第39話 俺と俺
視界が揺らぎ、やがては整う。
穴ぽこの向こうにある世界。
それがどんな世界でも、もうどうでもいい。
いっそ、溶岩だらけの世界で、飛び出した途端に焼き焦げて死んだってオチでもいい。
そう、どうでもいい。
どうでも――。
だって俺は、存在しないんだから……。
視界が真っ白になり、じりじりと肌を灼く。
まさか、望んだとおりの世界に来たのか?
だけど、この熱さは炎の熱さじゃない。
これは熱さというよりも、暑さ?
皮膚にじっとりと湿気が纏わりついて、照りつける光が容赦なく皮膚を炙り、アスファルトの地面が熱を照り返す。
知っている、この暑さ。
これは――
「夏? そうだ、日本の夏だ……」
視界が形作られる。
雲一つない青空から紫外線が槍のように降り注ぎ、皮膚に浮き出た汗は蒸発することなく留まり、街路樹にしがみついた蝉たちが苛立ちを煽り鳴き続ける。
日本最大の悪夢の季節――夏だ!
周りを見回す。
駅と一体化したビルディング。
その前に大きな広場。
大勢の人が、日傘やハンディファンを片手に力なく歩いている。
俺はこの場所を知っている!
「ここは……そうだ、ここは俺が住んでいた町の駅――そこで俺は!!」
夏の暑さを忘れ、俺は駆け出した。
『運命』に手繰り寄せられた場所へ。
「はぁ、はぁ、はぁ、こ、ここだ。ここで俺は――」
街路樹の周りをコンクリのブロック塀で囲み、そこが椅子代わりになっている殺風景な場所。
俺はここで……。
「刺されたんだ。お腹を刺されて、死んで、別の世界に渡り、そして――」
「大冒険をして、地球へ戻ってきた」
「――え?」
後ろから響く、俺とそっくりな声の音。
すぐさま振り返ると、そこには、俺とそっくりな少年が立っていた。
「よう。ってか、なんでパジャマ姿なんだ?」
「あ、あ、お、おまえは……」
「まぁ、座れよ」
少年は街路樹が影を作っているブロック塀に腰かけて、隣に座れとぽんぽんとブロックを叩く。
俺は言われるがままに、彼の隣に座った。
「あ、ああ」
「アイス、食う?」
「え、うん」
彼は持ち手のついた、細いチューブ型のアイスを二本にパキンと割って、そのうちの一本を渡してきた。
「このアイスってさ、いろんな味があるけど、結局オーソドックスなチョココーヒー味が一番うまいと思わね?」
「え、ああ、そうだな。俺もそう思うよ……」
「ははは、さすがは俺だな。味の趣味もおんなじか」
「あの、お前は……」
少年は丸いリング状のつまみを引っ張り、それを引きちぎると、つまみ部分に残ったアイスをちゅーちゅーと吸う。
「ちゅ~、うまい。ここの部分がなぜか一番うまい! でだ、まぁ、事情把握してる」
「え?」
「なんか知らんが、色々こじらせた『運命』……あ、管理者って名乗ってるんだったな。たぶんだけど、俺が袖にしたせいだと思うわ。わりぃな」
そう言って、片手を縦に向けて謝る素振りを見せたが……軽すぎないか!?
「お前な――」
「まぁ、おちつけ。ただでさえ、駅前でパジャマ姿って目立つんだから。お巡りさんが来ちゃうぞ」
「あ……くそっ」
少年はアイスをちゅうーちゅうー吸いながら話を続ける。
「ちょいとややこしいが、俺自身は全く把握してないんだわ」
「は? さっき事情を把握しているって言ったじゃねぇか」
「残滓の、この俺はな」
「残滓?」
「お前や看板が管理者と呼んでる存在。そいつと接触したことで俺は一時的に、この宇宙で誰よりも強力な存在になったんだけど……おっと」
彼はチューブから手に垂れたアイスをペロッと舐めとってから、言葉を続ける
「んで、そんな力に興味なくて、全部放棄して、普通の人間として地球で過ごすことを選択したんだ。だから、俺本体は今の出来事や、ここでのやり取りを知らない」
「それじゃ、お前は何なの?」
「放棄しても力が強力すぎてな。その残り滓ってのが発生するんよ。で、残り滓の俺が今回の出来事に反応したってわけ。そんな残り滓でも……まぁ、力になれることもあるかもな」
「なんだよそれは?」
「そうだなぁ、俺は力に執着してないけど……納得できなかったら、イラっとして、拳骨の一発くらい落とせるかも?」
「納得できない? 何が? 何の話?」
「さぁ、俺にもわからん。なんだろうな?」
彼は両手を軽く上げつつ、肩を竦める。
一瞬、ふざけているのかと思ったが、首を傾げている様子からして、ほんとにわからないようだ。
「悪いな、僅かに力が残ってるだけで、先を見る力もあやふやでさ」
「別にいいよ。どうでもいい。そうだ、もうどうでもいい! 何をしても、俺はしょせんお前の――」
「……へぇ~」
俺が感情をぶちまけようとしているのに、少年はまるでこちらを観察するかのような声を上げた。
「な、なんだよ?」
「いや、俺ってこんなに感情的だったかな、っと思って? あ、でも、刺してきた相手の目を抉ってやったし、意外と凶暴だったなぁ」
「目を抉る? あ、そうだった! 腹を刺されて死にかけてるけど、ムカついたから親指で刺した奴の目ん玉を抉ってやったんだ」
「そうそう、痛くて苦しいのに。よくできたわ。俺って本来、優しい子のはずなのに」
「どこがだよ。拳が砕けるとわかっていながら、魔力を宿した拳を、鎧に叩きつけたこともあっただろ。無謀なんだよ」
「そんなこともあったなぁ。残滓の俺は意識を大人の状態で固定してるから、ガキの頃の振る舞いを忘れがちになるんだよなぁ」
「大人になっても、上司に喧嘩売ってそうだけどな」
「あははは、それは……ない? ないよね?」
「俺に聞くなよ……ふふ、ははは」
「ははは、そりゃそうだ。あははは」
俺と少年の笑いが交じり合う。
それは乾いた笑いだったけど、そこには小さな安らぎが含まれていた。




