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世界が滅びたので看板を片手に旅に出ます  作者: 雪野湯
第二十章 管理者の世界

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第101話 自分としての初心

 殴られたせいだろうか?

 視界がぼやけている。

 だけど、その朧(おぼろ)な世界でも、血の色ははっきりと映り、ぼたぼたと垂れる血の量と味は、しっかり肌と口の中に伝わる。


 震える瞳を動かす。


 看板が「リョウ!」と俺の名を呼びかける文字を映し出している。

(た、立たないと……)


 でも、足が思うように動かない。

 

 管理者はそんな俺の様子を観察しつつ、嘲(あざけ)り交じりの笑みを見せて、俺の周りを歩き始めた。

 そして、よくわからない話を語る。


「フフ……人間の戦いは、肉体からだった」

「はぁ、はぁ、なに?」



 管理者は拳を作り、次には何かを握りしめて、振るう仕草を見せる。

「肉体同士の争い。やがては武器を手にする。その武器は、時に頑丈で、時に切れ味鋭く、時に遠くから放てるものとなっていった」



 人差し指をこめかみに突きつけて、何度かトントンと叩く。

「さらには知恵を使い、戦術を生み出した。兵器が誕生し、大量かつ効率的に人を殺せる術(すべ)を獲得した。実に素晴らしい。だけどな、こいつのせいで、言い訳が生まれちまった」


「はぁ、はぁ、言い訳、だと?」



「フフ、その言い訳ってのはよ、戦い方が増えたせいで生まれた――逃げ道だ」

「逃げ道……?」


「手段が増えれば、それに対する言い訳も増える。俺も同じ武器を持っていたら、同じ数で戦っていたら、罠に嵌らなければ……あーだこーだと言い訳が生まれ、勝ちを勝ちとして認められず、負けを負けとして受け入れにくくなった。だから、お前は正しい」


「い、いったい何の話を?」



 管理者は俺の前で止まり、拳を見せつけながら、蔑(さげす)みの瞳を宿し見下ろす。

「拳は違う……言い訳ができない、力量の差をまざまざと見せつける。だから、お前の選択肢は正しい。拳で殴りつける。それができれば、お前は俺よりも強者だ。フフフ、だけどな――」


 美しい顔を醜く崩し、腐臭の漂う微笑みを見せる。

「惜しむらくは、お前にその力がなかったってことだ。くくくく、あはははは」

「このっ――」



 俺は立ち上がり、殴りかかろうとした。

 でも、足が震えて言うことを聞かない。

 震える足を打ち据える。


「くそ、くそ、動け! どうして……あんな奴の拳が、足に来ちまったっていうのかよ!?」

「おいおい、リョウ。最も分かりやすい、拳という力の戦いに、言い訳を持ち込もうとするなよ」

「え?」



 管理者は人差し指を、自身の白く柔らかな鼻に当てる。

「鼻が痛むだろう。血が止まらなくて、息苦しく感じてるだろう」

「な、なにをおまえは……」


「口が切れて、鉄錆の味がいっぱいに広がってるだろう」

「や、やめろ。黙れ……」


「腹を殴られれば、衝撃が背中を突き抜け、吐き気を覚える。内臓を抉られたような痛みが、じわりじわりと広がり、治まらない」

「だから、やめろ……黙れよ……」


「意識が飛び、暗闇が瞳を閉ざす。怖いよなぁ、そんな思いしたくないよなぁ」

「やめろよぅ、頼むから、もう何も言わないでくれ……」


「フフフ、殴られたから、足が言うことをきかない? そいつぁ、違うだろ」


 こいつが俺に何を行おうとしているのかわかった。

 だから、続きを言わせるわけには……。

「や、やめろ、それ以上は――」


 

 彼女はとても酷薄(こくはく)な慈愛の微笑を浮かべる。

「立つと殴られるから、立ちたくないんだろう、リョウ」



「やめろぉおぉぉぉ!!」



 無慈悲な真実は、不可視の重力となって俺の体を抑えつけた。


 それでも俺は叫んだ。

 思いっきり叫んで、管理者の声を掻き消そうとした。だけど、足は動こうとしない。立ち上がりたいのに、立ち上がろうとしない。


 見えない重みは、俺の足を草に沈めていく……。



 管理者は震える俺の足を見て、笑う。

「フフフ、痛いのは嫌だもんな。俺に向かって殴りかかれば、また、痛い目に遭う。だから、お前は立とうとしないんだ」

「違う、違う、違う!」


「違わねぇよ! いいか、リョウ。よく聞け。お前には素体となったリョウの記憶はあっても、経験はない。つまり、この痛みは、初めてお前自身が知った痛み。初めて痛みを知ったお前はそれに―――」


 俺は続きを聞きたくなくて、懇願の声を漏らす。

「だめ、それは言わないで……」


 だけど、告げられた冷酷な言葉が、俺の心から熱を根こそぎ奪い去った。


「恐怖したんだよ……」


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