"顔だけ"の男④
真帆が大学二年になった頃から、少しずつ将来の話をするようになっていた。
就職活動。
ゼミ。
インターン。
資格。
俺の知らない言葉が増えていった。
「なんだ?インターンってのは?」
「会社で仕事を体験したりするの」
「お賃金は発生するのか??」
「出ないところもあるよ」
「バイトの方が良いのでは?」
「そういうことじゃないの」
そういうことではないらしい。
俺がわからないことを聞くと、真帆はいつもなんでも教えてくれた。
説明されれば、なるほどとは思う。
でも……。
大企業の名前を言われても、教えてくれたもの以外はわからない。
ゼミとは何かがわかっても、ゼミ選びの相談なんかにはのれない。
給料が出ないインターンに行く意味はいくら聞いても納得できない。
資格だったら俺でも取れるかもと思って、こっそり開いたFP3級の参考書は同じ言語かもわからなかった。
真帆がいくら教えてくれても、俺は真帆の壁打ち相手にはなれなかった。
真帆がしたいのは将来の話。
卒業したらどうする。
どんな会社に入りたい。
どんな仕事をしたい。
何歳くらいまでに、どうなっていたい。
それに対して俺が話せるのは、いつも今のことだった。
今の店は楽しい。
タカシがまたバカなことをした。
やっさんが今度はウナギの捌き方を教えてくれた。
給料も少しだけ上がった。
今月は結構稼いだ。
来月は二人でどこか行こう。
それでも、
俺はそれでいいと思っていた。
フルタイムで働いている。
月に二十五万も稼いでいる。
真帆に金銭的な不自由をさせているつもりもなかった。
むしろ、学生の真帆より俺の方が金を持っている。
だから。
俺はちゃんとやっていると思っていた。
◇
「祐介は、これからどうしたいの?」
突然これからのことを聞いてきた。
真帆の目はまっすぐ俺を見ている。
「これから?」
「うん」
「料理は好きだな。このまま続けるのも悪くない」
「社員になるってこと?」
「それもありだな」
「いつ?」
「いつとは?」
「いつ社員になるの?」
俺は目を逸らしてしまった。
人と目を合わせるのが苦手だからだ。
多分。
「そのうちだな」
真帆は何も言わない。
きっと今も俺の目をまっすぐ見ているはずだ。
視界の端に見える真帆の顔を見て、俺は困ってしまった。
別に遊んでいるわけではない。
毎日働いて、金も稼いでいる。
掃除と洗濯は苦手だけど、家のことだってやっている。
真帆に金を借りたこともない。
むしろ俺が出している。
何が悪いんだ。
……。
本当は分かっている。
真帆は、今月の家賃の話をしているんじゃない。
来月のデート代の話でもない。
二十五歳。
三十歳。
その先。
俺がその時、何をしているのか。
真帆が就職して。
俺も働いて。
そのまま一緒にいるなら、いつか結婚するのかもしれない。
結婚したら、どこに住む。
家は借りるのか。買うのか。
子供は欲しいのか。
欲しいなら、いくらかかる。
俺はその時、いくら稼いでいる。
今は二十五万ある。
じゃあ、三十歳の俺はいくら稼いでいる?
わからない。
真帆が欲しがっているのは、別に金持ちの生活ではなかった。
高い車が欲しいとも言わない。
ブランド物も欲しがらない。
好きな男と結婚して、普通に暮らして、子供ができたら育てて。
そういう、ごく普通の未来の話をしていた。
俺だって、それでいいと思う。
むしろ、真帆となら最高じゃないか。
でも。
その『普通』をどうやって手に入れるのか、俺は何も知らなかった。
だって。
誰も教えてくれなかったから。
子供の頃から大人たちは言っていた。
「勉強しないと将来苦労するぞ」
両親も言っていた。
先生も言っていた。
親戚も言っていた。
俺が「なんで?」と問いかけても、大人たちは明確な答えを説明してくれなかった。
いや、本当は説明してくれていたけど、俺が聞いていなかったんだろう。
実際、今働けている。
手取り二十五万も稼げている。
可愛い彼女だっている。
何も困っていない。
だから、やっぱり勉強なんてしなくても何とかなるじゃんと思っていた。
でも。
もしかして。
こういうことなのか。
勉強しなかったら、二十歳になった瞬間に金がなくなるわけではない。
飯が食えなくなるわけでもない。
女にモテなくなるわけでもない。
ただ。
先に進もうとした時に、選べる道が少ない。
しかも、どんな道があるのかすら知らない。
俺は初めて、少し怖くなった。
それでも。
真帆に「分からない」とは言えなかった。
知らないことを知らないと言うのは平気だった。
英単語を知らない。
制度を知らない。
大学の仕組みを知らない。
そんなものは「分からないから教えて」と言えば、真帆は教えてくれた。
真帆はいつだって俺の可愛い先生だ。
でも。
俺の人生をどうすれば良いのかだけは、
……。
真帆にだってわからない。
そのくらいは俺にだってわかる。
俺は真帆の優しさに甘えて思考を放棄していた。
だからその時は
「まあ、まだ二十歳だしな。そのうち考えるさ」
そう言ってヘラヘラと茶を濁した。
何を考えれば良いのかすらわからないのに。
真帆は、
「そっか」
と笑った。
いつもの笑い方だった。
だから、その話は終わった。
終わったことにした。
……。
※この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。また、法律・法令に反する行為を容認・推奨するものではありません。




