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"勉強"なんかできなくてもいい②

一年目は、苦しかった。


何しろ基礎がない。


英単語を覚えようにも、その前にアルファベットを覚えなきゃいけない。


赤本を解いてる浪人生の隣で、《《アルファベットのドリル》》をなぞる二十歳男性からは、きっと変なオーラが出ていただろう。


古文は外国語にしか見えない。


日本史も「794(なくよ)うぐいす平安京」くらいから始めた。


それでも、一年やればそれなりに偏差値も上がった。


高田大学や親父が最初に挙げた大学には届かなかった。


けれど、俺の高校から進学した奴を聞いたことがないくらいの大学には受かった。


普通に嬉しかった。


「お父さん、祐介すごく頑張ったじゃない。ここなら行かせてあげてもいいんじゃない?」


母さんもそう言った。


俺もそう思った。


一年間、かなり頑張った。


もういいだろう。


十分だろう。


大学生にはなれる。


親父は合格通知を見て、俺に聞いた。


「祐介。お前はここに行きたいのか」


「まあ……受かったからな」


「それは、お前が本当に欲しかったものなのか?」


嫌な聞き方をする。


親父は、


『もっと上を目指せ』


とも、


『もう一年やれ』


とも言わなかった。


「本当に必要なものがあるから勉強を始めたんじゃないのか。一年勉強して、お前が成長したのは分かる。ただ、受かったという理由だけでそこへ行って、本当に欲しかったものは手に入るのか」


俺は黙って考えているような顔をする。


親父は意外にも、


「本当にここに行きたいなら、学費は……払ってやるよ」


と言ってくれた。


……真帆の顔が浮かんだ。


また、真帆みたいな女を好きになった時。


ちゃんと自分の人生を考えている女と、対等に付き合えるだろうか。


好きだから。


優しいから。


一緒にいて楽しいから。


それだけでは、どうにもならないことがあることを、


俺はもう知っている。


「……親父」


「何だ」


「もう一年やったら、予備校代出してくれるか?」


「出す」


親父はいつも即答だ。


俺は簡単には踏み切れない。


一年間頑張った。


しぶしぶだけど、親父は学費を払ってくれると言った。


俺の高校の誰も受かったようなことが無い大学に受かった。


でも。


一年の努力では、本当に欲しかったものは手に入らなかった。


後ろ髪を引かれる思いで声を絞り出す。


「親父」


「なんだ」


「もう一年勉強させてもらってもいいか?」


「あと一年で仕留めろよ」


「母さん」


「なに」


「またお弁当......作ってもらってもいいかな?」


母さんは少し疲れたような顔をしてから、


「残さないでよね!」


と言った。


食べるよ。全部食べる。


◇◇◇


二年目に入ると、急に勉強が面白くなった。


一年目に詰め込んだ基礎が繋がり始めたのだ。


偏差値五十。


五十五。


六十。


六十五。


得意科目では七十を超えた。


(……ふふふ)


模試の結果を見て一人で笑っていたら、隣で勉強していた受験生が少し離れた。


仕方がない。


こいつは知らない。


一年前まで俺が皆が赤本を解く隣で《《アルファベットのドリル》》をなぞっていた男だということを。


昨日読めなかった文章が読める。


分からなかった問題が解ける。


偏差値まで上がる。


どうやら俺は、勉強が嫌いだったわけではない。


勉強をしたことがなかっただけらしい。


◇◇◇


知っていることが増えると、受験とは関係のないところまで面白くなった。


ある夜、真帆に電話した。


「鎌倉幕府の3代目将軍『源実朝』の話だが」


『うん』


「死んだ鶴岡八幡宮の階段、俺たちが付き合ってる時にデートで行ったよな?」


『行ったね』


「俺はその時全然知らなかった」


『説明とか書いてあったじゃん』


「そういうのは見てなかったんだ。デートといえばここ、みたいな感じで鶴岡八幡宮行っただけで、実際神社の良さなどはよく分かっていなかった」


『何見てたの?』


「ふっ。可愛い彼女に決まってるだろう」


『…………』


「デートなんだから普通なのでは?」


『まぁ、それはそうだね』


別に口説いたつもりはない。


当時は真帆を見るために行っていたのだから、事実を言っただけである。


父方の実家が鎌倉にあるくせに、鶴岡八幡宮については『鎌倉に行ったらとりあえず行く有名な神社』くらいの認識だった。


鳩サブレーには詳しかった。


それで付いたあだ名なので。


「今行ったら、前より面白いだろうな」


『そうだね』


「勉強するとな、行ける場所が増えるんだと思っていたんだ」


『大学とか?』


「あぁ。学歴があると、就職とかの選択肢が増えるみたいな感じだ。しかし、同じ場所に行っても前より見えるものが増えるんだな」


少しだけ間があった。


『そういうのを教養って言うんじゃない?』


「テレテレッテッテッテッテレー!サブレは”教養”を手に入れた!」


『レベルアップしたんだね』


教養を手に入れた割には頭が悪そうだ。


◇◇◇


国語を勉強してから昔好きだった漫画を読み返すと、以前は気づかなかった台詞の意味が分かることがあった。


同じ言葉が別の場面でも使われている。


こいつが笑った意味を昔は勘違いしていた。


漫画は昔から何も変わっていない。


俺が拾えていなかっただけだった。


古文も同じだ。


昔の日本人が書いた文章を現代の日本人が読めないなら、最初から現代語訳を読めばいいと思っていたが、読めるようになると意外と面白い。


男が女のところへ行く。


女が待つ。


来ない。


キレる。


別の女のところへ行っていた。


バレる。


揉める。


(ふっ。昔の貴族はくだらないことばかりしているな)


俺は古文が好きになった。


日本史を知れば、ゲームや漫画に出てくる王国や貴族、宗教、戦争なんかにも、以前より元ネタや構造が見える。


知らなくても困らない。


でも。


知っていると、同じものから拾える情報が増える。


鶴岡八幡宮はただ鳩サブレーを売っている街にある神社ではなかった。


俺はそういうことを、二十歳を過ぎてから知ったんだ。


ちなみに英語は、海外のエロサイトで危ない広告を回避するのに役立った。


教養というものは、本当に幅広く人生を豊かにしてくれるらしい。




※この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。また、法律・法令に反する行為を容認・推奨するものではありません。




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