4
春陽は寒さが厳しい北の山の麓にある村に辿り着いた。北雪山と呼ばれるこの山は、冬になると雪に覆われるが、夏もあまり気温が上がらないことで有名だった。
一年中低い温度を保っているここに住む人はあまりいないという。
確かに、村内は閑散としており、あまり人の気配がしない。
春陽は連れてきた数名の側仕えと共に、周囲の踏査を始めた。
村は雪に覆われているが、人や動物の足跡さえも見当たらない。吹き付ける冷たい風の音だけが響く寂しいところだった。
「人が見当たりませんね」
和正が辺りを見回しながら呟く。昼間というのに灰色の厚い雲が覆われた一帯は、視界が悪く見えづらい。
「過疎化した所だとは聞いていたが…… 雪花はこんな寂しいところに住んでいたのか?」
目を凝らしながら奥へと進んでいく。
村の奥には、何かを祀っているであろう、祠が建てられていた。ほこり一つなく、毎日丁寧に掃除されていることが伝わってくる。
(一体誰が……?)
ここで待っていれば人が来るかもしれない。そんなことを考えていれば、祠の奥の茂みががさっと揺れた。
(なんだ?)
がさがさと大きな音を立てる茂みに、人々の注目が集まり、構える。
「いっちばーん!」
ぽん、と勢い良く飛び出してきた人物を見た春陽は目を丸くした。
「こ、ども……?」
雪花と同じような銀色の髪の男の子。四、五歳くらいだろうか。青い着物を着て無邪気に笑っている。
「待ってよーお兄ちゃん」
その後ろ、追って出てきたのは三歳くらいの女の子だった。やはりこちらも銀色の髪である。
二人の子どもは、春陽たちに気付かず、祠の前に来ると胸元から布巾を取り出し、祠を磨き始めた。
「今日もピカピカにしましょうねー」
「俺たちのおかげで雪神さまも喜んでいるさ」
仲睦まじい声が静かな村にこだまする。春陽は和正と顔を見合わせた後、二人に声をかけた。
「あの、すみません」
突然の声がけに、幼い二人は身体を震わせ、こちらを見た。天色の瞳が春陽を捉える。
「えっ、あ、う……」
なぜか目が潤む女の子の前に、男の子が立ちはだかり、春陽を睨んだ。
「……おい、どこから来たんだ。ここは来ていい場所じゃない! 帰れ!」
勢いよく言われるが、よく見れば男の子の肩も震えている。それもそうだ。大きな男たちに囲まれれば、恐怖を感じるだろう。
春陽は跪き、笑みを浮かべた。
「勝手に申し訳ございません。私は春陽と申します。少々調べ物をしておりまして。どなたか大人の方はおりませんか?」
「調べ物?」
優しく笑む春陽にいくらか警戒心が解けた男の子は、怖い顔を止め、春陽を見た。
「えぇ。この北雪山について調べていたのです」
「ここを調べてどうするんだ?」
「……そうですね」
男の子の問いに、春陽は空を見上げた。分厚い雲からは雪が舞い落ち始めた。ふわ、と春陽の頬に落ちてじんわりと冷たさが広がっていく。
「……どうしても助けたい方がいるので、そのために」
「ふうん。じゃあ、長のところに連れて行ってやるよ。俺は氷雅、こいつは妹のつらら」
氷雅は未だ彼の後ろに隠れている女の子を指差した。つららは顔をのぞかせ、小さく頭を下げる。
「それは助かります。どうもありがとう」
「こっちだぜ」
氷雅とつららを先頭に一行は歩き出した。
雪に覆われた茂みを抜ければ、そこは目が奪われる白い世界だった。
中心には城のようなものが建っている。
春陽も側近たちも息を呑んだ。
一面には身震いしそうなくらいの雪が降り積もっているのに、寒さは全く感じない。
「ここは一体……」
「今、長を呼んでくるよ」
氷雅とつららは吸い込まれるように、目の前の建物に入っていった。
屋根も壁も扉も、全て白く染められた大きな城。天華宮の建物にも劣らない雅で神秘的なそれに目が釘付けになった。
呆然としていると、ぎぎ、と重い音と共に一人の青年が顔をのぞかせた。
銀色の短髪に、天色の瞳。すらりと手足が長く、上背があった。
身につけている着物も袴も、羽織も真っ白で、まるで雪の中から出てきたような麗しい人。
「……氷雅が言っていたお客様とはあなた方でしょうか?」
おっとりとした口調で問いかけられ、春陽は深く頷いた。
長を呼ぶと言っていたが、不在だったのだろうか?
そんな疑問を抱いていれば、目の前の男は手にしていた扇子で口元を隠しながら、きっぱりと言った。
「お引き取り下さい」
「……は」
目つきは鋭く、近寄らせないと言わんばかりだった。突然の訪問に気を悪くされたのだろうか。春陽が口を開く前に、隣の和正が一歩前に出た。
「言葉を慎みなさい。こちらにおられるのは、我が天華国皇帝の弟君であらせられます」
「帝の弟、か」
男の目がさらに細められた。その瞳からは憎悪が感じ取れる。
「それなら更に用はない。とっとと立ち去るが良い!」
男が扇子を大きく一振りすれば、強い風が巻き起こった。思わず目を瞑り、腕で顔を隠す。側仕えたちの野太い声がこだました。
(なんて強い風……)
しばらく強風が続いたが、突然びたと止んだ。顔を上げれば、瞠目する男と目が合う。
「なぜ、効かぬのだ……」
言葉の意味がわからず、春陽は首を傾けた。しかし、異変にすぐに気付いたのだった。
「……! 他の者は……!」
春陽の横や後ろに仕えていた側仕えの姿が一人も見当たらない。驚きのあまり固まっていると、男は「……そうか」と一瞬目を見開いたかと思えば、考え込むように呟いた。
何も理解できていない春陽はただただ困惑するばかりだった。目の前の男の言っていること、他の者の行方、何から解決すべきか分からない。
「大丈夫だ。他の者は先ほど通った祠のところへ戻したまでだ」
ゆったりとした声に変わった男は、深々と頭を下げた。
「先ほどまでのご無礼、申し訳なかった。あなた様の話を聞くとしよう」
「え?」
急な変わりように、春陽は訝しんだ。何が目的なのだろう。でもまずは、ここに来た目的のために動くことが得策なはずだ。
「私はここ一帯を治めている冬弥と申す。ではこちらへ」
丁寧に名乗った冬弥は、戸惑う春陽を連れ、屋敷の奥に進んだ。
冬弥に連れられて足を進める春陽は、すれ違う人々を見て、不思議な感覚に陥った。
(雪花殿と似ている方ばかりだ……という事はこの方々も……)
ここにいる人々は皆、美しい銀髪に天色や青色の瞳を持っていた。瞳の色が人によって違う。いや、ほとんどが青系だが、その濃さに差がある。
(雪花殿と似たような力を持つ者たち……なのか?)
顎に手を当て考えながら歩けば、屋敷の一番奥、一面硝子張りの美しい部屋に辿り着いた。壁も床もきらりと輝き、眩しい。氷の欠片を集めて固めたようなその部屋に春陽は目を瞬かせた。
「この部屋、氷でできてるなんて言ったら驚くかい?」
春陽用の椅子を用意した冬弥は、いたずらな子どものような笑みを作った。
「氷で、ですか?」
雪の結晶みたいな煌びやかな部屋が氷でできていると聞いてもそこまで驚かなかった。しかし、氷の冷たさを感じないから不思議。
「ここの氷は特殊でね。冷たくないし、溶けないんだ。さ。こちらに」
促され、これまた氷で作られたであろう透明な椅子に腰掛ける。やはり冷たくはない。
「さて、本題に移ろうか」
冬弥の顔つきからは、もう敵意も憎悪も感じ取れなかった。春陽の話に耳を傾けようとしてくれている。
春陽は、天華宮にいる氷の力を持つ妃についてかいつまんで話をした。
話を終え冬弥を見れば、目を大きく見開き、呼吸するのも忘れているようだった。どこからか冷たい弱風が漂う。
「あの……?」
「……生きていたのか」
「え?」
「雪花は、生きておったのか……」
彼女の名の呼び方的に知り合いだったのだろうか。冬弥は額に手を当て、歯を食いしばる様に下を向いた。
「……あ」
そしてどういう訳か、麗しい青年の姿から徐々に皺が増え、白い髭を蓄えた老人へと姿が変わっていく。
春陽は言葉を失った。
自分の目の前で起きていることは夢、なのだろうか。瞬きを繰り返すが、いくら目を開いても変わらない。
老人は、驚く春陽を見て力なく笑った。
「驚かせてすまんな。これが私の本当の姿なんじゃ。久しぶりに聞いた名に驚いて術が解けてしまった」
凛々しい声から柔らかい声質に変わり、照れたように頭をかいた。
「術……ですか?」
「そうじゃ。私らは術で容姿を若く見せることができる」
「それは、すごい……ですね」
春陽は心の中で頭を抱えた。ここ数分間の出来事が現実からかけ離れており、理解に苦しみ、眩暈がする。
「私はこの北雪山一帯を治める雪妖の長。もう何百年と生きておる。天華国は遥か昔妖の国じゃったという話は知っておるか?」
「はい、軽く存じています」
「そうかそうか。私は何百年も生きている正真正銘の妖じゃ。この国に人間が侵攻してきた時のこともよく覚えておる」
「……」
「そして雪花のことじゃが、彼女の母親は雪妖の一族、雪女じゃ」
「雪女……」
「その母親の強い妖力を引き継いだ雪花は人間でありながら、妖の力を持っているのじゃ」
「妖の力を持つ人間……」
「雪花の母親は妖じゃが、人間の男と恋に落ち、子を儲けた。それが雪花じゃ。だから雪花は人間でありながら妖の力を持っている」
この国の成り立ち、妖の存在、雪花の力。
春陽の中で点と点が線で結ばれていった。




