第100話 届かぬ拳
手首をほぐすように両手を振り、後ろを振り向く。
そして、軽く首を回しながら、管理者へ話しかけた。
「世間話はここまでにして、本題に入らせてもらおうか」
「いいぜ。もう、分かり切ってるが一応、聞いとく。用向きはなんだ?」
俺は右拳を突き出す。
「てめぇをぶん殴る!!」
「ふふ、いいねぇ、ストレートな暴力。ぞくぞくするぜ。だけど、俺を殴るってことが、どういう結末を迎えるのか……ちゃんと理解してるんだろうな?」
問いに対し、無言で突き出した拳を天へと掲げ、ゆっくりと引き戻す。
自分の顔の正面で拳を止め、じっと見つめる。
その手で何を成し、何が起こるのか……口元を緩め、すぐに引き締める。
俺は一切の迷いを捨て去った瞳で、正面に佇む管理者を凝視した。
「俺が……お前になるってことだろ! 管理者!!」
「人でなくなるぞ、リョウ」
「わかってる!」
「お前が手にしてきたすべてを失うぞ、リョウ」
「覚悟の上だ!」
「そこまでして俺を殴りたいのか、リョウ!!」
「ったりめぇだろうが! 道具として作って、偽りの思い出を与えて――」
看板の姿を両眼に取り込む。
「大切な友達を利用した落とし前! つけてもらうぞ、管理者!!」
大地を蹴り上げ、散って舞う草を背後に置き去りにし、駆け出す。
「ぶっ飛べや!!」
大きく振り被った渾身の右打ち下ろし!
しかし、それは空を切り、スウェーだけで躱した管理者が人差し指を左右に動かす。
「チッチッチ、そいつぁ、いくら何でも大振りすぎるだろ」
「うるせえよ! おらおらおらぁぁあああ!」
右ストレート、左ジャブ、前蹴り、回し蹴り、左フック。
息継ぎの間もなく、拳や蹴りをお見舞いし続けるが、管理者はスカートを翻し、円を描くように軽やかに避けていく。
「おいおい、しっかりしてくれよ。ぶんぶんと拳を回すだけって。はは、お子ちゃまのケンカかよ」
「くそったれ、ちょこまかと! まだまだぁ!!」
(当たれ!)
右フック――躱される。
(当たれ、当たれ!)
左拳でボディを狙う――管理者がそっと片手で触れただけで、拳の軌道はガクンと真横へ逸らされる。
(この! まだだ! 当たれ、当たれ!)
ひたすらに拳を振るい続ける――だけど、管理者はその場で動きを止めて、上半身の体捌きだけで拳をすべて躱していく。
(当たれ、当たれ、当たれ、当たれよおおお!!)
心でいくらそう唱えても、全ては空を切り、かすりもしない。
「はぁ、はぁ、はぁ、くそが!」
「あ~あ、てんで駄目だな。直情的に手や足を振り回すだけって……。ま、出来損ないじゃ仕方ないか」
「――っ!? てめぇ!!」
俺はさらに間合いを詰めて、殴りかかった。
その時――管理者が薄く笑った。
「フフ、殴るってのはこうやるんだよ」
――パンッ!
炸裂音と共に、突然、視界に空が広がる。
(あが……なにが……そら? ――殴られた?)
管理者に殴られた拳の勢いに負けて、顔がのけぞったことに気づく。鼻先がじんじんと痛むが堪えて、再び殴りかかる。
「負けてたまるかぁ!!」
「わき腹がお留守だぜ」
「ぐはぁ!」
右拳で腹を殴られた。体がくの字に折れる。それでも、拳を振るおうとしたが……。
「この……」
「ここは距離を取るところだろうが、ハン」
「ゲフッ!?」
左頬に痛みが走る。今、俺は殴られたのか?
「ぼやっとしてる場合じゃないぞ、ほらほら、ほらほらほら」
「がっ、ぎはっ、ぎゃ、うげ、のごっ、ごばぁ!」
管理者は艶やかな黒髪を滑らかに揺らし、拳や蹴りを間断なく叩き込んでくる。
俺はそれを満足に避けることもできずに、無防備に全身に浴び続ける。
「ほい、とどめだ!」
管理者の右ストレートが俺の左頬に炸裂した。
俺は殴られた衝撃で体を回転させて、地面に膝をつく。
「ガハッ!」
血が喉と鼻に流れ込み、鼻奥がツンとする痛みと同時に、生臭さが広がる。
喉にたまった血を嘔吐のように吐き出す。
草原には血しぶきが散らばり、鼻と口からは止め処なく血が噴き出して、緑の大地を真っ赤に染め上げていく。
(こ、こいつ……つ、つえぇ)




