"話し合い"ができない人は嫌いです①
私は、話し合いのできない人が嫌いだ。
意見が食い違うこと自体は構わない。
人間なのだから、考え方が違うのは当然だ。問題が起きた時に感情的にならず、互いの意見を聞き、何が悪かったのかを整理して、これからどうするのかを決める。
それができるのが、大人というものだと思う。
少なくとも私は、自分をそういう人間だと思っていた。
「菅原様、お色直しのご準備が整いました。再入場となります」
式場の女性スタッフに声をかけられ、私——菅原恵美子は深呼吸をひとつ突いた。
姿鏡に映る自分を見る。
鮮やかなロイヤルブルーのドレスは、165cmの私の背丈と引き締まった身体のラインを完璧に引き立てていた。
ドレスの裾を整え、髪に乱れがないことを確認する。メイクも崩れていない。よし、完璧。
高校時代までは勉強ばかりで、ボサボサの髪に眼鏡をかけた冴えないガリ勉女子だった。
しかし、高田大学法学部に合格してからは違った。
大学デビューを果たし、メイクを学び、ファッションを研究し、垢抜けるための努力を惜しまなかった。
勉強と同じだった。知らないなら学べばいい。
できないなら努力すればいい。
メイクも、ファッションも、人付き合いも。そうやって一つずつ自分の欠点を潰していった。
賢く、美しく、誰よりも正しく生きる。それが私、菅原恵美子のプライドだったのだ。
色直しの再入場を待つ重厚なドアの向こうから、どっと歓声とグラスの重なる音が漏れ聞こえてくる。
「サブレ!なんで全身タイツなんて仕込んでいるんだ!?」
「恵美子さんの晴れ舞台に粗相が無いようにですね」
「粗相が無いようにタイツなの……?」
「小野ちゃん!こいつはバカなんだ!」
「ふっ。元童貞が言うようになったものだ」
「世の中には童貞と元童貞しか存在しねーんだよ!」
「声がでかいよ……」
「さすが師匠っス!」
(……まったく、相変わらずバカしかいないわね)
披露宴会場のサークル友人席には、今やそれなりの社会人になったはずのかつての仲間たちが陣取っている。
アフロ、小野ちゃん、カズヤ、ヒロ、蓮。
そしてサブレ。
受付の時に一度だけ見かけたが、なぜかスーツの下に全身タイツのようなものを着ていた。
理由は聞かなかった。
結婚式当日に、三十路近い男が全身タイツを仕込んでいる理由など、聞いたところで納得できる気がしない。
(……本当に、相変わらずね)
ふと、大学3年の夏——あの「気づき」を得た夜の記憶が、鮮明に脳裏によみがえった。
◇
高田大学というジャングルにおいて、私の立ち位置は少し特殊だった。
スタイル重視のファッション、そして法学部のキレ者という肩書。
大学デビューに成功した私は、自分なりに完璧な女を作り上げた自負があった。
だが、高田大学に棲息する男子の大半——女子とまともに話したこともないような元ガリ勉からすれば、私は「高嶺の花」を通り越して「隙がなさすぎて怖い女」だったらしい。
彼らは遠巻きに私を眺め、「高田の女神」などと勝手に神格化するか、恐れをなして近づいてすら来なかった。
私に寄ってくるのは、高田大の大多数を占める童貞野郎どもではなく、自分のスペックに妙な自信を持っている一握りの男たちだけだった。
例えば、同級生だった法学部の元カレA。そして、他大学の爽やか系イケメンだった元カレB。
彼らと付き合い始めた当初、私は「この人となら対等で建設的な関係が築けるはずだ」と期待していた。
しかし、どんな男と付き合っても、関係は決まって同じパターンで崩壊するのだった。
付き合いが数ヶ月も経つと、男たちのズボラさや無神経さが目につき始める。デートの遅刻、約束の失念、些細な嘘。
トラブルが起きるたび、私は彼らを責め立てるのではなく、冷静に「ちゃんと話し合いましょう」とテーブルについた。
法学部らしく、感情的にならず、客観的な事実関係を整理する。
相手の行動のどこに不備があり、なぜそれが問題であり、今後どのような再発防止策を講じるべきなのか。
互いの認識をすり合わせるための「対等な議論」を持ちかけるのだ。
最初のうちは、男たちも私の「話し合い」に真面目に付き合ってくれた。
私の投げかける質問に対し、一生懸命に自分の言い分や理由を説明しようとしてくれた。
だが、私が
「でも、その理由だとさっき言っていたことと矛盾しない?」
「そもそも本当に反省しているなら、なぜその時点で連絡ができなかったの?」
と、言葉の整合性をひとつひとつ丁寧に確認していくと、次第に男たちは言葉を詰まらせるようになる。
そして、疲れたような、どこか遠くを見るような目をして、最後は必ずこう言うのだ。
「……あー、うん。分かったよ。ごめんね、恵美子。俺が全部悪かったから」
ハァと溜め息を吐きながら出される、投げやりで、事態を穏便に収めるためだけの「ごめんね」。
その顔を見るたび、私の頭には血が上った。
「ちょっと待って、なんで謝るの? 私はあなたに謝ってほしいわけじゃないの! 何が悪かったと思っていて、これからどう改善するのかを聞いてるの! 謝罪は答えになってないでしょ!?」
「……いや、だから俺が悪かったって言ってるじゃん。もうこの話、終わりでよくない?」
最後はいつもこうだ。話し合いを放棄し、「謝れば済むと思っている態度」で逃げようとする男に愛想を尽かし、私から別れを告げる。
私はただ、お互いを高め合える対等な話し合いがしたいだけなのに。
なぜ男という生き物は、真面目な議論からすぐに逃げ出し、「ごめんね」の一言で思考停止してしまうのだろう。
男なんてみんな浅はかで、幼くて、まともな話し合いすらできない生き物だ——。
そうやって心を閉ざしかけていた。
恋愛対象を男だけに限定するのをやめ、魅力的な女性との可能性すら模索し始めたのも、ちょうどこの頃だった。
◇
そんな私のストレス解消法は、サークルでの飲酒だった。
私が所属する「リプトンテニスクラブ」は、テニスも酒もガチな200人規模のマンモスサークルだ。
私は高価なクラフトビールや赤ワイン、洗練されたカクテルを嗜む「酒の味と雰囲気を楽しむ大人な私」が好きだった。
しかし、サークルの飲み会となれば話は別だ。
ブルーシートの上に鎮座する角瓶、鏡月、そしてビールサーバー。男も女も関係なく飛び交うコール。
プライドの高い私は、男どもに舐められるのが何より嫌だった。
だから、酒の席でも全力でバカに乗っかった。
自分に振られたテキーラのショットを涼しい顔で飲み干し、コールをかけてきた男どもを返り討ちにしていく。
飲み会での私は、テキーラやウイスキーの入った水鉄砲を片手に立ち回るガンマンだった。
「恵美子さんさすがっす!! 凄すぎる!!」
「俺も負けてらんねーぞ!うおおおおおお!!」
「アフロ先輩の仇を打て!行け!カズヤ!君に決めた!」
幹事長のアフロを筆頭に、バカな男たちが次々と中ジョッキを掲げて挑んできては、返り討ちに遭って潰れていく。
2浪して入ってきた下級生のヒロも例外ではない。
「僕だって飲めます!」とイキって参戦しては、あっという間に顔を真っ赤にして撃沈し、ブルーシートの端っこで虫の息になっていた。
「恵美子さん!この醜い豚を躾けてください!」
と大きな口を開けてこちらへ向かってくるバカどもの口にテキーラを打ち込んでいる時は、日頃のストレスから解放されていた。
ちぎっては投げられていく男たちの屍を見下ろしながら、私は自分の口に銃口をむけ、引き金を引く。
(本当にバカばっかり。……でも、素直で可愛い奴らね)
斜に構えず、全力でバカをやり、敗北してもカラッと笑い飛ばす彼らの存在は、日常の鬱屈を忘れさせてくれる救いでもあった。
※この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。また、法律・法令に反する行為を容認・推奨するものではありません。




