終章
いつも以上に華やかに彩られた天華宮。
至る所から聞こえてくる祝福や驚き、動揺の声。
雪花は目前に広がる光景を陰から眺め、身を固めた。
今日は皇后お披露目の日。
いつもは閉じられている門が大きく開かれ、天華国の民たちも大勢駆けつけている。
自分で決断しここまで来たけど、思わず後退りしてしまいそうになる。
今日のために用意された純白の花模様の打掛に身を包み、煌びやかな冠を付けた自分はまるで別人だ。
いや、別人になるのだ。皇后として相応しい人間に。
そうは思っても人がすぐに変わるのは難しくて、心臓が口から飛び出しそうになり、冷や汗が浮かんだ。
心臓が早く動くたび、雪花の周りの温度が下がっていく。
(大丈夫よ。落ち着いて)
胸の前で手を組み、暗示のように繰り返す。
人前に出ることは怖い。
もしかしたらまた誰かを傷付けるのではないか。嫌な思いをさせてしまうのではないか。そんなことばかり考えてしまう。
――でも。
「雪花」
肩に置かれた大きな手。ぬくもり溢れる柔らかな声が雪花を包み込み、冷えた空気を溶かしていった。
「準備はできたか?」
「……はい、できました」
振り向けば、国の頂に立つ者を象徴する紫色の束帯を身につけた春陽がこちらの様子を伺っていた。
雪花の上から下へと眺め、にこりと微笑む。
「やはり、私が見立てた打掛がよく似合う」
「おかしくありませんか?」
「とても美しい。あなたのこの綺麗な銀色の髪によく合う」
さらりと髪を撫でられ、雪花の頬が赤みを帯びた。優しく触れてくる春陽の指先に意識が向いてしまう。
「大丈夫だ、雪花」
春陽は雪花の手を優しく握った。大きな手は温かくて、それがとても安心する。
「私の隣に立てるのは雪花しかいない。いや、雪花しか許さない。そして何があっても私が守る。だから私の隣で堂々としていれば良い」
春陽の言葉なら信じられる。
雪花は大きく頷くと、二人は手を取り、前進した。
開けた中庭には、後宮に住む妃や侍女、役人、民衆が大勢揃っていた。
重い扉が開かれ、春陽と雪花が姿を表すと歓声が上がる。
そこには雪花を支えてくれていた琴乃はもちろん、日乃子や敦矢もにこやかに立っていた。
さらに、はるばる北雪山から出向いた冬弥たちも少し身を縮めながら雪花たちの方を見ている。
二人はゆっくりと前進し、所定の位置に座った。
「只今より、皇帝陛下ならびに皇后様の即位、お披露目の儀を執り行います」
和正の掛け声で場は静まり返る。
沈黙の中、隣に座る春陽がすく、と立ち上がる音が微かに聞こえた。
「只今から私が天華国皇帝となる。誰もが皆、平等に平穏に暮らせる国になるよう全力を尽くすとここに誓おう」
高らかな春陽の声に、中庭中からざわめきが起こった。
目線をそちらの方に向けてみれば、怪訝な顔をして顔を見合わせ話し込んでいる人の塊が見えた。彼らは民衆たちだった。
「主上さまが変わっただけで本当に我々の生活は豊かになるのかしら?」
「信じられないわよね」
負の声の波紋が広がっていく。今まで民衆が抱えていた国への不安が一気に流れ出ていた。
さらに。
「あの氷の妃が皇后になるとはね」
「あれ?子を身籠った方が皇后になれるのではなかったの?」
「この前のような騒動が起きなければ良いけど」
「妖の力を持つ人ってこの国に結構いるって話よ。天華国は大丈夫なのかしら」
雪花の力や妖のことを目の当たりにした天華宮の侍女たちも口々に好き放題言っていく。
所々から向けられる視線が痛く、雪花は逃げ出したくなった。
「……っ」
しかし、隣の春陽を盗み見れば、拳を握り締め、強く唇を噛んでいた。ここで発言を間違えれば火に油を注ぐことになる。それを避けるためにぐっと堪えながら言葉を探しているように雪花には見えた。
(春陽さま……)
小刻みに揺れる手が目に入る。自分はこの手に何度救われただろう。
――国の頂に立つことになる私を支えて欲しい。
いつかの春陽の言葉が脳裏に浮かぶ。
救ってもらうだけではなく、皇后として隣に立ち、共に歩きたい。
春陽に見合う人になりたい。
人目が怖いと、ここで止まっていられない。
だから――
雪花は大きく息を吸い込むと、ゆっくり立ち上がった。
雪花が一歩踏み出した瞬間、ふわりと冷たい風が流れ、人々の頬を優しく撫でた。
「気持ち良い風……」
「あら? 私何故今まで熱くなっていたのかしら?」
風の心地良さに人々の怒りは不安は和らぎ、皆話すことをやめ、風に当たった。
張り詰めていた空気が、すっとほどけていくのが分かる。
そして雪花は春陽の熱くなっている拳を両手で包み込むように握った。
はっとした顔で春陽がこちらを見る。雪花は笑みを向けた。
「大丈夫です、春陽さま。わたくしがお隣にいます」
「……雪花」
「皆様も分かってくださいますわ」
熱すぎた手から熱が引いていく。強張っていた春陽の顔つきが柔らかくなった。
「ありがとう、雪花」
春陽は深呼吸をすると、再び話し出した。繋がれた手からは緊張や不安が伝わってくる。それを包み込むように、雪花はしっかりと握る。
「皆が感じている不安は最もだと思う。今まで辛く、不便な思いをさせて申し訳ない。だが、少し私に時間をくれないだろうか? 皆が平穏に暮らせる国を作るために今までの掟を排除し、新たなものを作っていこうと思う。それから」
春陽は言葉を切ると一瞬雪花を見た。
「この天華国には強弱はあるが、妖の血を持って生きている人がいることが判明した」
「どういうこと?」
「妖?」
その途端、今まで知らなかった人が密やかに声を上げる。それもそうだ。突然言われても驚くだろう。
今度は雪花の手に力が入る。
「妖の力を持つからと言って、何も変わりはない、大切な天華国の民の一員だ。だからもう怯えずに生きて欲しい。私が守ると約束しよう」
所々から鼻を啜る音が聞こえた。
「そして、私は隣にいる雪花を皇后とし、良き国になるよう二人で協力していくことをここに誓う」
人々からの視線が雪花に集まっていることがひしひしと伝わる。目の多さに思わず尻込みしそうになった。
春陽はちらと雪花を見ると力強く頷いた。その目からは「大丈夫だ」と雪花への励ましがひしひしと伝わってくる。
もう、さっきまでの戸惑う春陽はどこにもいない。
その姿は国の頂に立つ者として相応しい堂々としたものだった。
「ふふっ」
思わず雪花から笑みが溢れた。
やはり春陽は、いつも雪花を守ってくれるのだ。
雪花は笑みを崩さぬまま前を向き、人々を見た。
今まで無表情だった雪花のにこやかな美しい笑顔に場は静まり返った。
皆目を見開き、その笑みに釘付けになっている。中には頬を赤らめる人もいた。
「皇后として、皆様のお役に立てますよう、そして春陽さまを支えられますよう精進して参ります」
「なんて優しい笑みなの……」
「……綺麗」
美しい言葉と所作、笑みに大歓声が上がった。
「我々についてきて欲しい。この国を良きものにすると誓おう」
「わぁぁぁぁっ!!」
――ここにいれば、彼の隣にいれば大丈夫。
雪花は満面の笑みで春陽を見て、そして二人は笑い合った。
ふわりと風が吹く。
風は少し冷たいが、それに身をすくめる人は誰一人としていない。
柔らかな風は優しく人々を包んでいく。
雪花が笑みを浮かべた時、庭先の梅の花が、春の訪れを祝うように一つまた一つとほころび始めるのだった。
天華宮の氷の妃、これにて完結です!
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