"ゲロ"と"外道"と"チョコレゐト"③
さすがに俺も飲みすぎた。受験中に酒を飲まなかった俺の肝臓は久方ぶりに注ぎ込まれたアルコールを必死に分解していた。
もちろんトイレも近くなる。今日何度目になるかわからないトイレに行くと、個室から子供用運動靴(コーナーで差をつけるタイプのスニーカー)を履いた片足が見え隠れしていた。
恐る恐る個室を覗くと、
そこには下半身を丸出しにし、便器を抱える、かつてカズヤだった何かがいた。
さすがに5月とはいえ、肌寒い夜もある季節だ。
尻を丸出しにしていては風邪を引くだろうと思いカズヤに近づく。
むにゅ。
なんともいえない違和感が、俺の視線を足元に惹きつける。
…………。
あぁ。
こいつ、やりやがった。
俺もさまざまな修羅場を乗り越えてきたつもりだが。
まだ、新しい発見があったとはな。
大学生とは恐ろしいものだ。
……。
小野ちゃん。大丈夫。
腐れ外道は地獄のチョコレート工場で生産者になっていたよ。
だから安心して、また一緒にテニスしような。
…………。
まあ、よかった。
こいつが地獄の給食センターでカレーを作っていたら、被害は右足一本程度では済まなかっただろう。
お前の生産したチョコレートは俺が責任を持って墓場まで持っていくことにするさ。
カズヤの丸出しの尻をしまい、右手でチョコレートを拾い上げた俺は、すかさず便器に放り投げて水を流した。
嘔吐物が喉に詰まっていないか、意識はあるのか確認し、手を洗う。
うん。こいつも頑張ったな。
気を失い、尻を丸出しにしたカズヤを見て、こいつとは仲良くなれそうだと思った。
俺の記憶はここまでだ。
◇◇◇
目が覚めると俺はロータリーの横にある植え込みの中にいた。
新歓に向けて気合を入れて選んだ服がゲロまみれだった。
誰のゲロかは分からない。多分、俺のだと思う。
あたりを見回すと、ドンキで買った新しいシャツを着たアフロ先輩やちゃんとズボンを履いて意識を取り戻したカズヤ、飲み会の途中で姿を消したブスを含むサークルメンバーが、缶チューハイを片手に死体達を見張っていた。
小鳥の囀りと巨大なネズミ。
目覚めた俺に着替えを渡すアフロ。
これが後に語られるリプトンの伝説『サブレ・レクイエム』の全てだ。
◇◇◇
次のリプトンの練習に、小野ちゃんはいなかった。
その次も来なかった。
同期のグループLINEから抜けたわけではないので、完全にフェードアウトしたわけではなさそうだ。
まぁ、新歓の飲み会で調子に乗った結果、先輩のアフロに嘔吐して涙ながらに退場していったのだ。
顔を出しにくいのも無理はなかろう。
チョコレート工場の生産者は今日も元気に空回っているというのに、女子というのはやはり難しい。
結局、アフロ先輩と恵美子先輩が図書館から帰る途中の小野ちゃんを捕まえて連れてきた。
でかい二人に挟まれた小野ちゃんは、無理やり連れてこられたと文句を言いつつも、少し嬉しそうに見えた。
「おー!小野ちゃん!元気だった?」
「早く着替えてテニスしよ!」
「練習始まるよー!」
何事もなかったかのように声をかけるサークルの仲間たち。
「この間は、すみませんでした。」
恥ずかしそうに謝る小野ちゃん。
「ゲロ?ゲロなんてよくある話でしょ!」
「一女のゲロ掃除など、むしろご褒美とも言えよう」
「あまりリプトンを舐めるなよ。アフロは去年ゲロと尿を撒き散らしていたぞ」
気色の悪いことを言っている奴もいるが、場ゲロなどはこのサークルにおいて瑣末なことだと平然と伝える先輩たち。
「こいつなんて植え込みでゲロまみれ!ネズミの餌になるところだったんだぜ!」
俺をネタにして乗っかるチョコレート工場。
「あぁ、家に帰ってお母さんにめっちゃ怒られたな。『22歳にもなってなにやってるの!?』って」
大袈裟にお母さんの真似をして話してみた。
「その顔でお母さんに怒られてるの!?」
よかった。小野ちゃんが少し笑ってくれた。
「22歳になって大学に入学した我が子がゲロまみれになって帰ってきたわけだからな。そりゃあ甘んじて尻を叩かれるさ。ちなみに親父は笑ってた」
ちょっと話を盛ってみた。本当は尻を叩かれてはいない。
「サブレはお父さん似なんだね」
「そうかもしれない。親父の面白エピソードはたくさんあるが、練習の後に話そう」
「うん、着替えてくる」
といつも通りの小さい声で呟き更衣室に向かう小野ちゃん。
突然無理やり連れてこられたみたいな顔してたけど、運動着、持ってきてるじゃん。
さて、今日の練習は……。
「サブレ」
「ん?アフロさん。今日、俺球出ししましょうか?」
「お前、うちのサークル向いてるな」
「え?そんなにヤバいおじさんに見えますか!?」
「そういうことじゃねーよ」
と、肩を組んでくるアフロさん。
「うち、入るの?」
「え?もう入ってると思ってましたけど」
「そっかそっか!いいじゃん!」
嬉しかった。
偽物の大学生だった俺は本物の大学生になって五十を超えるサークルの新歓に参加した。
今度はもちろん合法だ。
ダイビングサークル、漫画研究会、料理研究会、ワンダーフォーゲルサークル、温泉サークル。
どこも楽しかったしみんないい奴らだった。
それでも、この生まれつきチャラい顔が、左耳のピアスが、10代を遊んで暮らしていた経験が……二十二歳という年齢が、俺自身に「自分は異物だ」と思わせた。
話していて楽しい。誘えば次も来てよと言ってくれる。俺だってまた行きたいと思う。
なのに、次の新歓を探していた。
俺は五十を超えるサークルに顔を出しても、自分がどのサークルに向いているのかわからなかった。
そんな俺を見てアフロ先輩は「向いてるよ」と言ってくれた。
どうやら俺は、ゲロを吐くのが当たり前のサークルに向いているらしい。
ゲロと尿を撒き散らすテニスのうまいアフロ。
気まずくてサークルに顔を出せない子を無理やり連れてくる美女。
調子に乗って飲みすぎた挙句先輩にゲロをぶちまける小娘。
己がクソを漏らしたことすら気づかずに人を笑いのネタにする外道。
ゲロまみれで帰宅してお母さんに怒られる二十二歳。
異物感はゼロだった。
※この物語は、法律・法令に反する行為を容認・推奨するものではありません。




