"顔だけ"の男⑤
俺たちは、
何度か、同じような話をした。
その度に誤魔化してきた。
何も考えていない男だと思われるのが嫌だった。
「『チョモランマ』の社員にならないか?」なんて、誘われてはいる。
でも、踏ん切りがつかない。
やっさんに思い切って手取りでいくらもらってるのか聞いてみた。
「やっさん、つかぬことをお伺いしますが」
「なんだサブレ、改まって」
「手取りはいくらでしょうか」
「手取り?」
「お賃金のことです」
「あぁ。三十万だな」
「手取りがですか?」
「あぁ」
「やっさんが?」
「あぁ」
「和食もフレンチも中華もなんでも作れるやっさんが?」
「そうだな。海鮮居酒屋だから、和食以外はあまり使わんが」
「俺と五万しか違わんじゃないですか」
「そんなもんさ」
料理の腕は俺と比べ物にならないやっさんですら三十万……。
俺より早く出社して俺より遅く帰るやっさんが三十万……。
社員にならない方が得なのでは!?
もう何が何だか……わからん。
真帆は俺に金持ちになってほしいわけではなかった。
ブランド物もいらない。
高い店にも行きたがらない。
俺が大学を出ていないことを馬鹿にしたことも、一度もなかった。
……。
わからんことを考えても仕方あるまい。
今の俺にできることを探そう。
偽物の大学生事件から、そろそろ二年が経つ。
つまり、俺と真帆の二周年も近かった。
いつも何かプレゼントをあげようとすると、真帆は俺の料理を欲しがった。
だからやっさんに新しい料理を教えてもらおう。
「やっさんに頼みがあります」
「ん?今度はなんだ、サブレ」
「そろそろ彼女と付き合って二年目の記念日なので、何かそれっぽい料理を作ってやりたいのです」
「真帆ちゃんと、もうそんなに経つのか。ん〜。そしたら鯛のポワレなんてどうだ?」
「ポワレ」
「皮をパリッと焼いて、ソース作って、野菜添えりゃそれっぽく見える」
「なるほど。それっぽさとは盛り付けで発生するものなんですね」
「まあ、半分くらいはな」
「なるほど」
「じゃあ、当日は俺が良い鯛を仕入れてやるか」
「さすがやっさん!」
「その日はキッチンを使うか?」
「良いんですか?」
「特別にな」
やっさんに教わりながら、こっそり鯛のポワレの練習をした。
火が弱くて、皮がパリッとしなかった。
焼きすぎて、身が固くなった。
ソースを煮詰めすぎて、味が濃くなった。
盛り付けてみたら、思っていたより全然それっぽくなかった。
タカシは試食しながら文句ばかり言っていた。
「今日のは皮がふにゃふにゃだな」
「黙って食え」
「昨日の方がうまかった」
「黙って食え」
「ソースは今日の方がいい」
「ならばそれだけ言っていろ」
それでも毎回完食するので、試食係としては優秀だった。
せっかくだから、鯛のポワレをメインにして、簡単なコース料理を作ってみることにした。
やっさんは海鮮居酒屋の料理人なのに、どんな料理でも大体教えてくれる。
生ハムとモッツァレラのサラダ。
かぼちゃのポタージュ。
鯛のポワレ。
デザートにはパンナコッタ。
ちょっと良いワインも一本用意した。
真帆はあまり酒を飲まないので、おそらく俺がほとんど飲むことになる。
まあ、それはそれでいい。
記念日なのだから、酒だって少しくらい良いものを飲むべきだろう。
あとは、真帆は不要だというが、ちょっとしたプレゼントを用意するだけだ。
今、女子大生に流行っているらしいブランドのネックレス。
童貞を卒業してから調子に乗って女遊びに精を出しているタカシがいくつか候補を出してきたので、その中から一番真帆に似合いそうなものを選んだ。
真帆は「こんな高価なものいらないっていったのにー」なんて言いながらも喜んでくれるに違いない。
ふふ。
完璧だ。
完璧な計画だった。
◇
二周年記念日まで一ヶ月を切り、俺は浮かれていた。
完璧な計画で真帆を驚かせてやろうと思っていた。
サプライズ。
甘美な響きだ。
女とはサプライズを好むものである。
それは真帆だって例外ではない。
バイトから帰宅して風呂から出た俺は、アイスを食べながら漫画を読んでいた。
「祐介、ちょっといい?」
「ん?」
「ちょっと話がある」
「なんだね?」
「別れたい」
とんだサプライズだ。
頭が真っ白になった。
口に咥えていたアイスを思わず落としてしまった。
喧嘩が増えていたわけではない。
浮気がバレたわけでもない。
そもそも浮気などしていない。
だから俺には、余計に分からなかった。
「なぜだ?」
真帆は困った顔をした。
「祐介のこと、嫌いじゃないよ」
「なら別れなくてよいのでは?」
「好きだよ」
「もっと別れなくてよいのでは?」
「うん」
「うん?」
意味が分からない。
真帆は少し笑った。
泣きそうな顔だった。
「顔も好きだし」
「知っている」
「優しいところも好き」
「うん」
「料理作ってくれるところも」
「うん」
「一緒にいて楽しいし」
「じゃあ何がダメなんだ?」
しばらく黙って。
真帆は言った。
「……将来の事、考えてないところ」
「…………」
そうきたかぁ。
本当はわかってた。
でも。
記念日さえうまくやれば、俺たちはうまくいくと思っていた。
「私、ずっと祐介のこと好きでいられると思う」
「なら」
「でも、ずっと不安なのは無理」
何も言えなかった。
「祐介が悪いって言いたいわけじゃないの。ちゃんと働いてるし、女の子と遊んだりもしないし、家のことだってちゃんとやってくれる」
「うん」
「でも、今の話しかできない」
痛いところをついてくる。
「五年後とか十年後とか聞くと、いつも『そのうち』って言うじゃん」
「……うん」
「私、それをずっと信じて待てるほど大人じゃない」
真帆はそう言った。
それから少し考えて、
「多分、それを大人とは言わないと思う」
と言った。
「そろそろ付き合って二年になるよね」
「あぁ」
「だから、それまでに切り出さないといけないと思ったの」
「そうか」
「だって、記念日なんてやったら、どうせ楽しくてまたぐだぐだ続いちゃうもん」
「そうだな」
あぁ。
やっぱり俺は、真帆のこういうところが好きなんだ。
ちゃんとしている。
ちゃんとしていない自分を棚に上げて、ちゃんとした女が好きだった。
そして最後に。
俺の良いところを見つける天才の真帆は、
少し泣きながら、少し笑って。
両手でバッテンを作りながら、
「将来性のない顔だけの男とは、これ以上付き合えませーん」
と言った。
……。
多分、ただ、不安だったのだと思う。
好きだから。
この先も一緒にいる可能性を考えるから。
だから俺の将来が見えないことが怖かった。
そして真帆は、
「愛があるなら信じて待つ」
みたいな言葉で不安を誤魔化して、時の流れに身を任せるような愚か者ではなかった。
これ以上、真帆を困らせたくなかった。
真帆は今日まで、俺が「そのうち」と言う度に待ってくれていた。
その真帆が、こんなことを言っている。
だったら、もう十分だ。
「失礼だな。俺は運動もできるし、料理もできるぞ」
いつも通りヘラヘラしながら言い返してやった。
……。
自慢だった二十五万もある手取りについては黙ってた。
「ふふ。そうだったね」
真帆にとっては重要ではないってわかったから。
二人で少し笑った。
別れ話なのに。
それでも、笑えた。
◇◇◇
別れた。
俺は部屋を出た。
タカシの家に転がり込んだ。
やっさんが仕入れてくれた鯛は、みんなで食べた。
タカシが選んだネックレスは、タカシにあげた。
真帆と別れても俺の毎日は変わらない。
飯食って、チョモランマでチャーハン作って、家に帰って寝る。
違うのは、家に帰ると真帆ではなく、タカシがいることだ。
「タカシぃ」
「ん?」
「最近真帆はどうだ?」
「どうもこうもないだろ」
「元気そうか?」
「あぁ。最近、新しい彼氏ができたみたいだ」
「真帆はいい女だからなぁ」
「嘘だよ」
「嘘かぁ」
……。
別れたからといって、真帆を嫌いにはならなかった。
一度好きになった人間を、恋人ではなくなったという理由だけで嫌いになる必要もないと思う。
関係が変わっただけだ。
だから連絡先も消さなかった。
真帆も消さなかった。
ただ、もう恋人ではなかった。
それだけだった。
しばらくして。
俺は一人で考えた。
学歴......ない。
資格......ない。
正社員経験......ない。
貯金......そんなにない。
将来設計......ない。
顔......いい。
(…………)
真帆の言っていたことは、かなり正しかった。
困った。
俺は、正しいことを言われると弱い。
言い返せないからである。
十八歳の頃。
「勉強しないと将来苦労するぞ」と言われた。
あの時は意味が分からなかった。
今なら少し分かる。
こういうことか。
……。
怖い。
このまま生きていくのが怖い。
自分が好きになった女と、釣り合っていたいと思った時に。
何をすればいいのかすら分からない。
これからの人生、そんな生き方しかできないのか、俺は……。
「タカシィ」
「あ?」
「ターカーシー」
「邪魔すんな」
「大学って楽しいか?」
「そこそこだな」
「俺も大学行こうかな」
「いいじゃん」
「勉強できると思うか?俺が」
「できるだろ。お前なら」
「俺ならできるか」
「チャーハン作るより簡単だよ」
「タカシのチャーハンは犬も食わんからな」
「いいんだよ。俺はホールなんだから」
「ふっ」
まったく。
タカシはしょーもないやつだなぁ!
勉強はまぁ、俺が頑張ればいい。
あとは……。
サポーターとスポンサーだな。
……。
「もしもし」
『どうしたの?』
「俺さ」
少しだけ迷った。
「大学、行きたいんだけど」
電話の向こうが静かになった。
「……今からでも、間に合うかな」
二十歳になって。
俺は初めて、顔だけの男を卒業したいと思った。
◇
「真帆は……真帆はなぁ……良い女だったんだよ」
「泣いてる……」
「二十二歳が泣いてる……」
「絶対盛ってるだろ!」
「フィクションだね」
「失礼な!真帆を勝手にフィクションの存在にするな!」
「顔だけの盛り癖男め」
「嘘つきは飲め!」
「おのれ童貞———」
「言いたいことは飲んでから♪」
「くっそー!ごくっごくっプハー!ごちそうさまでした!」
<わっしょい!
……。
※この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。また、法律・法令に反する行為を容認・推奨するものではありません。




