"無駄なイケメン"め①
◇5月
リプトンの新歓でアフロ先輩にゲロをぶちまけてから、小野朝霞はしばらく練習を休んだ。
リプトンを辞めるつもりはない。
少なくとも、私自身はそう認識している。
恵美子さんからも、アフロ先輩からも、同期の連中からも、「サークルにおいで」って内容のLINEが来ている。
だから練習のある日は、高校時代から使っている運動着を鞄に入れて大学へ行く。
講義を受けながら、今日は練習に参加しようと考える。
けれど、私は練習へ行けなかった。
……。
(小野ちゃん!無理しないで!)
(うおー!まかさせろー!)
(小野ちゃーん!)
(オロロロロおっrs)
(吐いたぞー!)
(ぎゃああああああ)
テニスコートの前に行くと、あの日の恥辱を思い出し、情けなさと、申し訳なさがフラッシュバックするのだ。
その度に図書館へ向かった。
昔から図書館は好きだ。
高校時代は昼休みになるとよく図書室へ行った。友達がいなかったわけではない。ただ、昼休みという四十分程度の時間にまで誰かと喋り続ける必要性を感じなかった。
本は会話を要求しない。
こちらが黙っていても気まずくならないし、途中で閉じても機嫌を損ねない。久しぶりに開いたからといって、「最近来なかったね」とも言わない。
そう考えると、人間関係に疲れた時に本を読む人間というのは、本が好きなのではなく、本の無関心さを好んでいるだけなのかもしれない。
私は棚から一冊抜いた。
数ページ読んで、閉じた。
……。
(うおー!まかさせろー!)
(小野ちゃーん!)
(オロロロロおっrs)
ふむ。文章が頭に入ってこない。
仕方なく別の本を何冊か眺め、結局、最初に手に取った小説を借りた。
図書館を出る。
外はまだ明るかった。
五月も半ばを過ぎ、日が長くなっている。
時計を見る。
今から向かえば、練習には途中から参加できる。
行くか行かぬか迷っていると、
「小野ちゃん」
声をかけられた。
顔を上げる。
恵美子さんがいた。
その隣には、アフロ先輩が立っている。
足が止まった。
恵美子さんとは、あの日の翌朝にも会っている。
しかし、アフロ先輩とは、あれ以来初めてだった。
最後に見た時、この人は私の吐瀉物を頭から浴びていた。
人間関係における再会としては、かなり難易度が高い。
「やっぱり小野ちゃんじゃん」
恵美子さんが手を振る。
アフロ先輩もこちらを見た。
私は反射的に頭を下げた。
「この前は、本当にすみませんでした」
「ん?」
アフロ先輩は一瞬だけ考えた。
「ああ、ゲロ?」
忘れていたのだろうか。
私は二週間近く悩んでいたのだが。
「服、大丈夫でしたか」
「大丈夫大丈夫。ドンキで買ったから」
「それは大丈夫じゃないです」
「サブレにも貸したし、むしろ役に立ったよ」
何を言っているのかよく分からない。
私が返事に困っていると、アフロ先輩はいつもの調子で笑った。
「それより今日、練習来る?」
「……行ってもいいんですか?」
口に出してから、随分と間の抜けた質問だと思った。
私はまだリプトンを辞めていない。
誰からも来るなとは言われていないし、練習日程だって毎回確認している。
それでも、口から出たのはそんな言葉だった。
「もちろん」
アフロ先輩は即答した。
恵美子さんが私の鞄を見て、少し笑う。
「小野ちゃん、もしかして着替え持ってきてる?」
「……はい」
「じゃあ行こっか」
「はい」
それだけだった。
二週間もできなかったことが、随分あっさり決まった。
二人がわざわざ私を探しに来たのか、それとも偶然見つけただけなのかは聞かなかった。
どちらでもよかった。
私は今日も運動着を持ってきていた。
そして二人は、私が練習へ行く理由を作ってくれた。
それで十分だった。
三人でコートへ向かう。
私が真ん中を歩く形になった。
恵美子さんも女性としては背が高い方で、アフロ先輩に至っては百八十センチを優に超えている。百五十センチ程度の私が二人の間に挟まれると、傍目には捕獲されたように見えるかもしれない。
突然見つかって、無理やり連れて行かれている。
少なくとも、そういうことにしておこう。
※この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。また、法律・法令に反する行為を容認・推奨するものではありません。




