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世界が滅びたので看板を片手に旅に出ます  作者: 雪野湯
第二十一章 リョウのいない世界

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第113話 憂愁と幸せの形

――ここは、人間と魔族が手を取り合い共存する世界



 しかし、争いが失われたわけではない。

 僅かな綻びが生まれれば、そこから差別感情が膨らみ、殺し合いへと変貌していく。

 

 そんな薄氷のような関係を強く包み込むのは、二柱の神。

 人間の神と魔族の神。

 

 二柱は、人間と魔族が共に歩むための深き教えを説いた。

 それが十分に生かされているとは言えないが、縋り、カタツムリよりも遅い歩みであるが、前には進んでいた。



 地上で生を営む人間と魔族たちの様子を、宵闇が支配する場から見下ろす人間の神――かつて、勇者と呼ばれた男は癇癪を爆発させる。


「どうして彼らはすぐに争おうとするんだ! 欲深いせいか!? 愛が足らないからか!?」



 彼の声に魔族の神――かつて、魔王と呼ばれた男が答えた。


「両方であろう。しかし、神になってこそ、苦労がわかるな」


 魔族の神は遠くを見つめ、苦悶の表情を浮かべる。


 その表情が意味することを、人間の神はすぐに悟った。

「……堕ちた女神のことか?」

「ああ……人も魔族も、我らが当然の如く行えることを、全く行えない。優しく諭しても、厳しく諭しても理解をしようとしない。いや、聞く耳すら持とうとしない。女神もまた、これに苛立ちを覚えたのだろうな」


「そうだな、疲労が募るばかりでやってられない……だけど、あの女神のようにならない」

「当然だ。女神は一人だったが、我には貴様がいる」

「ああ、私には君がいる。そして……彼がいた」



 人間の神は、宵闇の先を見つめる。

 空の青と宇宙の黒の境界線に、太陽の光が広がる。


 彼は頭をぐっと押さえる。

 喪失という苦痛が、忘れられぬ熱となって心に宿り続ける。

「もう、名前も覚えていない。だけど、彼はいた! 彼のおかげで今の私たちがある!! そうだというのに!!」

「我々のような新しい脆弱な神では、管理者の影響からは逃(のが)れられない。いずれは、この欠片の記憶すらも、失うやもしれん」



「忘れるものか! もっと強い神になり、彼のことを思い出して見せる。名前も姿も、思い出もな!」


「……それを確実に得られる場所があるぞ」


「零領域か? 零であり無限。一なる場所。そこに行けば、確かに全てを思い出せる。だけど、完璧と引き換えに、私たちという存在が失われてしまう」

「ふふ、個性を重んじる神、か……未熟な神なのであろうな」


「未熟だからどうしたというんだ? それは、成長の余地があるということじゃないか!」


 人間の神の声に、魔族の神は強く答えを返す。

「その通りだ! 成長しよう! 完璧な神ではなく、成長する神として、彼のことを思い出そう」

「ああ、当然だ!!」


 二柱は並び立ち、拳を作ると、互いにぶつけ合った。

 想いが力となり、バチッと火花を散らせる。

 それは無作法で、神と呼ぶにはあまりにも稚拙な誓い。


 でも、だからこそ、不完全である存在に寄り添える。


 ぶつかり合った拳の小さな衝撃が、赤子の泣き声と変わる。



――――

 小さな木造住宅。お世辞にも立派と言えない古びた室内で、母の腕に抱かれた赤子が大声で泣く。

 その様子を父がのぞき込むが、どうしていいのかわからずに、おろおろするばかり。



 そんな夫の姿に微笑を見せて、妻は体を小さく揺らして赤子をあやす。

 すると、赤子はすやすやとした寝息を立てた。


 母はほんのりと抱きしめる力を強めた。

 小さな命へ温かな熱を伝えつつ、後悔を口にする。

「お義母(かあ)さまにも、この子を見せたかった……」

「それは……」


「私とあなたの国は滅亡してしまった。私の父も母も、あなたの父も母も、全てが失われてしまった。これは……私たちの罪」

「違う! あれは僕たちの責任ではない! 隣国が僕たちの国を狙っているのに、いがみ合いをやめなかったからだ!」


「それでも、要因であることには変わりない」

「…………っ」


 母は子へ、悲しみと慈しみが溶け合う瞳をそっと落とす。

「この子には罪を引き継がせない。でも、罪を無かったことにはできない。だからせめて、私たちが心に刻み、責め苦を受けましょう」


「それは……とてもつらい選択だぞ。忘れることもできるのに」

「あなたは、忘れたい?」

「……忘れられない。だから、僕だけが――」



 妻はじっと夫を見つめた。その瞳の意味を知り、夫は言葉を止めた。

 代わりに、妻が言葉を継ぐ。


「二人で共に支え合いましょう。二人ならきっと――いいえ、必ず乗り越えられる」

「そうだな……ああ、そうだ。君と一緒に、道を歩むと決めた時に、全ての覚悟を決めた。責(せき)は心に刻む。だが……」

「だが? どうしたの?」


 夫は妻ごと赤子を優しく両手で包んだ。

「この子が笑うたびに、僕たちは前へ進める気がする」

「あなた……」

「だから、僕と君が不幸である必要はない。共にいる幸せこそが、責(せき)を背負う力となるのだからね」

「……ええ、ええ、そうね」


 妻の瞳から涙が零れ落ちる。その涙に、一人の女性の姿が映る。



――忌々しい、こんな幸せ、認めない――



「え?」

 妻の耳には誰かの声が聞こえた。それに耳を澄ませる。



――ですが……幸せである事実は…………認めるべきでしょう……ね――



「お義母(かあ)……さま?」

「どうしたんだい?」

「いえ……気のせい」

「ん?」


 妻は健やかに眠る赤子を愛おしそうに見つめる。

「本当に可愛い子。やっぱり、お義母(かあ)さまに抱かせてあげたかった。きっと、喜んでくださったと思う」

「う~ん、母上は強情だったからなぁ。それは難しいかも」



「ふふ、さぁ、どうでしょうね」



 妻の微笑みは優しくも確信に満ちたもの。

 夫にはその心に根差すものはわからない。だが、妻の優しさと強さが彼の覚悟を一層強くする。



 暖かな優しさは遥か遠い場所へと伝わる。

 しかし、想いは途中で欠片となってしまった……それでもその欠片が、無機質な金属の扉を――トントンと、ノックする。

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