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 帝が帰ってどのくらい経ったのだろう。

 気が付けば意識が朦朧としていた。

 開け放たれていた襖もいつの間にか閉じられ、氷で覆われている。

 天井にも壁にも氷の膜が張り、まるで氷の世界に閉じ込められているよう。

 床にはきっと雪花が落とした涙の跡だと思われる、氷の欠片が無造作にいくつも転がっていた。

 氷は虹のような輝きを見せるが、とても冷たくて寒い。

 長い間ここにいたからか、雪花は身体の芯から冷え込み、手や顔は真っ赤になっていた。


(部屋の中がこんなに氷に覆われていたら、きっと部屋の外……いえ六花殿ごと氷漬けになってしまっているかもしれないわ……)


 確かめようにも、身体に力が入らなかった。立ち上がりたくても身体が言うことを聞かず、床に縫い付けられたように身動きが取れない。

 それでもなんとか這うように前に進み、襖に手を掛けたが、襖はぴったりと閉じびくともしなかった。


(わたくしの力が強すぎて開かなくなってしまったのね……)


 雪花の感情が収まらなければここを開けることはできないだろう。だが、いつまで経っても心穏やかになることはなく、胸の奥がざわざわと揺れていた。


『他の妃を巻き込みたくないのであれば、余計なことを吹き込まないことだ』


 帝の声が蘇る。

 私が何をしたというのだろう。

 確かに、今までどの妃とも関わりを持つことなく一人で過ごしてきた。だが、日乃子が最近やたらと声を掛けてくれるのは、別に雪花が頼んだ訳でもないし、そう仕向けた訳でもない。

 日乃子自らの判断だ。

 でも正直、嬉しかった。雪花の内面を見ようとしてくれる人がいることはこんなにも心があたたかくなるものなのかと改めて実感できた。

 表には出さなかったが、日乃子との関わりは雪花に少しの安心をもたらしてくれていたのだ。


 それなのに帝は、気に入らないという単純な理由で日乃子に危害を加えた。あの優しい妃はどれだけ傷ついただろう。穏やかな顔が歪む姿なんて想像もしたくない。


(わたくしのせいで…… わたくしと関わったから日乃子さまは…… )


 胸が痛い。とてつもなく痛い。

 感情が表に出ないことはそんなに悪いことなのだろうか。

 これまでも、楽しい席で仏頂面をしていると楽しくないのかと問われることもあったし、悲しい場面で涙をこぼさないと心がないのかと言われたことある。

 子どもの頃のように素直に出せたらどれだけ楽だろう。どれだけ良いだろう。

 でも今、雪花が感情を高めて出てくるのは氷の力だけなのだ。

 なぜこの力を得たのか確かではない。 

 両親を失ってからからいつの間にか備わっていたからどうすることもできないのだった。


(このまま氷漬けになってお父さまとお母さまの元へいけないかしら……)


 再び意識が朦朧とし出し、そんなことが頭をよぎる。


 もう疲れてしまった。雪花がいなければ周囲の人々はもっと快適に暮らせるように思う。

 雪花の態度に怯える侍女も解放され、帝も美しく愛嬌の良い新しい皇后候補を召し上げれば良い。そうすれば皆が平和だ。

 さっと強い風が吹き、弱った雪花の身体を揺らす。寒さに耐えられなくなった雪花の身体は大きく傾き始めた。


(……これで楽になれるわ……)


 身体を立て直そうとする気力はもうなかった。目を瞑り、抵抗せず全てを受け入れた時だった。


「雪花殿!」


 聞き馴染みのある柔らかい声が聞こえ、そっと身体が何かに包み込まれた。

 最近よく鼻に届いていた優しい香の匂いが漂う。


「雪花殿っ、雪花殿……!」


 穏やかな声に誘われるようにゆっくりと目を開くと、そこには至近距離でこちらを見つめる春陽の顔があった。

 麗しい顔を歪め、泣きそうな顔で雪花を見ている。


「……はる、ひさま……?」


 やっと出た声は頼りなく震えていた。


「はい、そうです。大丈夫ですか?」


 身体に感じる温かさに段々と意識がはっきりしていき、春陽に抱き止められていることに気が付いた。


「……も、申し訳、ございません」


 身体を起こそうと身をよじるが、どうにも動けなかった。

 そんな雪花を見て、春陽は困ったように眉を下げて笑う。


「身体がとても冷えています。無理に動いてはいけません」


「……あ」


 その言葉で、今のこの部屋の有り様を思い出した。

 春陽に氷で覆われた冷たい部屋を見られてしまったと、どくんどくんと胸が大きな音を立てる。

 しかし、こんな惨状を見られてしまっては言い逃れはできない。雪花は腹を括った。


「は、春陽さま……これは……」


 春陽から視線を逸らし、部屋を見回した雪花は目を丸くさせた。

 氷に包まれていた部屋は、もうどこにもなかったのだ。氷は全てなくなり、いつもの雪花の部屋だった。

 それに、いつの間にか冷たい風も止んでいた。


(なぜ氷が溶けているの……?)


 こんなこと今までなかった。雪花の気持ちが落ち着かない限り氷が溶けることはない。

 それなのにまだ感情が昂っていたにも関わらず、力の発動を抑えられたのだ。

 あんなに固かった襖も大きく開け放たれている。

 呆然とする雪花を春陽は軽々と抱き上げた。


「は、春陽さま……? おろして下さい……!」


 驚いて強めに言う雪花の言葉を、春陽の笑みが制した。


「こんなに冷えてしまって。とりあえず暖かいところへ行きましょう」


 有無を言わさず、強制的に春陽は雪花の自室を離れたのだった。

 

 

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