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「十三年ぶりか……」
駕籠から降りた一人の男が、ぽつりと呟いた。
顔を隠すように黒い布を纏った男は、目前に建つ天華宮入り口の門を凝視する。
天華宮の外観はあの頃から何も変わっていないように見えるが、この重たい門の先で待っている現実は大きく変わっているのだろう。
今通ってきた天華国の中心部の光景を思い出す。
一見、平和な華やかな通りに思えた。しかし、よく見れば、一歩入った細道に見えたのは、やせ細り壁にもたれる人や丸まって身体を横たえる人。
(私のいない間にこんなに国内で貧富の差が生まれていたとは)
青空が広がっているが、風はやや冷たい。風の動きに合わせて黒い布が大きく揺れた。
それは、まるで男の動揺している心を表しているようだった。
だが、ここで怯んではいけない。自分にしかできない役割を果たす為にここに来たのだから。
男は拳を作り固く握った。
(なんとかしなくては。私がこの手で)
大きく息を吸い込み、気を引き締めた男は門前に立つ役人に歩み寄った。
黒ずくめのいかにも怪しい男の風貌に、門番たちは顔を顰め、手にしていた槍を構え始めた。
「どちらさまでしょうか?」
「こちらは許可を出された者しか立ち入ることはできません」
門番は敵意が剥き出しだった。それもそうだろう。こんな怪しい人を高貴な方が住まう所に簡単に入れるわけがない。分かってはいるが、極秘でここに来ている為、堂々と名乗ることは避けたかった。
どのように伝えるべきか考え込んでいると、その沈黙が疑われ、さらに険しい顔を向けられた。
「お引き取り願います。中にお入れすることはできません」
「……敦矢殿に用があるのですが」
男の口から出た高官の名に門番たちは顔を見合わせた。
「失礼ですがお名前を……」
不思議そうに問われ、返答に困っていると、鈍い音を立てながら内側から門が開いた。
その先に見えた人物に、男は安堵する。
「あ、敦矢さま……!」
驚いた門番は、槍を引っ込め深々と頭を下げた。敦矢と呼ばれた初老の男は、門番たちの間をゆったりとだけれどもしっかりした足取りで通り、男の目の前にたどり着くと跪いた。
昔と変わらない、丁寧な所作。
「お久しぶりでございます。お元気そうで何よりです。――春陽さま」
「は、春陽、さま……?!」
その名に、ぴん、と空気が張り詰めた。門番たちは目を見開き、布で隠れた男の顔をまじまじと見る。
「敦矢殿、久しいな。そなたも元気そうで良かった。……それと色々と助かった」
「いえ、こちらの方こそ突然申し訳ございません。ご無事で何よりです」
敦矢の細められた目を見て、春陽は胸がいっぱいになった。無事に戻ってこられた実感がひしひしと湧いてくる。
「中に参りましょう。あなた様の部屋はご遊学なされた十三年前からあのままになっておりますから」
「何から何まで感謝する」
「もったいなきお言葉です」
呆然とする門番を取り残し、二人は颯爽と天華宮に足を踏み入れた。
天華宮内は十三年前とさほど大きく変わっていなかった。ふと幼少期のことを思い出し懐かしくなる。
しかし、やはり雰囲気はどこか違う。
父が帝だった時の温かみを帯びた空気感は完全に消え去り、冷たい。
回廊を歩く春陽を侵入者とでも言いたげな表情で見つめ、声を顰めて話をする侍女の姿が多かった。
自室はあの時のままだった。
茶色い文机も二畳台も、まるでここだけ時が止まっているかのような感覚。
ほこり一つ落ちていないところを見れば、春陽が不在でも掃除をこまめにいてくれていたことが分かる。
「さて、それでは色々と話してもらおうか」
黒い布を外し、二畳台に座り込んだ春陽は敦矢と向き合った。文で大まかな現状は知っているが、まだまだ情報は足りない。
「ずいぶんと雰囲気が変わったな」
「えぇ。私も長年こちらにいますが、近頃の天華宮ほど壊れた時代を知りません。ひどいものです」
「それはやはり兄上が?」
「……主上はご自分の感情を第一にお考えになるところがございます。他の者や民はどうだって良いのです」
「……そうか」
「不要ならば切り捨てる。関係がなければ放っておく。それが今の天華宮にございます」
「このまま兄上のところに行っても構わないか?」
敦矢の顔は曇り、なにやら口籠る。
「なにか問題でもあるのか?」
「問題だらけでございます。今は宴会の真っ只中でございますから、お伺いするならば時間を空けてからの方が良いかと」
信じられない言葉に春陽は盛大にため息をついた。
国の頂点、最高権力者としての責務も果たさず昼間から宴会など嘆かわしい。国が、天華宮が傾き出すのも頷ける。
(やはり、私がなんとかしなくては。父上が残した大切なこの国を守らなくては)
その為にここへ戻ってきた。
十三年間好き勝手やってきたこの国の最高権力者をなんとかせねばならない。
国の安定のため、国民の平和のため。
帝を止め、国を立て直すことができるのは
――同じ血筋を持つ自分にしかできないことなのだから。
春陽は強く手を握りしめた。
もう十三年前のようなひ弱な自分ではない。守りたいものをこの手で掴んで離さないようにしよう。
そう心に誓った。
かなりの長話を終えた二人は、回廊を進み、次の目的地に向かった。すると、向かい側から歩いてくる人影が見えた。
俯きがちで顔まで見えないが、銀白の美しい長い髪と白い打掛から目が離せない。不自然に歩みが遅くなった春陽の視線の先に気付いた敦矢は、あぁ、と声を漏らした。
「彼女は六花殿の妃、雪花です」
「六花殿の……」
「はい。私の娘でございます」
「そなた、娘がいたのか?」
「えぇ、まぁ……雪花、大丈夫かい?」
早足で側を通過しようとした雪花を敦矢が呼び止めた。
彼女はぴたりと足を止め、ゆっくりと顔を上げる。
雪のような白い肌に、天色の瞳。それから形の良い薄桃色の唇。
まるで雪の妖精のような姿に春陽は目が釘付けになった。
「……おと、あ、敦矢さま……」
突然声をかけられて驚いたのか、抑えめな声で呟き、敦矢に頭を下げた。
澄んだ空気のような聞き心地の良い声。初対面なのに、彼女の全てに目が奪われる。
「何かあったのか?」
「……いえ、何も……」
敦矢が問いかけても、雪花は首を左右に振るだけだった。
全くこちらを見ようとはしない所を見れば、おそらく春陽の存在に気付いていないのだろう。
にこりともせず淡々と答える雪花に春陽は違和感を感じる。それに、妃が侍女を一人も連れず出歩いているのも不思議だ。
凛とする姿勢が美しい妃だが、それはどこか冷たく、触れてはいけないような空気感を醸し出していた。
「あまり無理をしないように……」
「……私なら大丈夫です。失礼致します」
言葉少なにすぐに立ち去るその背中を思わず見入ってしまった。
(雪花殿、か。彼女からは温度が感じられない。まるで人ではないようだ)
頭の中に彼女の存在が大きく濃く残っていく。
春陽はその妃の後ろ姿が見えなくなるまで回廊に佇むのだった。




