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秋実の宴が始まる。
雪花は、指定された白い二畳台に座り、周囲を見渡した。
雪花の座る席は、帝から最も離れた隅である。そこから見える上座に座る帝は、早朝から酒を飲んでいたのか、ほんのり顔が赤くなっていた。
帝としての役割を彼は一体どのくらい果たしているのだろうか。雪花は帝が帝らしく振る舞っている姿を見たことがない気がする。
常に自分の手の届く所に酒と女を置いておくような人だ。その名ばかりで自分は何もやっていないようにしか思えない。
だが、そんな帝だが、やはり帝なのだ。何もしなくても地位と権力と金がある。そして、そんなところを魅力的に感じる女人も少なくない。
四人の妃の中には、帝に目が釘付けな人ももちろんいる。愛なのか立場なのか欲しいものはそれぞれ違うのかもしれないが、帝の気を引こうと必死なのは伝わる。
落ち着いた印象の雫と、若い夕凪は帝への気持ちが一目で分かった。
(彼女たちは主上に何を求めているのかしら)
雪花には分からなかった。
雪花にとって帝はあまり関わりたくない人だから。
(……そういえば、なぜ主上の隣に席が設けられているのかしら?)
妃たちと帝を傍観していた雪花は、帝の隣に席が一つ用意されていることに気付いた。
上座に、帝と並んで座れる人といえば、帝に近しい血縁者のみ。
前回の星華の宴では、上座には帝しか座っていなかった。
(どなたの席……?)
周囲を見回しても、その座席に該当しそうな人はいない。
不思議に思っている間に、刻限になり、宴が始まる合図の太鼓が鳴り響いた。
大きな鈍い音が耳に響く。
皆粛々と自席に着き、開会の宣言を待っていた。
(何事も起こりませんように)
膝に置かれた手を握りしめ、視線をやや下に下げる。
何が起きても慌てない、感情を出さない。いつものように自分に言い聞かせた。
「これより、秋実の宴を開催する」
帝の側仕えの高らかな声が青空に響き渡った。
「まず、天華国皇帝、春真さまよりお言葉をいただきます」
帝は赤らんでいる顔を引き締め、この時ばかり国の頂点に立つ者の顔つきになった。そして流暢に話し出す。
国の平和と安定を願うものだが、薄っぺらい内容である。とても心の底から言っているようには見えなかった。
「……今日ここで、紹介しておかなければならない人がいる」
咳払いをしたかと思えば、突然話が変わった。帝が隣の座席を指すと、金色の屏風の影から人が現れた。
その人が前に進むほど、会場からはざわめきが起きる。
「あちらがお噂の?」
「なんて素敵な方……」
「とても男前ね……!」
各宮殿の侍女たちが一斉にひそひそと話し出した。
その声に釣られるように、雪花は下げていた視線を上にあげ、そちらを見た。
まるで深海のような、透き通った深い青色の瞳に、風に靡く絹のような艶のある髪。
落ち着いた花紫の束帯に黒い冠を被った、細身の男性が品よく歩いてくる姿があった。
凛とした佇まいが美しく、周囲がざわつく理由が理解できる。
しかし、誰なのか見当もつかない。
「雪花さま」
後ろに座る琴乃から声がかかり、雪花は目線だけ後ろに向けた。
「あのお方が、春陽さまですよ。遊学から戻られたとお噂の」
琴乃からの手短な説明を受けた雪花は、再度視線を前に戻す。
帝の弟と聞いていていたが、容姿はそれほど似ていない気がする。
「お初にお目にかかる方もいらっしゃいますね。私は皇帝、春真の弟、春陽と申します。十三年ほど隣国へ遊学しており、先日戻ってまいりました」
丁寧な挨拶の声が庭に広がる。声も穏やかで、聞いていて耳が心地良い。
まるで春の陽だまりのような人だった。
「これからは兄上と共に国のために力をつくすつもりです。よろしくお願い致します」
ぱちり。
軽く頭を下げ、顔を上げた春陽と目が合った気がした。
目が合った途端、なぜか春陽の目が見開かれる。
(……なにかしら?)
少し気にもなったが、雪花は何事もなかったように目を逸らした。なのに、春陽の視線はまだこちらを向いている。だが、余計なことはせず、知らないふりをしていた方が平和なこともある。
雪花は気付いていないふりをし通した。
宴は滞りなく進んでいく。
奏者の龍笛や琵琶、琴の美しい音色が庭を包み込み、人々を癒す。
扇子を広げ、優雅に舞う女人たちもまた見ものだったし、提供された食事も秋らしくて美味だった。
他の妃たちは楽しそうに話をしながら参加する中、雪花は一人静かに景色を眺める。ちらちらと視線は感じるものの、誰も雪花に声を掛けようとはしない。でも、雪花はそれで良かった。
「ふふ、雪花さまは相変わらずお一人がお好きなのね。こんな華やかな日にも誰ともお話にならないなんて」
茶を飲んでいた雪花の耳に、自分を笑う声が聞こえてきたのは、すぐ後のことだった。
その言葉が言い放たれた途端、周囲の動きが止まる。
「こんなにも素敵な宴ですのに、つまらないのでしょうか? もっと面白い催しをしてもらわなくては満足なさらないのですか?」
ちらと視線のみを動かせば、目に入ったのは橙色の打掛に身を包んだ夕凪だった。
赤地に金色の花模様が描かれた扇子を口に当て、嘲笑う。顔を隠すようにしてこちらを見ているが、その悪意は丸わかりだった。
いつものように雪花を馬鹿にしたような態度。夕凪の隣に座っていた日乃子の顔は強張り、人々は静まり返った。
そんな中、帝だけは気味の悪い笑顔になる。それも雪花にしか分からないように。
「まぁ、夕凪さま。雪花さまは静かに宴を楽しんでいらっしゃるだけですわよ」
「そうなのですか? こんな無表情ですと楽しいのかどうか分かりませんわね」
「そ、そんなこと……!」
「お二人とも、宴の席ですよ」
日乃子が雪花を庇うも、すぐに夕凪に弾かれる。思わず声を張り上げた日乃子を制したのは、ずっと黙っていた雫だった。
「人にはそれぞれの楽しみ方があります。それをとやかく言う必要はありません」
「……っく」
雫の一声で、場は収まった。
雫は、妃たちの中で最も年上で、皇帝と同じ齢二十六。
年相応の落ち着きも、気品もあるが、その容姿は美しく、若く見える。
誰の味方というわけでもなく、いつも真っ当なことを言う妃だ。
帝とは、幼い時から関わりがあるようで、四人の中で最も好意を持たれていることが分かる。そんな妃に注意されては、夕凪も言葉を返すことができないのだろう。
「夕凪」
低い声が上座から聞こえ、皆がそちらを向いた。声の主は帝だった。
「夕凪、今回の宴では、お前がもてなしてくれる予定だったな」
雫に注意され、やや不貞腐れていた夕凪は、満面の笑みを浮かべた。
「はいっ! 主上さま、ただいまご用意致しますね」
さっきの不機嫌さが嘘のように消え、夕凪はその場を後にしたのだった。




