帰還するも
岡崎城・中庭
本證寺の一揆を見事に鎮圧し、松平軍は意気揚々と居城である岡崎城へと帰還した。
……はずだったのでありましたが。
「これより戸田忠次並びに勝則の戦功の式を執り行う。――が、その前に!」
家康は城門を潜るなり大真面目な顔で手を叩いた。
するとあらかじめ中庭に待機していた大勢の小者たちが、湯気を立てる巨大な五右衛門風呂と、大量のたわし、そして香草を抱えて一斉に走ってきた。
「忠次、勝則。お前たちのために、家康様直々のご下命で既に最高の風呂が用意されておる。一歩も奥へ進まず、そこで衣服を全て焼き捨て身を清めよ。」
案内役の本多忠勝が、まだ少し鼻声のまま神妙な面持ちで告げた。
「な、なんと……! 殿自ら、我らのためにこれほど見事な湯を用意してくださるとは!」
忠次は感激のあまり、泥の塊をボロボロと畳の上に落としながら平伏しようとした。
「おい、畳に触るな! 近寄るな!」
家康が凄まじい勢いで扇子を突き出し、悲鳴のような声を上げる。
「殿。お気持ちは大変嬉しく存じますが、我らは武士にございます! 戦の報告を終え、殿への拝謁を済ませてから、恐れ多くも湯に浸からせていただくのが筋かと!」
勝則までもが、生ゴミを頭に載せたまま生真面目に遠慮してみせた。
その様子をじっと見つめていた家康は、額に青筋を浮かべ、死んだような目で一言、こう一蹴した。
「そういう問題では無い」
「は?」
「いいから黙って洗え。全身の皮が剥けるまで洗え。さもなくば、お前たちの戦功をすべて取り消しにして、一生そのままで暮らしてもらうぞ」
「は、ははぁっ!」
こうして、三河一向一揆で最大の戦功を挙げたはずの戸田兄弟は、大名からのお褒めの言葉よりも先に、たわしを持った小者たちに囲まれ、涙目でゴシゴシと身体を磨かれる羽目になった。
岡崎城・本丸。
数日後。身体からの異臭が完全に消え去り、香草の清々しい香りを漂わせた戸田兄弟は、ようやく家康との目通りを許された。
「戸田忠次、ならびに勝則。これへ」
上座に直った松平家康の表情は、数日前とは打って変わって、一国の主君たる威厳と鋭さに満ちていた。
戸田兄弟が平伏すると、家康は静かに頷いた。
「本證寺での働き、実に見事であった。難攻不落と謳われた要塞を一滴の血も流さずに陥落させたこと、我が松平の歴史に永く語り継がれるべき大戦功である。……して、身体の具合はもうよいのか?」
「はっ。殿の手厚きお計らいにより、不浄の穢れは微塵も残ってございませぬ。」
忠次が真面目な顔で答えると、家康は「うむ」と満足げに息を吐いた。
「ならば、休む間もなく次の命を下す。――忠次、お前にしかできぬ役目だ。」
家康の目が、すっと細められる。
ここからは、三河の覇権をかけた、次なる泥沼の知略戦であった。




