第117話 短き会合
恋に悩む乙女を置いて、アスカは一歩前に出た。
草原は消え去り、闇が周囲を包む。
アスカは何もない場所に向かって、言葉を走らせる。
「無の神じゃな?」
「ピンポ~ン、大当たり~」
軽薄で、アスカよりも幼い少女の声が響く。
だが、言葉の端々に底なしの冷たさが滲む。
アスカは闇へ、小さなため息をぶつけた。
「はぁ、時々名が挙がっておったが、今になって登場とは何用じゃ? ワシの方は、おぬしなんぞ興味ないぞい」
「もう、つれないなぁ~。ちょっとした宣戦布告をしにね」
「ふん、勝ち確の戦を、混迷にして楽しむつもりのようじゃが……ワシは参戦する気はないので、布告など知らんわ」
「じゃ、伝言を頼むね」
「ワシはパシリか! じゃが……」
アスカは辺りを見回す。
(ワシにすら姿を認識させぬとは……さすがは無の神。無の扱いについてはワシを超えるか)
「あれ、どうしたの? 考え事?」
「そうじゃの~、おぬしをどうやって消そうか考えとるところじゃよ」
「ええ~ひっど~い。アスカちゃんは他の神と違って、私好きなのにぃ」
「何故じゃ?」
この問いを発した途端、何もない無の空間に、物質的な痛みを覚える鋭利な冷たさをアスカの肌は感じ取った。
口調は軽薄なまま、なんら変わらないのに、無の神の言葉の一つ一つにささくれだった棘がつく。
「他の神は、私のことを馬鹿にしてたからね。神のくせに何も生み出せない、何も壊せない。何もない無の神だって。アスカちゃんはそんな風に馬鹿にしなかったから、好き」
「……ふむ、おぬしは嫌いな神に復讐をするつもりか?」
「そうだねぇ~、あの少年が管理者の力……『運命の力』に触れた時、それを観察してた私は多くの情報を手にした。その情報をもとに、私は創造と破壊の力を手に入れた……その力は無と交わり、今では、神々を遥かに超える!!」
「ゆえに、復讐か」
「ぶっぶ~大外れ~。私がやりたいことは、全てを一にすること……」
「零領域にワシらを押し込めて、一にするのか?」
「それも大外れ~」
「では、答えはなんじゃ?」
「それはね……私という一つの意思だけが残る世界! それ以外は全部、私の中に溶けるの。神も世界も――すべてが、ね……」
多種多様な思いが交じり合うことで、世界を形作る宇宙を真っ向から否定する思想。
しかし、アスカは興味なさげに答えを返す。
「ふむ、そうか」
「あれ、反応が薄い?」
「好きにすればよい。じゃが、ワシの生活の邪魔をするつもりであれば、容赦はせんぞ」
「邪魔って?」
「戦いのせいで停電を起こして――ネット回線切断とかなったら激おこじゃ!」
「あははは、やっぱりアスカちゃんっておもしろ~い! だからこそ一緒に遊びたいのに」
「この阿呆めが……」
「へ?」
アスカの気配に冷たさが混じる。それは殺気でも怒りでもない。
下らぬ行いを前に、心から急激に熱が失われているだけ……。
「おぬしは、ワシを舐めておるじゃろ」
「舐めてないよ。今のアスカちゃんは枷付きのよわよわだけど、本気を出せば、今の私でも、結構、てこずるし」
「どうやら、おぬしはワシが関わる真の恐ろしさを理解しておらぬようじゃな。ワシは、無法じゃぞ」
「わかってるよ、だからこそ一緒に――」
「【笠鷺燎】――オリジナルの少年の名前じゃ!」
それはただの名前。
だが、空間がひび割れたような錯覚が走り、無の神の言葉に恐怖が宿る。
「ちょっと、それは!!」
「ああ、誰も彼の名を口にせぬ。それはできぬからじゃ。【笠鷺燎】を恐れてな!」
「二回も! やめてよ、何が起こるかわからないじゃない!!」
「そうじゃな、燎は力を放棄した。しかし、奴の力は魂に根付いておる。力あるモノが燎の名を呼べば、その力に感応し、再び力を宿すやもしれん。そうなれば、誰も止められん。全てを超えし存在として、【笠鷺燎】は再び現れる!」
「だから、名前を呼ぶのは――」
「ワシが関わるということは、この程度の禁忌など躊躇なく踏み越えるということじゃ!!」
「ひぅ!?」
無に揺らぎが宿る。それは無の神の感情……つまり、恐怖。
「去ね。ワシとて、燎を再び戦場に立たせたいと思うてはおらぬ。愛弟子の柚迩とユニが、悲しむことになるじゃろうしな……」
「……わかった。こっちで勝手にやる。私、あなたのこと嫌いになったかも。冷たいし。仲良くなれると思ったのに」
「こういった出会いでなければ、冷たくはせぬよ。普通に遊びに来る分は歓迎じゃ。ミュールがお茶と菓子を振舞ってくれるじゃろうて」
「ミュールちゃんをこき使ってる。かわいそう~」
「いいから、はよ去ね」
「はいはい、じゃあ、伝言の方は頼んだね~。バイバ~イ」
「ま、まて、パシリには使う気なのか――」
闇は消えて、暖かな木の家を抱く巨木が現れる……アスカはミュールの家を見つめ、小さな安堵の吐息を漏らす。
次に、自身の手のひらを見つめた。
それは、水に濡らしたかのようにぐっしょりとしていた。
「このワシに冷や汗をかかせるとは……あやつらの戦いに巻き込まれれば、ミュールとて無事ではすまぬじゃろう。ワシが守ってやらねばな……」
アスカは手にふっと息を吹きかける。すると、手は小さく愛らしい白い手に戻った。
パンパンっと両手をはたき、いつもの調子を取り戻すようににんまり笑顔を生む。
「ふっふっふ、そんなことよりも太陽神会議じゃな! 兄弟喧嘩に、神とあろうものが躍起になってからに。クククク、楽しみじゃあの~。吊し上げてやるぞい。いっつもはワシがひどい目に遭っておるから――仕返しじゃ、仕返し! くくく、はははは、あ~ははははははは!!」
家の窓が開く。
「アスカさん、うるさいですよ! ご近所迷惑! 謝罪行脚に行きますか!?」
「――ひっ! す、すまんのじゃミュール。なので、謝罪行脚だけは勘弁なのじゃよ……」




