"勉強"なんかできなくてもいい①
今日は『リプトン』OBの人たちが、後輩に向けて就活説明会を開いてくれている。
『リプトン』は毎年50~60人程度の人間が入会するので、卒業生の進路も多種多様だ。
普段の飲み会ではバカなことばかりやっている先輩方だが、やはり高田大学の卒業生ということもあり、人気企業に勤める人が多いみたいだ。
エントリーシートの書き方、OB訪問について、長期インターン、サマーインターン。
企業が採用活動するにあたって学生のどのような部分を見ているのか。
逆に、多くの学生にエントリーしてもらうために、企業はどのような努力をしているのか。
社会人として働いているのでみんな忙しいはずなのに、スライドなんかを作ってきてくれた人もいる。
『就職活動の心得 by リプトン』などというファイルを配っている人もいた。
すごいな。
『テニスも飲みも本気』の『リプトン』を作り上げてきた先輩方だ。
面構えが違う。
あの頃の俺が、彼らのような話さえできれば、真帆の役に立てただろうに。
だが、そんなことは天地がひっくり返っても起こり得ない。
就活などしたこともないわけだからな。
これから就活をどうするかなどはまだ決めていないが、知識だけはしっかりと身につけておこう。
ありがとうございます。
諸先輩方。
◇
「君がサブレか!噂は聞いてるよ」
「初めまして先輩。サブレです」
「よろしく!OBの古屋です。ブルボンと呼んでくれ!」
「よろしくお願いします。ブルボンさん。本日は貴重なお話ありがとうございました」
「はは!礼儀正しいな!ほれ、とりあえず」
「はい」
「「乾杯」」
「ごくっごくっプハー!うまい!」
「うまいですね!」
「いい飲みっぷりだな!」
「恐縮です!」
「サブレってさ、二十歳の時から勉強して二年で高田に入ったって話聞いたけどマジ?」
「おっしゃる通りです」
「高校の時は勉強得意だったの?」
「アルファベットは全部書けたと思います」
「そこから二年で高田に入ったの?」
「ありがたいことに」
「すごいよなやっぱ」
「いえいえ、支えてくださった両親、友人、先生方のおかげです」
「それでもすごいよ。その時の話、聞かせてもらっていいか?」
「もちろんです……が、聞くも涙、語るも涙、のお話ですよ?」
「おお……」
「それは、寒い冬の日のことだった……」
「そういう始まり方なんだな」
◇
——ガチャ
『もしもし?』
「母さん、今親父いる?代わってもらえるか?」
『お父さん?いるよ。おとうさーん』
特に何も考えずに、久しぶりに電話をしてきた息子が呼んでいると言った形で親父を呼ぶ母。
「おう」
親父が出た。いつものように抑揚のない声で、機嫌がいいんだか悪いんだか分かったもんじゃない。
「大学に行きたいから勉強しようと思っているんだが……予備校代とか出してもらってもいいか?」
「いいぞ」
大学に行きたい。金を出してほしい。これだけ伝えればYesならYes、NoならNoと答える親父であることを俺は知っていた。
母さん相手じゃそうはいかない。会話が少なくとも十往復は増えるだろう。
「ただし、行って意味のある大学に入りなさい」
やっぱり、ただでは終わらなかった。
「行って意味のある大学とは?」
「高田、日吉、渋谷、池袋、市谷、多摩。その辺だ」
「……かなり頭の良い大学ばかりだな?」
「大学に行きたいと言ったのはお前だろ」
親父は東京の国立大学を出て、そのまま大学院まで進み、大手メーカーに就職。
福島には地方工場のセンター長として転勤してきた、今時の言葉でいうJTCの会社員だ。
そして、親父世代の堅物は皆変わらないであろう、大学のランクに関しては強い偏見のようなものを持っている。
「それ以下は?」
「行きたければ行けばいい」
「学費は?」
「自分で払え」
やはり頭が硬い。
「予備校代は出す。必要なら二年でも出す。だが、大学は四年間ある。時間も金も使うんだから、行くこと自体を目的にするな」
昔からこういう親父だった。
高校生の頃は、勉強しろとも大学へ行けとも散々言われた。
その度に俺は、
(勉強なんかできなくても生きていけるだろ)
と思っていた。
実際、二年間生きていけた。
高校を卒業して東京へ出て、居酒屋でフルタイムで働けば手取りで二十五万くらいは稼げた。
料理も覚えた。家賃も払えた。彼女と暮らして、飯を食って、酒を飲んで、たまに遊ぶくらいの金はあった。
だから、俺は間違っていないと思っていた。
水野真帆に、
『将来性のない顔だけの男とは、これ以上付き合えない』
と言われるまでは。
「親父」
「何だ」
「俺、今からでも間に合うかな」
少しだけ間があった。
「何にだ」
「……わからん」
自分でも分からなかった。
大学なのか。
就職なのか。
人生なのか。
ただ、二十歳になって初めて、十五歳くらいから五年間放っておいたものを取りに戻ろうとしている。
「何に間に合うかは知らんが、少なくともやらないよりはマシだ」
「それもそうだな」
「予備校はこっちで調べておく」
「かたじけない」
「かまわん」
電話を切った。
三秒後。
母さんから電話がかかってきた。
『祐介!?大学行くの!?』
ほら来た。
◇◇◇
福島に戻り、バイトを辞めた。
遊ぶのもやめた。
酒もやめた。
女遊びもやめた。
大学へ行くと決めた以上、今の俺に必要なのは勉強だった。だったら、しばらくそれだけやればいい。
予備校の最初の面談で、チューターに聞かれた。
「佐々木君は、文系と理系どっちで考えてる?」
「多分、理系ですかね」
「得意科目は?」
「数学」
これは別に嘘ではない。
中学生までは、勉強しなくてもそこそこできた。
授業を聞けば大体分かったし、数学は自分の頭で考えれば良い。覚えることが少なくて楽だった。日本史みたいに「やれ漢字が間違ってる」だの、「墾田永年私財法」だのを覚えるよりはよほど楽だった。
英語だけは昔から駄目だった。
何で日本人同士で会話するのにアルファベットを覚えなければならないのか、当時の俺には最後まで納得できなかった。
「じゃあ、一回これ見てみようか」
チューターが高田大学の赤本を持ってきた。
数学のページを開く。
読む。
もう一回読む。
「…………」
「どう?」
「これ、そもそも問題はどこですか?」
「そこからか」
俺が得意だったのは中学数学である。
当然、高田大学の入試範囲には入っていない。
しかも中学を卒業して五年。
得意だったはずの中学数学についても、かなり忘れていた。
数学が得意。
そう思っていたが、正確には、
五年前まで、地元の中学生の中では数学が得意だった。
だったらしい。
日本語というのは難しい。
「文系科目は?」
「国語は日本語なんでいけると思います」
「じゃあ、この問題やってみようか」
評論文を渡された。
最初の設問に、
『傍線部を含む段落について――』
と書いてある。
「先生」
「うん」
「段落って何ですか?」
しばらく沈黙があった。
英語も確認された。
「アルファベットは大丈夫?」
「多分」
「多分?」
「全部書けって言われたら怪しいです」
理系とか文系とかいう以前の問題だった。
チューターと相談した結果、今から高校数学を一から積み直すより、英語、国語、日本史の三科目に絞って暗記量を積んだ方がまだ勝負になるだろうということになった。
こうして。
脳みその向きとしては多分理系の俺は、消去法で文系になった。
◇◇◇
そこからの生活は単純だった。
朝七時前に起きる。
母さんが作った朝飯を食べて、母さんが作った弁当を持って、八時には予備校へ行く。授業を受けて、自習して、夜十時に帰る。
飯を食いながら録画していたアニメを一本だけ見て、風呂に入って寝る。
それを毎日繰り返した。
二十歳の男が毎朝母親の弁当を持って予備校へ通っている。
文字にすると少し恥ずかしい。
ただ、母さんは毎日朝七時に起きる俺より早く起きて弁当を作ってくれていた。
その献身に感謝できない方がむしろ恥ずかしいと思った。
「こいつ誰だ」
ある日の夕飯中、隣で一緒にアニメを見ていた親父が聞いてきた。
「スザク」
「主人公の友達か?」
「そうだが、今は敵だな」
「友達なのに敵なのか」
「人間関係は複雑なんだよ」
親父はアニメが好きなわけではない。
俺が予備校から帰って夕飯を食う時間に、録画しておいた『コー◯ギアス』を一本だけ見る。それがたまたま親父の帰宅時間と重なっていて、最初は新聞を読みながら横目で見ている程度だった。
それが三か月ほど経つと、
「《《日本解◯戦線》》と《《黒の◯士団》》は別の組織なんだな?」
と聞くようになった。
「別だな」
「目的は?」
「古き良き日本取り戻すことだな」
「同じ目的なら、なぜ別々に動いてるんだ」
「知らんな」
「お前、ちゃんと見てるのか?」
「見ている。ナイ◯メアが戦ってるところとか」
「そこしか見てないだろ」
うるさい。
半年後には完全に逆転していた。
予備校から帰った俺が録画を見ながら、
「あれ、コーネ◯アってユ◯ィのお姉ちゃんだっけ?」
と聞けば、
「姉だ。クロ◯ィスも兄。ル◯ーシュとナ◯リーとは異母兄妹になる」
と即答する。
「兄弟多くないか?」
「皇帝の子供だからな」
「何人いるんだ?」
「知らん」
「知らないこともあるんだな」
「今の話に必要ない」
親父は、分からないものを分からないままにしておけないくせに、必要ないと判断したものには妙に冷たい。
俺が大学受験の勉強をしている横で、親父はいつの間にかコー◯ギアスに詳しくなっていた。
多分、俺より勉強が好きなのだと思う。
◇◇◇
真帆にも、大学を受けることは伝えた。
『大学?』
「あぁ」
『祐介が?』
「なぜみんなそこ聞くんだ」
電話の向こうで驚いていた。
別れてから少し経っていたが、俺たちは普通に連絡を取っていた。
一度好きになった女を、別れたからという理由だけで嫌いになる感覚が俺にはよく分からない。
付き合うのをやめただけで、真帆がいい女であることは変わらない。
もちろん。
浮気されたとか、金を盗まれたとかなら話は別である。
幸い、真帆は俺の金を盗んでいない。
「高田とか、その辺を受けようと思ってる」
『えっ!?』
「何」
『めちゃくちゃ頭いいところじゃん』
「あぁ。真帆の通っている日吉は小論文が出るからな」
『あぁー確かに』
「俺は字が汚くて、小論文を読んでもらうところまでまず行けなさそうだ」
『確かに、今はなかなか文字も書かないもんね』
「あぁ。だから選択式の問題が大半を占める高田の方が相性が良いはずだ」
『確かにね!うん。祐介は勉強してないだけで頭は良かったしいけると思うよ!頑張ってね!』
真帆は笑いもしなかったし、否定もしなかった。
お世辞だと思ってたけど、俺のことを頭が良いと褒めてくれたこともある。
別に褒められたくて伝えたわけではない。
ただの雑談だった。
別に笑われてもいいし、否定してくれても良かった。
そもそもそれが普通の反応だろう。
でも、いざ応援してもらうと嬉しいもんだ。
また一段と引き締まる思いだった。
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