"顔だけ"の男②
平成X年三月。
卒業式も終わり、地元のバカ達と何度か遊んで、そのまま上京した。
大学には行かなかった。
というより、大学へ行くという発想自体がほとんどなかった。
俺の高校から大学へ進学する奴は珍しかったし、三年になったからといって急に受験勉強を始めるような空気でもなかった。
勉強なんて何の役に立つのか分からない。
英語なんて日本にいれば日本語でいい。
歴史なんて昔の人間が何をしたか覚えてどうする。
我ながら筋が通っていると思っていた。
勉強する理由なんて、知らなかった。
昔の親父との会話を思い出す。
「勉強しなくて良いのか?」
「勉強なんてなんの役にも立たんだろう」
「役に立たないからやらないのか?」
「まぁ、そういうことだな」
「じゃあ、お前の普段やってることは何の役に立つんだ?」
「む?」
「漫画を読んで、ゲームをやって、外でプラプラ遊んでいる」
「楽しい」
「ほう」
「今の俺が楽しいという役に立っている」
「そうか。バカなんだな」
「なんだと」
「お前の人生だ。好きにしろ。人に迷惑だけはかけるなよ」
「そんなことはわかっている」
父親との議論を深める予定はない。
親父はわかりやすい男だ。
大体は「好きにしろ」と「人に迷惑はかけるな」で終わる。
高校を卒業する歳になっても進路は決まっていなかったし、やりたい仕事もなかった。
ただ、東京には行ってみたかった。
三年間もアホな生活をしていれば、過保護な親でも大概雑になってくる。
進路に関するプレゼンだって、
「東京で一人暮らしするわ」
の一言でおしまいだ。
高校に入ってバイトを始めた俺は、スポンサーの意向を無視して東京に行くことだってできるのだ。
先ほども述べたように、親父殿はシンプルな男だ。
「犯罪だけはするなよ」
とだけ言って、あとは何も言わなかった。
ふっ。
俺は昔から、親が泣くようなことはしない。
◇
上京してすぐ、海鮮居酒屋『チョモランマ』のキッチンで働いた。
給料は安いし、残業代が全部出ないのはしんどかったけど、料理は楽しかった。
先輩のやっさんも、ホールのタカシも、みんな面白いやつだった。
俺はチャーハンを作るのが好きだ。
最初にやっさんが中華鍋を振ってるのを見た時から、やってみたいと思っていた。
いざ自分がやるとなると難しい。
中華鍋に米や卵がへばりつき、焦げてしまう。
それでもやっさんに教わりながら、何回も練習した。
どうやら中華鍋をチンチンにしなければ本物のチャーハンは作れないらしい。
「大事なのは火力と油だ」
「なるほど」
「お前の中華鍋はチンチンじゃねぇ」
「ちんちん?」
「あぁ。とにかく鍋をチンチンにするところからだな」
「勉強になります!」
俺はやっさんから大事なことをたくさん教わった。
一週間もすれば、それなりにパラパラのチャーハンを作れるようになっていた。
やっさんから「客に出していいぞ」と言われた時は、嬉しかった。
しかし、最初に俺が作った刺し盛りは
「こんなもん犬も食わねーぞ」
とやっさんに怒られた。
今の時代なら大問題だ。
やっさんのおかげで、いろんな料理が作れるようになった。
最初は下手でも、百回やれば百回分上手くなる。
昨日より速く切れる。
昨日より綺麗に捌ける。
昨日は任せてもらえなかった料理を、今日は任せてもらえる。
俺はこういうのが好きだった。
できないことが、できるようになる。
当時はそんなことまで考えていなかったけれど、多分、昔から俺はレベルを上げるのが好きだったのだと思う。
◇
五月。
上京して二か月ほど経った頃。
俺は大学生になった。
いや、大学生のフリをしていただけだ。
「サブレ頼む......新歓についてきてくれないか?」
バイト仲間のタカシが頭を下げる。
「新歓とはなんだ?」
「新入生歓迎会。タダで飯食えて酒飲めるんだけど、俺一人で行くの怖くてさ」
「俺は大学生ではないのだが?」
「サブレは十八でしょ!バレないバレない!」
「お願いか?」
「お願い!」
「仕方あるまい」
なるほど。
俺は十八歳だった。
大学一年生もだいたい十八歳である。
同じ十八歳なのだから、見た目で区別できるはずがない。
納得した俺は、日吉大生の同僚から適当に情報を仕入れて、五月になっても新歓をやっていた軽音サークルに一緒に紛れ込んでいた。
今考えると、普通に迷惑である。
当時は何とも思っていなかった。
なんなら、ワクワクしていた。
高校卒業してまで勉強する気にはならなかった。
しかし、漫画オタクの俺だ。
キャンパスライフに対する憧れだけはあった。
顔が良いだけのフリーターが日吉大のキャンパスに足を踏み入れる。
そこには同い年くらいの人間が大量にいた。
最初に目についたのは、髪だった。
黒髪。茶髪。金髪もいる。
女は化粧をしている。
ただ、そんなもの自体は珍しくない。
俺の高校にも金髪はいた。
赤っぽい奴もいたし、女は普通に化粧をしていた。鼻や口にピアスを開けている奴もいたし、腕や肩にタトゥーが入っている奴だっていた。
見た目の派手さだけなら、俺の高校の方が上だったと思う。
なのに。
何かが違った。
大学生の茶髪は、俺の知っている茶髪とは違う。
女の化粧も違う。
服も違う。
上手く説明できない。
ただ、なんというか。
《《ちゃんと》》している気がした。
俺はちょっと怖かった。
俺よりツラの良いやつはその辺にはいない。
喧嘩だって負けないと思う。
同じ十八歳。バレないはずだ。
それでも、どこか「お前は違う」という無言の圧力を俺は感じていた。
多分気のせいだと思う。
俺のことなんか気にしているやつは一人もいないだろう。
それでも、俺は自分自身がこの場所においては「異物」であることを間違い無くわかっていた。
それでも、キャンパスをタカシと歩いていれば、
サークル勧誘の先輩が声をかけてくる。
ついていけば、飯を奢ってくれる。
酒まで出てくる。
大学生とは……すごいな。
偽物の大学生でも楽しいんだから、本物はもっと楽しいんだろう。
でも、嫌いな勉強してまで入るほどのものではない。
来年になったらまた忍び込めばいい。良いとこどりだ。
偽物の大学生。
それでいい。それが一番賢い判断だ。
当時の俺にとって、大学なんて所詮はその程度のものだった。
軽音サークルの新歓で、水野真帆と知り合った。
日吉大学の一年生だった。
二浪して入学したらしく、俺より二つ年上の二十歳だった。
真帆も四月に茨城から出てきたばかりで、福島出身の俺と訛りがよく似ていることで地元トークに花が咲いたのが仲良くなったきっかけだ。
見た目は普通に可愛かった。
髪も染めていなかったし、化粧もまだ高校生に少し毛が生えたくらいだったと思う。
酒にも慣れていなかった。
高校時代はかなり真面目に勉強していたらしい。
多分、本来なら俺みたいな男とはあまり接点のない女だった。
ただ、その日はずっとニコニコしていた。
最初はオレンジジュースを飲んでいたが、宴会が盛り上がってくれば、
ちょっと私も飲んでみようかな。という気持ちになるのも無理はない。
先輩に勧められた酒を飲んで、すぐに顔を赤くしていた。
……。
しばらく、他の子達と話していると、先輩に連れて行かれた真帆が少し酔っ払って戻ってきた。
おいおい、大丈夫か。
新歓に馴染めるか心配で俺をここに連れてきたタカシのことはすでに頭から消えていた。
心配する俺の気持ちも知らずに、真帆が俺に問いかけた。
「ねぇ、学部はどこなの?」
「ん?」
「学部」
「あぁ学部は、文系だな」
「文系の?」
「文系学部だな」
「そんなのあったっけ」
「細かいことは気にしなくて良い」
「どうやって入ったの?」
「何が?」
「入試」
「普通の奴だな」
「一般?」
「そうそう、一般だ」
「一緒じゃん!ガリ勉ガリ勉!」
無邪気に笑う真帆。
相手が酔っ払いとはいえ、嘘をつき続けるのも心苦しかった。
まぁ、たかしももう馴染んでるし、別にバレても帰れば良いだけか。
ここらで一つネタバラシと行こうじゃないか。
「すまんな。俺、本当はここの大学の生徒じゃないんだ」
「え?他大生だったの?まぁ、インカレサークルだし良いんじゃない?」
「いや、そもそも大学生ですらない」
「え?じゃあ何してる人なの?」
「居酒屋のキッチンだ」
「キッチン?」
「日々、中華鍋を振り回している」
「中華鍋?」
「最近は刺身も任せてもらえるようになってきた」
「お魚、捌けるの?」
「やっさん曰く、俺の刺盛りは犬の餌らしいが、捌けると言っても良い腕前だとは思うぞ」
「やっさん?」
「あぁ。胸毛とすね毛の濃い居酒屋の先輩だ」
「なんで居酒屋のキッチンが新歓にいるの?」
「あそこにいるタカシが、サークルの新歓一人で行くの怖いって言うからついてきた」
「"新歓荒らし"ってやつ?」
「そんな言葉があるのは知らなかったな。言われてみれば確かにそうなのかもしれない」
さっきまで、真面目な日吉大学の一年生が先輩に飲まされているのを心配していたが、どうやら俺が一番危ない存在だったみたいだ。
帰ろう。
立ち去ろうとすると、真帆に裾を掴まれた。
「どこ行くの?」
「いや、帰ろうと」
「なんで?」
「居酒屋のキッチンが新歓にいる方がおかしいのでは?」
「いまさら?」
そう言われればそうだな。
「良いじゃん、バレるまでいれば」
それもそうだ。
真帆は「学部は経済学部とか言っておけばいいよ」とか、
「入試には一般とAOと推薦があります!」とか、
「インカレとは〜」とか、「ここの飯屋がうまいらしい〜」とか、
日吉大学生に偽装するためのあれこれを伝授してくれた。
なぜここまでしてくれるのかって?
多分俺のツラが良いからだろう。
その日は無事に乗り切った。
別に期待していたわけではないが、一番可愛い新入生の連絡先も手に入れていた。
俺は立派な新歓荒らしだった。
※この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。また、法律・法令に反する行為を容認・推奨するものではありません。




