第36話 全てを切る一撃
女神は再び力を取り戻し、溢れんばかりの光を全身から放つ。
それを前に、勇者と魔王の背筋が凍った。
「――なっ!? 私たちの攻撃が」
「通じていなかったのか!?」
「届いたことを認めた。認識を許可した。否定を肯定に変えるだけで条理は整う。それこそが神たる存在」
「何を言っているんだ?」
「おそらくだが、我らの攻撃が通じていたのではなく、我らの力を否定していた自らの意思が傷を生み出していた……ということなのだろう」
「見事だ、認めよう。低次元存在の中にも神に届き得る存在はいる。だが、それだけだ」
女神は人差し指と中指を合わせて、指をパチリと弾いた。
たったそれだけで、勇者と魔王は遥か後方へと吹き飛ばされてしまった。
「うわあああああああ!」
「こ、これはぁあああああ!」
俺は二人を目で追う。
「勇者、魔王!」
「どこを見ている?」
「へ?」
影が……俺を覆う。
次の瞬間には、女神に首を掴まれ、宙づりにされてしまった。
「うが、ぎ、……」
「まずは貴様からだ。模倣体め!」
「も、ほう?」
意識が薄れていく。景色がぼやける。
メルが案内人であるはずなのに、神に魔法のようなものをぶつけている。
看板もビームみたいなのを出している。
勇者と魔王も傷を負いながら、俺を助けるために向かってきてくれている。
(ああ、みんな俺を助けようとしてくれている……でも、もう、なにも……)
甘く蕩ける大気が支配する世界。
俺は消える間際の意識にあって、空腹を覚えた腹に手を添える
(チョコ、食べたかったな。あまい、もの、いっぱい……)
――ああ、美味しい――
ぐさり――
甘い幻想の中に、鈍く不快な音が広がった。
それは肉を抉る音……。
神は俺の喉から手の離し、数歩、後退りを見せた。
俺は激しく咳き込みながらも、空気を求めて、何度も呼吸を行う。
「がは、がは、ごほっごほっ、すーはー、すーは、ゲホゲホ!」
メルが俺を支えようと片膝をつく。
俺は彼女を見ることなく、真っ直ぐと女神の姿を見た。
女神は己の腹部を見て、声にならぬ声を上げていた。
「な、な、な、なんだ、これは? なんなのだ、これは!? うがあああああ!!」
女神は左腹部を押さえて、その場でもんどり打った。
手で押さえた場所。
そこには――食材なら何でも切ることができる包丁が刺さっていた。
駆けつけてきた勇者と魔王が俺に問いかけてくる。
「何をやったんだ、リョウ!?」
「神が苦しんでいる、一体?」
「さぁ、なにがなにやらさっぱり。ごほっ、ただ、意識がもうろうとして、お菓子が食べたくて、おなかに手を置いたら……包丁があったことを思い出して、それで刺したんだ。そしたら……」
「痛い、痛い、痛い、痛い。バカな、神が痛みを感じるあああああああ、痛い、誰かこれを抜いてくれ!」
神は腹部に刺さった包丁を抜こうとするが、痛みに負けて、触れることもできず、ひたすら嘆きを漏らし続ける。
看板はそんな彼女を見下ろしながら、こう描いた。
「使い手が食材と認識すれば、いかなる存在でも切れる包丁。神の条理すら切り裂き、実在する傷と痛みを強制する……怖い包丁だよ」
「包丁で神を……ん、待ってくれ? て~っと、俺はこの女神を、食材として認識したの?」
「うわっ」
「それは少々……」
「危険な人ですね」
勇者と魔王とメルがそろってドン引き。
「待て待て待て! そんなわけないだろう!」
すると看板はこう解説してきた。
「意識が朦朧とする中で、甘い匂いと空腹が意識に入り混じり、その状態で包丁を手にしたことで、包丁が刺したものを食材として認識したのかもね」
「え?」
看板は痛みにのたうち回る神を見て、今回の出来事を端的まとめた。
「一言でいうと、食い意地の勝利」
「ええええ~」
「ええ~、って君のことだからね。どんだけ食い意地張ってるの?」
「そんなこと言ったって……」
神を見る。
「痛い、痛い、これを抜いてくれ。痛みなど知らぬ、知らぬ、知らぬは怖い。誰か、これを、これを……」
苦痛に顔を歪め、威厳も威圧もなく、哀れに涙を流す神を前に、俺は歩み寄ろうとした。
それを、勇者と魔王が止めた。
「やめておくんだ」
「それを抜けば、牙を剥く」
「だけど……」
「どうやら、神という存在は不死と言っても過言ではないみたいだ。それには、勝てない」
「勇者の言うとおりだ。手立てがない以上、放っておくしかあるまい」
「あ……うん……」
女神へ向き直り、俺は一言目の言葉を飲み込み、ただ別れを告げた。
「ごめ……じゃあな」
神が痛みに捕らわれた今、道は開かれた。
看板とメルが道を開き、俺たちは草原へ戻ることにした。
包丁に腹部を貫かれた……女神だけを置いて。
「待て! 待ってくれ! お願いだ! これを抜いてくれ! 痛い、痛い、痛いの! お願いだから! 助けて!! いたい、いたい、いたい、いたい……」
ひたすら痛みに沈む、沈む、沈む。
その奥深い場所で、女神は……神が宿してはならない人の感情に触れた。
――痛い……知らぬ……知らぬは許せぬ……許せぬは、憎い……許すまじ――




