"話し合い"ができない人は嫌いです②
そんなある日、サークルの後輩である小野ちゃんと二人で飲みに行くことになった。
小野朝霞。150cm程度の小柄で物静かな文学部の2年生。
1年前の新歓飲みで豪快に酒に呑まれ、アフロのヤツにゲロをぶちまけて潰れていた彼女を、私が自宅へ回収して介抱した事は今でも覚えている。
同じサークル内で1年以上過ごしている私にとってはイマイチ実感の湧かない噂を学部の友人から耳にした。
『リプトンの小野朝霞は誰とでも寝るらしい』
小野ちゃんは見かけによらず、遊んでいるらしい。
あの大人しそうな外見とは裏腹に、サークル内の何人かの男子と人知れず「そういう関係」になっているという話が、まことしやかに囁かれていたのだ。
(あんなに真面目そうなのに、男を手玉に取ってるのかしら……)
好奇心と、少しの庇護欲。せっかく二人で飲むのだからと、私は居酒屋のカウンターで思い切ってぶつけてみた。
「小野ちゃんさ、大学で流れてる噂……実際のところどうなの?」
小野ちゃんはグラスの氷をカラカリと鳴らし、否定も肯定もせず、ただふわりと悪戯っぽく微笑んだ。
「噂ですか?あー。まぁ、そんな話もあるみたいですね」
「本当なの?」
「どこで聞いたんですか?」
「学部の友達」
「男ですか?」
「男だけど」
「イケメンですか?」
「イケメンなのかな?少なくともアフロとかサブレみたいなレベルではないわね」
「あの二人は宇宙人ですからね」
「ねー。バカだけど」
「カズヤくらいですか?」
「あれよりは男前ね」
「普通ってことですね」
「そうかも」
「恵美子さんも私にとっては次元の違う美女ですよ」
「何言ってんの。小野ちゃんだって可愛いわよ。最近はオシャレも化粧も覚えてるしね」
「ふふ。私もいい女を目指してますからね」
いつの間にか別の話になっている。
巧みなはぐらかし方だった。本人が話したくないのなら、それ以上追及するのは野暮というものだ。賢い彼女らしいかわし方だと感心した。
小野ちゃんは普段、メガネの奥の瞳を冷ややかに光らせているようなクールな雰囲気がある。だが、お酒が進むにつれて少しずつ頬を朱に染め、甘えん坊な仕草を見せ始めるのだ。
大きめのニットの袖からちょこんと手を出し、トロンとした瞳でこちらを見上げてくる。
「恵美子さん、この梅水晶おいしいですね。もう一つ頼んでもいいですか?」
可愛い。素直にめちゃくちゃ可愛い。
同じ女性としてキュンとしてしまうのと同時に、「これは男子学生なんてイチコロだろうな」と妙に納得してしまった。
やがて酒も進み、私の口からは自然と恋愛の悩みが漏れ出していた。
「……なんかね、本当に恋愛がうまくいかないのよ」
「えぇ……?こんな綺麗で素敵な恵美子さんを泣かせる男がいるんですか?許せないですね」
酔いが回ってきた小野ちゃんは、グラスに入った日本酒を飲みながら、トロリとした目で枝豆をつまんでいる。
「私はただね、ちゃんと議論ができて、話し合って物事を決められる大人の男がいいのよ」
「あー、わかります。でも正直、そんなの男に求めてもしゃーないですよ?男なんてみんなバカですから」
ヘラヘラと笑う小野ちゃん。酒が進むにつれてぶっちゃけトークも加速し、先ほどまでの巧みなはぐらかしも随分と影を潜めてきた。
「去年、彼氏とデートの帰りにサブレの元カノの真帆さんに合った事あるんですけど」
「あの、『俺のいいところを見つける天才』といつも自慢してる元カノ?」
「そうですそうです」
「実在したのね」
「性格と行動ばかり誉めてるから、顔は普通かと思ってたら……」
「まさか?」
「宇宙人レベルの美女でした……」
「あちゃー!まぁ、あれはあれでモテる男だもんね」
「めっちゃお似合いでしたよ。元カノとか言いながら二人で腕組んでましたからね」
「復縁してたの?」
「いや、そういう感じじゃ無いみたいですね」
「まさか、体だけの関係?」
「いや、そういう感じじゃなくて、本当に仲良いみたいでした」
「変なやつね」
「変なやつですよ」
「顔はいいんだけどね」
「そんで、ちょろっと挨拶してバイバイしたんですけど」
「うんうん」
「なぜか彼氏が怒り出して」
「ええ!?」
「『あいつと浮気してんの?』って」
「えええ!?」
「あんな宇宙人とどうやって付き合うんすかね」
「さすがに飛躍してるわね」
「『意味わかんない』って言ったら、『友達の距離感ではない』みたいな感じで訳わかんないこと言われて」
「謎ね」
「『あいつに性病とかもらったりしたら許さないからな』」
「イカれてるわね」
「そんで、私もキレちゃって、『病気なのはお前の頭だろ!早く病院に行ってみてもらえ!付き添いはしないから一人で行け!』みたいな感じのことを言ったら」
「やるわね小野ちゃん」
「殴られました」
「ええ!?」
「殴り返そうとしたけど逃げられちゃって」
「ヤバいやつじゃない」
「別れました」
「そりゃそうよね」
「バカに喧嘩の仕方を教わったので、特訓中です」
「頼もしいわね」
「次は殴り返してやりますよ!」
「次なんか無いのが一番なんだけどね」
「まったく。私に寄ってくるのは大学デビューの童貞ばかり!おかしな話ですね」
「童貞といえば、ヒロとはどうなのよ?一緒に日本酒飲みに行ったって話、聞いたんだけど」
「ヒロですか?どうもこうも……。その後みんなの二次会に合流したじゃないですか」
「思うところは何もないの?」
「まあ、可愛かったです。すっごい真面目な子だし、早く良い彼女ができるといいですね」
後輩を「可愛い」と愛でるその手慣れた余裕。
こんなに可愛いのに若干自己評価の低い小野ちゃんの恋バナ(?)に釣られてしまい、私は自分の元カレの話へと話題を移した。
「小野ちゃんも大変なのね」
「いやまぁ、男なんかバカばっかですから」
「私もさ、『サークルでバレると気まずいから』って秘密にさせられてたんだけど、昔サークルに時々顔を出してたOBの隆史さん……あの人と付き合ってたのよね」
その瞬間、梅酒ロックを口に運ぼうとしていた小野ちゃんの手がぴたりと止まった。
「……隆史さん?」
「そう。知ってるでしょ?」
「あの隆史さん?」
「そう」
「へぇ」
「知ってるでしょ?」
「知ってますよ。去年まではちょいちょいサークルに顔出してましたよね」
「そうそう。あいつ」
「へえ……」
「なによ」
「いや、なんでもないです」
小野ちゃんは何事もなかったように梅酒を飲んだ。
「その時も最悪だったわ。最初は仕事もできて大人っぽく見えたの。話も面白いし、気も利くし。だから、この人ならちゃんと話し合えると思ってた」
「まぁ、面白い人ですよね」
「でも、付き合ってみたら普通に女癖悪いし、約束は忘れるし。そこをちゃんと話そうとすると、最後は『分かった分かった、俺が悪かった』って投げ出すのよ。本当に腹立ったわ」
「あー……」
小野ちゃんが、少しだけ変な顔をした。
「何?」
「いや。隆史さん、私も何回か一緒に飲んだことあるんですけど」
「二人で?」
「二人の時もありました」
「へえ?」
「でも恵美子さんと付き合ってた時期じゃないと思いますよ。多分」
「多分って何よ」
「時系列がよく分かんないので」
「まあ、別にいいけど。もう未練ないし」
「ですよね」
「でもあいつ、私と別れる時『しばらく誰とも付き合う気になれない』とか言ってしおらしく泣いてたのよ」
「ふふっ」
小野ちゃんが突然笑った。
「なによ」
「いや、すみません。想像したら面白くて」
「笑い事じゃないわよ。舌の根も乾かぬうちに何やってんのよ、あのすけべ!」
「おちんちん侍は切腹する必要がありますね」
小野ちゃんが突然下品な悪口を言い出した。
『おちんちん侍』って……。
「小野ちゃんって、おちんちん侍とか言う子だったのね……」
「ふふっ。一年ちょっとバカたちと過ごしたせいでうつっちゃったんですかね」
「うちのバカたちにも困ったものね」
「今度会ったらちょんぎってやりましょう」
「ふふふ」
未練など1ミリもない元カレの悪口で、私たちはすっかり意気投合し、大笑いしながら杯を干した。
しかし、ひとしきり笑った後、小野ちゃんは梅酒ロックに刺さっているストローを咥えたまま、何かを考えるように黙った。
「……どうしたの?」
「いや」
「なによ」
「……恵美子さん。ちょっと嫌なこと言っていいですか?」
「嫌なことなの?」
「多分」
「じゃあ聞くわ」
小野ちゃんは少し困ったように笑った。
「さっき、隆史さんと話し合いできなかったって言ってたじゃないですか」
「うん」
「私、前にサブレたちと飲んでる時、似たような話を聞いたことあるんですよね」
「隆史から?」
「隆史さんとサブレが喋ってるのを。私その時もう結構酔ってて、寝かけてたんで、うっすらですけど」
小野ちゃんは記憶を探すように、少し上を見た。
「なんか、『元カノがめちゃくちゃ頭いい』みたいな話してて」
「…………」
「『口喧嘩が始まると勝ち筋が存在しない』とか」
「勝ち負けの話じゃないでしょ」
「『ベッドでは俺が勝つんだがな』とか」
「何を話してるのよあいつは……」
「しょーもない奴らですね」
「まったく」
「……」
「何よ」
「負けるんですか?」
「知らないわよ!」
「そうですか」
「本題に戻ってちょうだい」
「続けます」
「どうぞ」
「いや、そのあとに、
『理由を説明すると、本題からズレる場所でも矛盾してるところを詰められる』
『謝ったら何が悪かったと思ってるのかを筋立てて説明しないと寝させてくれない』
『悪いとは思ってるから謝るんだけど、謝るだけじゃ何も解決しないのとか言い出す』
みたいなこと言ってたんですよ」
私は黙った。
「……それ、私のこと?」
「もしかしたら」
「…………」
「隆史さんが悪かった話も結構してましたけどね」
「でしょうね」
「女関係とか」
「でしょうね!」
思わず声が大きくなった。
小野ちゃんが笑う。
「だから、隆史さんが悪くなかったって話じゃないですよ」
「じゃあ何?」
「いや……」
小野ちゃんはストローを指で弄った。
「恵美子さんの言ってる『話し合い』って、相手からすると結構大変なのかなって」
「大変?」
「恵美子さん、頭いいじゃないですか」
「それはどうも」
「多分、相手が何言っても、変なところがあったらすぐ気づくでしょ」
「そりゃ、話に矛盾があれば聞くわよ」
「うん。正しいと思います」
そこで一度、梅酒を飲んだ。
「でも、正しいことをずっと聞かれ続けたら、相手は途中から答えなくなるんじゃないすかね」
「それは話し合いを放棄してるだけじゃない?」
「それはそうかもしれません……」
小野ちゃんは少し考えた。
「ちょっとやってみますか。恵美子さんは今日寝坊した彼氏役です」
「私は寝坊しないわよ」
「するんです。だらしない彼氏になりきってください」
「だらしない彼氏ねぇ」
「もう待ち合わせ時間から1時間も過ぎてるんだけど?」
私の真似(?)をしながら小芝居を始める小野ちゃん。
「ごめん」
「なんで遅刻したの?」
「寝坊しちゃって」
「なんで寝坊したの?」
「アラームが鳴らなくて」
「なんで?」
「設定を忘れたのかも」
「普通忘れないでしょそんなの」
「ごめん」
「ごめんじゃなくて、これからどうするのかを教えて」
「忘れないようにする」
「どうやって?」
「もう、私の負けよ」
だらしない彼氏になりきった私は、そこで降参した。
ここまで極端な話ではない。
少なくとも、私はここまでしつこくはない。
…………。
いや。
しっかりと身に覚えがある。
そして、実際になりきってみると……。
確かに、しんどい。
「なんていうんだろ。恵美子さんは対等に話してるつもりでも、相手は途中から被告人になってるとか」
「被告人?」
「はい」
「私が裁判官ってこと?」
「法学部ですし」
「関係ないでしょ」
「ないですね」
思わず睨むと、小野ちゃんがへらへら笑った。
「でも、相手が理由を言って、そこに矛盾があったら聞かれて、また説明して、そこにも変なところがあったら聞かれてってやってると」
「うん」
「最終的に、恵美子さんが納得できる答えを出すまで終わらない感じになってたりしません?」
言葉が出なかった。
「別に、恵美子さんが間違ってるって言いたいわけじゃないですよ。遅刻したとか、約束破ったとか、女遊びしたとか、それは普通にそいつが悪いし」
「……うん」
「おちんちん侍はちょんぎればいいです」
「そこはもういいわよ」
「はい」
小野ちゃんは笑った。
それから、少しだけ真面目な顔に戻った。
「ただ、相手が欲しいのって、議論に勝つことじゃなくて、恵美子さんと仲良くすることじゃないですか」
私は何も言えなかった。
「だから途中から、『もう俺が悪いでいいから終わろう』になっちゃうのかなーって」
「…………」
「差し出口叩いて、すみません」
脳内で、過去の男たちの顔が高速で駆け巡った。
疲れ切った顔で吐き出された、
『……あー、うん。分かったよ。ごめんね、恵美子。俺が全部悪かったから』
という言葉。
もちろん、彼らに非がなかったわけではない。
遅刻したのも、約束を忘れたのも、嘘をついたのも彼らだ。
隆史に至っては女癖が悪かった。
そこは今でも間違っていないと思う。
でも——私が正しかったことと、私の「話し合い」のやり方が正しかったことは、まったく別の話なのではないか。
私は相手の話を聞いているつもりだった。
けれど本当は、自分が納得できる答えが返ってくるまで問い続けていただけではないのか。
彼らの「ごめんね」は、思考停止して逃げていたのではない。
少なくとも何度かは、私の終わらない「尋問」をどうにか終わらせるための降伏信号だったのだ。
正しいことを言っている自信があったからこそ、私は自分の言葉が相手をどれだけ追い詰めているのか、一度も疑おうとしなかった。
「まあ」
小野ちゃんが梅酒を飲んだ。
「私なんて男にそんな期待してないですけどね。話し合いで分かり合おうとするより、適当にお酒飲んでハグでもしとけば大体解決すると思ってます」
私は吹き出した。
「……小野ちゃん、あなた本当にたくましいわね」
「ふふ、恵美子さんみたいに真面目に向き合おうとしないだけですよ」
その夜、私は人生で初めて、お酒の味も分からないほど自分の愚かさに打ちひしがれたのだった。
※この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。また、法律・法令に反する行為を容認・推奨するものではありません。




