話し合いができない人は嫌いです③
正直に言えば、あの飲み会の日からしばらくの間、私はひどく落ち込んだ。
これまで「話し合いのできる大人な男性」を好んでいると公言してきたが、実際のところ、話し合いができていないのは自分の方だという事実を突きつけられて平気でいられる人間の方が少ないだろう。
しかし、後輩の小野ちゃんが気まずい思いをしながらも、私の今後を気にして教えてくれたのだ。
そこまでして伝えてくれた後輩の心意気を無駄にするほど私は愚かではない。
そうして、私は自分の「裁判官癖」と向き合い、少しずつ自分を変えるリハビリを重ねていったのだ。
法学部に進んだ以上、司法試験を受けて法曹の道へ進むことも考えていた。
けれど、それだけが私の興味ではなかった。
高校時代まで、私は自分の見た目なんてどうでもいいと思っていた。
大学に入って初めてまともに化粧を覚え、服を選び、髪を整えた。
鏡の中の自分が少しずつ変わっていくたび、それまで知らなかった自信が生まれた。
美容というものが、単に顔を綺麗に見せるためだけのものではないことを、私は自分自身の経験から知っていた。
だから就職活動を前にして進路を考えた時、以前から興味のあった大手化粧品会社の説明会へ足を運んだ。
法曹を目指さなかったのは、小野ちゃんに言われた一言だけが理由ではない。
ただ、正解か不正解かを決めることより、人が自分自身を少し好きになるための仕事に惹かれている自分を、「そんなの法学部まで行った意味がない」なんて否定しなくなったのは、あの夜からだった。
正しさにしがみつくのではなく、自分が本当に好きなものを選ぶ。
それもまた、私にとっては「裁判官」を卒業するための一歩だったのだと思う。
そんな中で出会ったのが、会社の同期だった今の夫だ。
彼は私の面倒くさいプライドや理屈っぽさを真っ向から受け止めつつも、決して裁判の法廷には立とうとしなかった。
私が正論で詰め寄ろうとすると、「恵美子、いま裁判官になってるぞ」と優しく笑って受け流し、途中で投げ出さずに根気強く対話をしてくれた人だった。
そして私も、彼にそう言われた時だけは、一度口を閉じることを覚えた。
「何が正しいか」を決める前に、「この人は今、何を言おうとしているんだろう」と考える。たったそれだけのことを身につけるのに、私はずいぶん時間がかかった。
私はようやく、本当の意味で愛し愛されるパートナーシップを知ることができたのだ。
◇◇◇
社会人になり、披露宴の準備を進めていた数か月前。
久しぶりに小野ちゃんと二人で飲んだ際、私はずっと胸に抱えていた思いを打ち明けたことがある。
「小野ちゃんさ。あの大学の時の飲み会で、話し合いができてないのは私の方だったって話……教えてくれてありがとうね」
グラスを回しながら伝えると、小野ちゃんは一瞬驚いたように目を丸くし、それから少し照れくさそうに笑った。
「あ〜……あの時のことですか?正直、本当に言うか迷ったんですよね。私なんかが余計なこと言って、恵美子さんに嫌われたらどうしようとか思ってたんですよ」
「嫌うわけないじゃない。あの言葉がなかったら、私きっと今でも誰かを裁判にかけ続けて、一人で寂しく生きてたわよ」
「実際ちょっと避けてなかったですか?」
「そんなことないわよ。ちょっと反省して落ち込んでる時期があっただけ」
「うー。恵美子さんを落ち込ませてしまったー」
「その時期があったからこその今じゃないの」
「うー。私、新歓飲みでゲロ吐いて潰れた時、マジで『あ、私の大学生活終わったな』って絶望したんですよね」
「あれは、新入生にはハードなイベントだったわね」
「しょっぱなからやらかして、『ようやく見つけた居場所がなくなる』と思って」
ふわりと柔らかく微笑みながら、小野ちゃんは私をまっすぐ見つめた。
「でも、恵美子さんが家に回収してくれて、ポカリとしじみ汁出されて……あの時、この人めっちゃ格好いいな、救われたなって思ったんです」
「小野ちゃん」
「正直、あの惨状で『サークル辞めなきゃいけないのか……』って絶望してたのに、恵美子さんがいたから、またサークルに行けるようになったんですよ?」
「ちょっと、そんな重大なこと今言うの?」
小野ちゃんはグラスを傾けたあと、少し照れくさそうに笑った。
「ふふ、だから私、あの時から恵美子さんのこと大好きなんですよ。めちゃくちゃ尊敬してます……アフロ先輩と同じくらい♪」
「アフロと一緒は喜んでいいのかわからないわ」
「喜んでください!」
どこまで本気で、どこまで冗談なのか分からない、相変わらずの可愛らしさ。
「ふふ……。とにかく恵美子さんの旦那さん、すごく素敵な人で本当に良かったです!」
◇◇◇
「——新郎新婦、再入場です!」
司会者のアナウンスとともにドアが大きく開かれ、眩いスポットライトが私と夫を照らし出す。
割れんばかりの拍手と歓声が渦巻く披露宴会場。
ロイヤルブルーのドレスの裾を静かに持ち上げ、各テーブルのゲストへ笑顔を向けながらゆっくりと会場内を進んでいく。
案の定、サークル友人席は目も当てられないほどの惨状になっていた。
「恵美子さーん!!めっちゃ綺麗ですよーー!!」
「最高!高田の女神!!抱いてくれーー!!」
一眼レフカメラを構えたアフロが、誰よりも大きな声で叫んでいる。
その隣では、サブレがジャケットを脱いでいた。
やはり全身タイツだった。
なぜだ。
小野ちゃんはそれを止めるでもなく笑いながら拍手しているし、カズヤとヒロはウーロン茶のジョッキを掲げて何やらラップバトルをしている。
「師匠、それ今日やる必要あったんすか!?」
蓮が腹を抱えて笑っている。
「今日じゃなきゃいつやるんだよ!」
「知らねえっすよ!」
……全員、何一つ変わっていない。
私は思わず吹き出しそうになりながら、隣を歩く夫の腕を取った。
メインテーブルへと辿り着き、夫と目を合わせる。
「すごく綺麗だよ、恵美子」
耳元で囁く夫に、「ありがとう」と微笑み返す。
探していたパートナーは、高嶺の花と恐れて逃げる人間でもなく、論破して打ち負かす対象でもなく、私を対等な一人の人間として受け止めてくれる人だった。
そして、その人と出会うために必要だったのは、「話し合いのできる男」を探し続けることではなかった。
まず私自身が、話し合いのできる人間になることだったのだ。
チラリとサークル席へ視線をやった。
相変わらず下品で、バカで、うるさくて、でも愛おしい仲間たち。
あの痛々しくて、勘違いだらけで、愚かだったキャンパスライフがあったからこそ。
小野ちゃんという強烈な後輩に心をへし折られたあの夜があったからこそ。
私は自分の愚かさに気づき、こうして大切な人と本当の意味で向き合う術を知ることができたのだ。
(私、少しは大人になれたかしらね)
——私は、話し合いのできない人が嫌いだ。
だからもう、あの頃の自分には戻らない。
心の中でそっと誓いながら、私は惜しみない拍手とバカたちの歓声の中へと、誇らしく深く一礼した。
※この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。また、法律・法令に反する行為を容認・推奨するものではありません。




