"勉強"なんかできなくてもいい③
二十二歳になる年。
俺は高田大学の商学部に合格した。
合格したことを知った母さんは泣いた。
親父はと言うと
「何学部に受かったんだ?」
「商学部だな」
「政治経済は?」
「落ちたな」
「俺は昔受かって蹴ったけどな」
「そうか」
とマウントをとってくる始末だ。素直に褒めることはできないのか。
◇
少しして。
真帆が、合格祝いに焼肉へ連れていってくれた。
「俺が奢るんじゃないのか?」
「今日は合格祝いだから私が奢るよ」
「ほう。言うようになったもんだな」
「今では私が社会人なのだ!学生君は奢られてなさい」
「確かにな」
ビールが届いた。
真帆がグラスを持つ。
「祐介、高田大学合格おめでとう」
「ありがとうな。真帆」
グラスを合わせた。
二年間全く飲んでいなかったせいか、久しぶりのビールはめちゃくちゃ美味かった。
「本当にすごいと思うよ」
「もっと褒めてもいいぞ」
「二年間よく頑張ったね」
「もっと」
「調子乗ったので閉店でーす!ガラガラー!」
「開けろー!開けるんだー!」
「ヴヴヴーン!ヴヴヴーン!」
「警報が鳴ってしまった!」
「ははは!変わらないねー」
「真帆もな」
くだらない小芝居をしやがって。
変わらないな。
あいかわらず、真帆といるのは楽しい。
「タカシは元気か?」
「しばらく会ってないけど、チャラチャラしてるらしいよ」
「調子に乗っているようだな」
「あーでも、彼女と別れたって言って泣いてたらしいよ」
「彼女にフられて泣くなら女遊びなどしなければ良いものを」
「ふふ。彼女にフられて泣いてた人は説得力が違うね」
「フった方も泣いてたがな」
「ははは!若かったねー」
「青春だな」
肉を焼く。
食う。
飲む。
久しぶりに二人で飯を食ったが、思ったより何も変わらなかった。
恋人だった頃と同じように話せる。
しかし、恋人ではない。
それが嫌ではなかった。
「そうだ」
真帆がカバンを漁った。
「これ、持ってきた」
テーブルの上に、小さなアルバムが置かれた。
「何これ?」
「本当は二周年の記念日に渡そうと思ってたやつ」
「……二周年?」
「うん。途中まで作ってたんだ!」
「準備してたのか……」
「せっかくだから完成させて持ってきた!」
あの頃、真帆もこっそり二年記念日の準備をしていたらしい。
二人揃って無駄な準備をしてしまったようだ。
まぁ。
本当は、無駄な準備だなんて全く思っていないがな。
アルバムを開いてみた。
……。
東京へ出てきたばかりの頃、金がなくて、でもカッコつけたくて俺が作った飯の写真。
『アクアパッツァなんて初めて家で食べたよ!美味しかったです!ありがと!』
(俺も初めて作ったんだよな。アサリの砂抜きがちゃんとできてなくて、ジャリジャリしてたな……)
サークルの飲み会に真帆を迎えに行った時、誰かが撮った後ろ姿。
『友達にイケメンの彼氏を自慢しちゃいました!サークル終わりに迎えに来てくれてありがと!』
(俺は少し気まずかった。何せ"新歓荒らし"の張本人だ。真帆とタカシはよくあのサークルを続けられたもんだと思っていた)
二人で食いに行ったまずいラーメン。
『新しくできたラーメン屋!口に合わなくて食べきれないのを祐介が美味しいって言いながら食べてくれたね!ありがと!』
(実は俺もまずいと思っていた。カッコつけて食ったけど、後で隠れて吐いた。食中毒にならなくてよかったな)
真帆のくれたアルバムには、二人で行った思い出の場所、俺の知ってる写真も知らない写真もあった。
そして、すべてのページには、
……。
俺に向けたたくさんの「ありがとう」が書かれたカードが貼り付けられていた。
「待て」
「何?」
「なんだこれは」
「ふふ。毎日一枚ずつ書いてたんだよ」
「毎日?」
「毎日一個ずつ、今日の祐介に"ありがとう"って思ったことを紙に書いてとっておいたのだ」
真帆が笑った。
「そんな毎日活躍した覚えはないぞ」
「捻り出したんだよ」
「うんちみたいにか」
「こら!食事中!」
「はっはっは」
一枚一枚カードを読んでみる。
『トイレの水が止まらなくなったけど、直してくれた!すごいね!』
「あれは流すレバーが上がりっぱなしになっていただけだ」
「私は見てもわからなかったから助かったんだよ」
『新歓で先輩の手に吐いたの、私が怒られそうだったからなの?タカシに聞いて、嬉しかった!』
「あれは気持ち悪かっただけだ。記憶がない」
「ふふ。そういうことにしておいてあげよう」
『夏風邪だーつらい。でも、バイトを早退して看病してくれた。ありがと!』
「真夏に高熱を出しているやつに熱々のおかゆを作ったのは未熟だったな」
「おいしかったよ?」
『やっさんにちゃんと正社員について聞いてくれたんだってね……。ありがと!』
「やっさんめ。バラしやがったな」
「……祐介もちゃんと考えてたんだってね」
『大好きだよ!これからもずっと大好き!一緒にいてくれてありがと!』
「泣いてもいいか?」
「いいよ」
「嘘だがな」
「泣いてるじゃん」
「真帆もな」
「ホルモンの煙だよ」
「俺もだ」
アルバムをめくる。
例の鶴岡八幡宮デート。知らない外国人に真帆がお願いして写真を撮ったことを思い出す。
『デートで来た鎌倉!よくわからなそうにしてたけど、私の行きたい場所についてきてくれてありがと!』
(あの時は真帆しか見てなかった。今なら、もっと他のものも見れると思う。でも、結局真帆のこと見てるんだろうな)
写真の中の俺は笑っていた。
真帆も笑っていた。
あの時だって楽しかった。
あの頃は、源実朝も、実朝を殺した公暁も知らなかった。
なんなら初代将軍の頼朝だって、織田信長だって、伊藤博文だって知らなかった。
もちろん、知らなかったから、あのデートに意味がなかったわけではない。
ただ。
今同じ場所へ行けば、あの頃とは少し違う景色が見える。
それが何となく嬉しかった。
「真帆」
「ん?」
「お前がいい女で本当によかったよ」
「何それ」
「俺が勉強始めるきっかけになった賢くて良い女が、後から考えたら雑魚のチンパン女でしたってなるとエピソードトークが盛り下がるからな」
「それはそれで盛り上がるんじゃないかな」
「でも真帆はやっぱりいい女だな」
「……ありがと」
「顔も可愛いしな」
「そこ?」
「大事だろ」
笑われた。
俺も笑った。
多分。俺はまだ真帆のことが大好きなのだと思う。
真帆も、俺に愛情はあるのだろう。
でも、俺たちの恋愛は、もう終わっていた。
大好きな人とは付き合わなければならない。
そんな決まりはない。
大好きな人が幸せなら、それでいい。
その幸せにする人間が、自分である必要だってない。
これまで黙ってたが、二周年の準備を俺も割と頑張っていたことを話した。
「それでな、やっさんに習ってタイのポワレを練習していたんだ」
「えー!食べたかったなー!」
「タカシと一緒に選んだネックレスなんてのも用意していたんだがな」
「そうなの!?えー、欲しかったなあー」
「いらないんじゃなかったのか?」
「わざわざ買って欲しいとは言わないけど、くれたらそれはそれで嬉しいの!」
「女ってのは難しいものだ」
「そう!難しいんだよ!」
「サプライズにしていたのが敗因か」
「それはわからないけどね」
「俺にはとんでもないサプライズが待っていたな」
「ははは!準備したものはどうしたの?」
「ネックレスは今頃タカシの女の中の誰かが使っているんじゃないか?」
「よこせ!取り戻してこい!」
「鯛はチョモランマのみんなで食べたな」
「ずるい!取り戻してこい!」
「やっさんの腹を裂いてこいというのか!?」
恐ろしいことを平気で言ってくる。
面白い女だ。
そんな真帆には最近、いい感じの男がいるらしい。
「どんな男なんだ?」
「合コンで知り合った」
「いいな合コン。大学生になったら俺も行きたいな」
「高田大学を出ていて」
「ほう。俺の先輩というわけだな」
「顔は悪くない」
「俺よりか」
「そんな人間はいない」
「ふっ。続けてくれ」
「商社マンの年上」
「金持ちなんだな」
「給料は高そうだねー。良い時計してるし」
「高そうな時計か。どのくらいするんだろうな」
「二百万とかするらしいよ」
「頭がどうかしているんじゃないのか?」
「頭おかしいよね」
「しかし給料が高いのは良いことだな。将来設計がちゃんとできる」
「普通くらいで良いんだけどね」
「良い人なのか?」
「今のところはね」
「そうか。それならいい」
「こういう話嫌じゃないの?」
「なぜだ?俺が干渉するところではないだろう」
「祐介ってそういうところあるよね」
「真帆みたいないい女、周りが放っとかないだろ」
「まぁね」
「俺が真帆の幸せを邪魔してどうするんだよ」
「邪魔って言い方やめてくれる?」
「実際、二年も独占しちまったからな」
「それもそれで嫌」
難しいものだ。
◇◇◇
ビールの次はレモンサワーを飲んだ。
真帆はマッコリを頼んだ。
焼肉にはビール。
昔の俺なら、それが正解だと思っていた。
でも。
脂の多い肉にはレモンサワーも美味い。
甘いマッコリも意外と合う。
別に、一つに決める必要はないらしい。
「今日はありがとうな」
「うん」
「俺も社会人になったら奢らせてくれ」
「その時、彼氏いなかったらね!」
「ふっ。ならば、奢る機会はない方がいいな」
真帆が少しだけ目を丸くして。
少しだけ寂しそうに笑った。
「……そうだね」
社会人になった真帆は、もう次へ進み始めている。
今度は俺の番だった。
◇◇◇
「勉強なんかできなくてもいい」
高校生の頃の俺は、そう思っていた。
今でも、それを完全に間違いだとは思わない。
勉強が必要ない人生もある。
そもそも、誰もが同じ場所から勉強を始められるわけでもない。
俺は二十歳で勉強し直すと言った時、仕事を辞めて実家に帰れた。
親父が二年分の予備校代を出してくれた。
母さんが毎日飯と弁当を作ってくれた。
予備校には分からないことを教えてくれる先生たちがいた。
真帆は別れた後まで俺の話を聞いてくれたし、地元の友達も最初こそ笑ったが、受験すると知れば普通に応援してくれた。
俺は俺で頑張った。
そこを謙遜するつもりはない。
ただ、俺一人で高田大学に入ったとも思っていない。
二十歳になった人間が、
「今から二年間、働かずに勉強します」
と言える環境は、多分かなり恵まれている。
同じことをしたくても、環境が許さない奴の方が多いだろう。
だから。
勉強ができる奴が偉くて、できない奴は努力が足りない。
そんな単純な話ではないと思う。
何しろ俺自身、受験で使った英語、国語、日本史以外は今でもかなり怪しい。
数学は『得意科目』だったはずなのに、高校範囲はほとんど分からない。
理科なんてもっと分からない。
それでも。
勉強をした俺と、しなかった俺では。
同じものを見た時、少し違う景色が見えるだろう。
同じ漫画を読んでも。
同じ神社へ行っても。
同じ人の話を聞いても。
以前なら見えなかったものが、少しくらい見えるようになった。
少なくとも。
俺はようやく、自分の大好きな女が見ていた景色を、少しだけ一緒に見られるようになったと思う。
それだけで。
俺にとっては、勉強した意味があった。
店を出ると、真帆は駅へ。
俺は反対方向へ歩いた。
次に会う時。
俺たちが何をしているのかは分からない。
真帆には彼氏がいるかもしれない。
俺にも彼女がいるかもしれない。
そのまま何年も会わないかもしれない。
それでいい。
大好きな人と同じ道を歩くことだけが、正解ではない。
同じ景色を見られた時間があって。
別々の道を歩き始めても、相手が幸せなら嬉しい。
そういう関係もある。
二十二歳。
四年遅れ。
春から、俺は大学生になる。
勉強なんかできなくてもいい。
でも。
できるようになってみたら、人生は前より少し面白かった。
……。
◇
「真帆は……真帆はいい女だったんだよ……」
「またサブレが泣いてる」
「コイツはいつも泣いてるなあ」
「そんな手紙用意するような女いねえよ!」
「私もサブレのポワレ食べたい!」
「食べたい」
エピソードトークが終わる頃には、俺とブルボンさんの周りにはいつもの仲間たちとOBの皆さんが集まっていた。
「サブレ……お前も苦労したんだなあ……」
「ブルボンさんも泣いてる」
さっきまで『就職活動の心得 by リプトン』などという秘伝書を配っていたブルボンさんも泣いていた。
「ブルボンさん!」
「サブレ!」
「「乾杯!」」
「ゴクッゴクップハー!うまい!」
「ごちそうさまでした!」
<わっしょい!!
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