくれて)
俺は振り返り、前へ一歩踏み出した……そこで、体を固めてしまった。
周りを見回す……ここは地球・日本・駅前。
「ど、どうしよう。どうやって草原に帰ればいいんだ?」
いきなり道に迷ってしまった。物理的に!
「ど、どうしたら……柚迩なら、なんか方法を知ってるかも? でも、あんな別れ方したのに帰り方がわかりません、助けてって言うのもなんか恥ずかしいし」
「あの~」
「いや、しかし、背に腹は代えられない。恥を忍んでここは……」
「あの~、もしもし?」
「でもでも、やっぱり恥ずい! というか、俺の記憶に宿る兄心が、妹に見栄を晴れと言っている!」
「あの~、もしもし、すみませんが~」
「なんだよ、さっきから! こっちは兄としてのプライドに苦悩してるのにって――お前は!?」
振り返った先、その場所に立っていたのは――
「お久しぶりですね、リョウさん」
――理の錬金術師ミュール!
青い服に純白エプロン。
腰元には茶色のウエストポーチに、色とりどりの試験管がベルトに差し込まれている。
パジャマ姿の自分のことを棚に上げるが、通りを歩く人々と比べるとかなり浮いた姿だ。
しかし、誰も気にしていない……もしかして、俺を含めコスプレかなんかだと思われているのか?
視線が彼女の右手に止まる。スーパーの白いビニール袋に白菜が丸ごと一玉収まっている。
その視線に気づいた彼女は栗色のツインテールを揺らし、ビニールを持ち上げる。
「これですか? 特売日だったもので、こちらまで買いに来たんですよ。今日はお鍋にしようと思いまして」
「は、はぁ……」
「そうだ! もしよかったら、お鍋をご一緒しませんか? リョウさん」




