酒を”呑む”と言う奴が嫌いだ②
◇
「キミはテニスが上手だね」
「そんなことないですよ!経験者ってだけで、アフロ先輩とかには全然敵わないです」
「アフロ先輩はインターハイとか出てたらしいもんね」
「部活でもやっていけそうですよね」
「もう争いは疲れたんだってさ。争った後みたいな頭してるのにね」
「小野さん!言いますね!」
「ふふふ。さ、球出して」
「はい!どうぞ!」
スカっ
「見た?」
「見てないです!」
二浪して大学に入った僕から見れば、文学部の小野朝霞さんは“年下の先輩”にあたる。
多浪が珍しくない大学とはいえ、年上の後輩というのは、先輩からすればそれなりに扱いにくい存在だろう。
しかし、小野さんはそんなことを気にする様子もなく、いつだって気さくに接してくれた。
僕自身、成人してまで年齢の上下関係に固執するタイプではない。
だからこそ、普通の後輩として可愛がってくれる小野さんと一緒にいること自体、僕にとって居心地の良いものだった。
小野さんは決してテニスが上手いわけではない。
なんなら、運動神経は鈍い方だろう。
しかし、身長150cm前後の小柄な体で、彼女には少し大きく見えるエメラルドグリーンのラケットを必死に振り回し、得意の両手バックハンドでストレートを打ち抜く姿は、どうにも魅力的だと言わざるを得ない。
普段の彼女は物静かというか、そもそも声が小さい。
コートを離れれば眼鏡をかけ、ただでさえ細身の体をさらに縮こまらせて端っこにいる。
初対面の人間が見れば、大人数で騒ぐテニスサークルなど真っ先に避けそうな人に見えるだろう。
ところがだ。
小野さんはサークル活動にも飲み会にも毎回欠かさず顔を出す。
自分から輪の中心に入って騒ぐわけではない。
少し離れたところでしっぽりと酒を飲みながら、騒いでいる連中を眺めて笑っているのだ。
本人いわく、
「バカたちが楽しく騒いでいる時の、あの雰囲気が好きなんだ」
とのことだ。
リプトンテニスクラブでは、練習後に必ず大人数が参加する飲み会が開かれる。
座敷は自然と二つの属性に分かれた。
アフロの幹事長を中心にどんちゃん騒ぎを楽しむ「どんちゃん卓」と、酒は飲むが静かに会話を楽しむ「しっぽり卓」だ。
僕は当然、しっぽり卓に腰を下ろす。
別に騒ぐのが嫌いなわけではない。
ただ、自分から率先して大声を出し、場の中心で暴れ回るような人間でもない。
酒というものは、少し落ち着いて味わうべきだろう。
だから僕は、女子の多いしっぽり卓の端に座り、静かに酒を楽しむのだ。
女子が多いことに特別な意味はない。
もう一度言おう。
女子が多いことに特別な意味はない!
……。
しかし、そんな穏やかな時間はいつだって、ものの数分で終わってしまう。
「美咲さんはいつもカシオレですね」
例えば、文学部のふわふわした美女、美咲さんの横でクラフトビールについて語っていた時もそうだ。
「ビールもねー。チャレンジしてみたんだけど苦くてダメだったんだ♪」
美咲さんはいつも楽しそうにニコニコしている素敵な女性だ。
聞くところによると、大学在学中に生涯の伴侶を見つけるべく、すでに婚活を始めているらしい。
僕は候補に入っているのだろうか。
……。
まあいい。
「いやぁー、運動した後のビールは最高なんですけどね。クラフトビールとかはどうですか?」
「クラフトビール?」
「普通のビールより種類が多いんですよ。苦味が強いものもありますけど、逆にフルーティで飲みやすいものもあります。例えばベルジャンホワイトなんかは、小麦を使っていて口当たりが柔らかいですし、オレンジピールとかコリアンダーを使ってるものも多いので、柑橘系の香りがして——」
「へえ♪それなら私でも飲めるかな?」
「全然いけると思いますよ。美咲さんみたいに苦味が苦手なら、最初はそういう——」
「ヒロォォォォ!!」
背後から野太い声が聞こえた。
「……」
聞こえなかったことにした。
「あとはフルーツビールなんかもあってですね。名前の通り果物を使ってるので、普通のビールよりかなり——」
「ヒロォォォォ!!何しっぽりやってやがるんだああああああ!?」
「……」
振り返る。
くそ。
見つかってしまった。
「ちょ、僕いま美咲さんとクラフトビールの話を——」
「そんなもん飲みながら話せぇぇぇ!!」
「いや待って!美咲さん!ベルジャンホワイトです!覚えておいてください!」
両脇を抱えられ、そのままどんちゃん卓へと連行される。
「今度飲んでみるねー♪ファイトファイトー♪」
遠ざかっていく美咲さんが笑顔で手を振っている……。
よし。
爪痕は残した。
そして、どんちゃん卓へ連行された僕の手には、いつの間にか中ジョッキが握られている。
しかも普通のビールではない。
ジョッキの縁を越えてなお泡が盛り上がるほど、並々と注がれたビール。
リプトンではこれを『チョモランマ』と呼ぶ。
誰が名付けたのかは知らない。
だが、『これを作ったやつの頭がイカれている』ということだけは、明確だろう!!!
<ヒロシ!ボンバイエ!
<ヒロシ!ボンバイエ!
<ヒロシ!ボンバイエ!
周囲からボンバイエを連呼され、仕方なくチョモランマを飲み干す。
「やるじゃねぇか!」
「漢!漢ぉ!」
歓声が上がる。
くくく。
……悪くない。
自分から「俺を見ろ」と前に出るのは格好が悪いだろう?
しかし、静かに飲んでいたにもかかわらず周囲から求められ、やむを得ず場の中心へ連れ出されるのであれば話は別だ。
僕は決して騒ぎたいわけではない。
皆が僕を放っておいてくれないのだ!
これは大きな違いである。
しかも、「クールぶって女子卓の端に座っていた二浪の男が、コールで引きずり出されて弄ばれる」という役回りは、客観的に見てもかなり美味しい。
僕が恥をかく。
皆が笑う。
女子も笑う。
僕も酒が飲める。
最高じゃないか!
なぜなら、誰も損をしていない。
だからこそ、僕は今日も今日とて、しっぽり卓に座るのだ。
連れ出される準備を整えてな。
◇
新歓期のリプトンテニスクラブは、実に品行方正なサークルだった。
リプトンには『小野さん』、『美咲さん』、『恵美子さん』を中心に様々なタイプの美女が所属しているのだが、男の先輩たちも負けてはいない。
特に、『アフロ先輩』と『サブレ先輩』という、校内に名を轟かすレベルのイケメンが二人所属しており、この二人が練習メニューを考えている。
アフロ先輩は経験者を相手に少しレベルの高い練習メニューを展開し、
「ナイスショット!」
「やるなぁ!」
「今一瞬、フェデラーを超えたな!」
なんて言いながら、場を盛り上げていた。
茶色のボウズ頭でも綺麗な顔立ちが目立つサブレ先輩は初心者の担当だ。
初めてラケットを握るような初心者に対しても優しく、
「今のスウィングはよかったぞ。ボールにあたってさえいれば確実にナイスショットだ」
「さっきよりも近かったな。短期間で素晴らしい成長が見えているぞ」
「当たったじゃないか!この感触を忘れないうちにもう一球打ってみようか」
などと、武士のような喋り方で褒めていた。
初心者にも優しく教えてくれ、経験者にも満足のいく指導があり、みんなが笑顔で過ごせる理想のテニス環境。
そして、そんな先輩たちとさらに親密になれる飲み会が毎回あるのに、参加を見送る新入生などいるわけがなかった。
新歓期の『リプトン』は飲み会だって品行方正だ。
未成年と成人で色分けされた名札を渡され、決して未成年が酒を飲まぬように目を光らせている先輩たち。
大学生活に対する不安と期待に胸を膨らませた新入生たちに、履修登録やインターンのアドバイスをしてくれる先輩もいれば、
切ない恋の話や、自分の失敗をエピソードトークとして聴かせてくれる先輩もいる。
手持ち無沙汰になっている新入生がいれば積極的に声をかけ、サークルに入る気もないのに女の子をナンパしにくるような『新歓荒らし』には毅然とした対応を見せていた。
まさに、僕の求めている大学生活の理想が体現されていた場だったのだ。
みんなもそうだ。
サークル帰りに同期たちと手を取り合いながら、「最高のサークルに巡り会えたな」などと語り合っていたことを今でも覚えている。
そんな夢のような期間がゴールデンウィークまで続き、僕たちは正式に入会申請を済ませた。
いつものように楽しい練習を終えて、飲み会へ向かう。
そこで僕たちは『本当のリプトン』を知ることになるのだ。
※この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。また、法律・法令に反する行為を容認・推奨するものではありません。




