第104話 勇気のかたち
――会場・草原
俺は力なく項垂れて、返事すらする気力もない。
瞳の端では看板が何かを俺に訴えているが、もう、そちらに視線を送る力もなかった。
そんな姿を見た管理者は、両手を大仰に上げて、呆れた態度を見せる。
「はぁ、この俺に反旗を翻すまでに成長した道具が、どれほどのものかと期待したんだがな。こんなものか。わざわざお前の用意した舞台に足を運んでやったのに、とんだ無駄足だったな」
瞳の端で、看板が文字を走らせる。
「……反旗を翻すまでに? もしや、あなたはそれを期待していたのですか?」
「うん? いや、そいつは違うな。面白いとは思っているが」
「え?」
「俺の目的はリョウの記憶を移植して、あの人の思考のもとで、こいつが何を学び、何を得るのか? それらの情報が……この宇宙とは全く違う宇宙を生み出すはずだった」
「この宇宙とは違う宇宙? ま、待ってください。あなたは神や連邦が支配する宇宙の創生を目指していたのでは? 違うというならば、汚染率の意味は!? これまでの問いの意味は?」
看板が問いかけた疑問に対して、先ほどまで飄々としていた管理者の顔に、なぜか怒りが宿る。
両手をわなわなと震えさせ、言葉は低く籠ったものとなる。
この声に、看板は恐怖を覚えた。
「……俺に招待状を発行した時点での汚染率はいくつだった?」
「え、そ、それは……」
「さっさと答えろ」
「は、はい! 57%です。ナスの問いの時点では72%に上昇しました」
「それで、今は?」
「……398%です」
「398%。ふざけやがって……」
管理者はかかとを力強く落としながら、俺の前に立つ。
「100%なら認めた。問題なかった。だが、お前が出した答えはなんだ!? リョウ!!」
こいつが何を言いたいのかわからず、俺は小さな言葉だけを落とした。
「…………あ」
「ふん、言葉も返せないのか、この臆病者」
彼女は俺を見ているようで見てない視線を見せつつ、言葉にゆっくりと熱を帯びさせていく。
「……100%であれば、よかった。そうであれば、あのリョウの視線が! リョウの経験が! リョウが感じたものが詰まった宇宙となっていた」
怒りに震える指先で俺を突き刺し、管理者は罵るように声を荒げる。
「だが、問いの答えに対して、リョウが出すであろう答えから、お前はかけ離れた答えを出した!! その結果が――398%!!」
管理者は空へ手を伸ばし、ゆっくりと閉じて、拳を生み出す。
「100を超えた世界は、お前が望む世界。そんなもの、俺は望んでいない。わかるか、お前に? 今の俺の怒りが!?」
彼女は拳を解き、自身の顔に手のひらを当てて、美しい顔をわざとぐしゃぐしゃに引き延ばす。
「お前に変化があった。それを放置したのは期待の表れ。お前という存在が俺の意図を離れて、リョウという存在として、何を為すのかを期待していたんだ。だが……」
管理者は瞳から怒りの炎を消して、熱の籠らぬ冷たい視線で俺を突き刺す。
そして、看板へ振り返り、悲しみを纏い、こう告げる。
「だが、この結末。こいつは痛みという原始的な恐怖の前に屈する程度の存在。あのリョウと比べる価値もない脆弱な存在。あの人が持つ、狂気の一欠けらもない……」
「狂気……?」
「……素体のリョウは一見普通の少年だが、その心に残酷な衝動を隠し持っていた。それとうまく付き合い、乗りこなしていた。俺は、その狂気に抗うだけの意地というものに興味を示した」
管理者は微笑みと共に、そっと自身の胸に手を置く。
「ふふ、ちっぽけな存在が狂気に抗うために、俺の力に触れるなんて正気の沙汰じゃない」
看板は木目に猫の目を表して、何度も瞬きを繰り返し、内部データに触れる。
「リョウに関する情報取得……データでは、素体のリョウは『狂気の核』となった前世の存在と向き合い、さらにはパラレルワールドの宇宙を再構築している」
「あはは、無茶苦茶な奴だろ! だからこそ愉快だった。だからこそ、こんな存在がいる宇宙はどのようなものかと興味を示した。それは、純粋な力の存在だった俺に、意思が宿った瞬間でもあった」
管理者は大きく首を横に振る。
「はぁ~あ、だってのに、こいつは素体のリョウとは違う存在になり果てた。この宇宙では、物足りない。そう感じて、足りないものを補うためのこいつだった……」
大きく両手を広げ、空へ言葉をぶつける。
「成功していれば! あのリョウの狂気を内包する宇宙が生まれていた。もっと素晴らしい宇宙が誕生する!! そう、思っていたんだがな……まぁいいさ」
管理者は俺と看板を交互に見つめ、薄く笑った。
「俺は諦めない。そして、飽きない。だから終わらせる気もない。そう、何度でも――」
――やり直せばいいことだ――
「……………え?」
虚ろだった思考に、言葉が響いた。それは、決して聞き捨てならない言葉。
「いま、なんて……」
「おや、まだしゃべることができるのか。だけど、俺はもうお前に興味は――」
「……いま、やり直すと言ったのか?」
「ん? ああ、言ったぞ。模倣体であるお前が役立たずなのは理解したが、それでも数をこなせばデータは得られるだろうしな」
「数を……」
頭の中に、アスカとミュールの会話が響き渡る。
――――――
『無限の時間を生きる存在にとってそれらはとても希薄なのじゃ』
『神は失敗であっても、人のように環境を変えることなく同じことを繰り返すんです。何百、何千と』
『神は機会が無限。数百……いえ、数万の失敗を重ねても人間の一回にも値しない行為」
『飽きるという感情を持っていないかもという点です。仮に飽きるとしても、その時は一体、どれだけの失敗を重ねているんでしょうね』
――――――
アスカがくれたアドバイスの意味が、いま、鮮明となる!
「それは、だめだ……」
怖い、それは誤魔化しようのない事実だ。
でも、それ以上に許せないが胸を焼き、世界の音が一瞬だけ消えた。
ドッドッドと、心音が響く。その音は、今までとは違い、俺に熱を運ぶ。
つま先に力が戻る。
「こいつを放置したら、同じことを繰り返す。何百、何千、何万と」
――ドッドッド
高鳴りがさらに響き、膝には決意が宿る。
「宇宙を生み出しては消して、俺や看板と同じ存在を何度も生み出す。ずっと繰り返す」
――ドッドッドッドッ!
音は勇気をくれて、俺は立ち上がり、正面を向く。
「俺が諦めたら、数え切れない犠牲を生み出すことになる。それに、俺が背負ってるのは、俺たちだけの想いじゃない!!」
――ドッドッドッドッドッ!!
大地を鳴らす力強い響きが、両手に震えを与え、それを握りしめると、鋼鉄よりも頑強な拳へと生まれ変わる。
「象のおじさんがいる。ナスたちがいる。影たちがいる。女神がいる。あいつらに約束しただろうが、俺!! 罪を背負って、それでも期待と信頼を受け取った俺が――こんなところでビビってどうすんだよおおおぉぉぉ!!」
――ドッドッドッドッドッ――ドン!
俺は拳を前へ突き出して、想いを一点に集約させた。
「まだ、終わってねぇぜ、管理者。俺はこの拳を、お前に、当てる……」
――アスカ
再び、立ち上がったリョウの姿を見て、アスカは呟いた。
「言葉は相手の心を殺すが、時に奮い立たせてしまうこともある。管理者よ、剣を操り損ねおったな」
彼女は小さな笑みを零し、こう心の中で唱えた。
(オリジナルのリョウは、狂気を勇気に変えて立ち上がった。じゃが、リョウ、おぬしは優しさを勇気に変えて立ち上がる。ふふ、おぬしたちは全く別の存在ぞ)




