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"ションベン"と"単位"は別だろ④


それから一年。


俺は大学二年生になった。


講義には変わらず真面目に出席し、単位も一つも落としていない。


リプトンの練習にもほとんど顔を出し、上手い奴がいれば本気で打ち合い、初心者がいれば球を出した。


別に使命感があるわけではない。


テニスとリプトンが好きなのだ。


強い奴と打つのは楽しいし、初心者が初めて芯でボールを捉えて「おお!」と目を輝かせる瞬間を見るのも好きだった。


飲み会にも相変わらず参加した。


服も何度か脱いだ。


ションベンは——あれ以来、漏らしていない。


人間とは成長する生き物である。


◇


そんな春の新歓飲みで、一人の小柄な女の子が楽しそうにビールを飲んでいた。


五月の頭にも関わらず、まだサークルを決めていない奴特有の薄紫色のオーラを出していたので、俺がリプトンに連れてきた……。


高田大生らしく、垢抜けず、メガネをかけた、大人しそうな新入生。


小野朝霞《おの あさか》……小野ちゃんだな。


テニスの方は、正直に言ってかなり下手だった。


体育の授業くらいしか運動の経験が無いらしく、そもそもラケットにボールが当たらない。


初心者組の練習に混ざっているのを遠目で見ていたが、ネットに引っ掛けるとか、吹っ飛ばすとかじゃなくて、そもそも当たらない。


リプトンに入ってからたくさんの初心者にボールを出してきたが、ここまで当たらない子はなかなかいなかった。


さてどうしたものか。


よし。


特訓だな。


「イースタングリップは———」


「なるほど」


「ウエスタングリップは———」


「ウエスタングリップの方がいいんですか?」


「一概には言えないんだが———」


「なるほど」


軽く握り方の説明をして……と。


「小野ちゃんはどんなテニスがしたい?」


「ラケットにボールが当たるようになりたいです」


そりゃそうだよな。


ラケットにボールが当たらないと、そもそもテニスの面白さもクソもない。


とりあえず手出しかな。


「それじゃあ俺が手でボールを投げるから、打ってみて!」


一球目。


スカッ


なるほど。


「惜しい!」


もう一球。


スカッ


惜しい。


「惜しい惜しい!」


三球目。


スカッ


おっ。


「いいねえ!」


「先輩」


「ん?」


「当たりません」


「当たるよ」


「当たりません」


当たりそうだけどなぁ。とりあえず本当に当てるだけの練習にしてみるか。


「やってみようか。ちょっとネットに近づこう」


ボレーだったら本当に誰でも当てられる。


「横向いて、顔は正面のコートを見て」


「横を向く……。顔は前……」


「そうそう。そしたら、腕を伸ばして、ラケットをそのまま右肩の延長に……そんな感じ!うまいうまい」


よし。これならいける。


「そしたら俺がボールを出すから、『そい!』って言ったら『グッ』って握ってみて」


「わかりました。そい!グッですね」


「そうそう!行くよー」


小野ちゃんが構えているラケットに向かって強めにボールを投げる。


「そい!」


グッ!


パコンッ


当たった!


しかも向かいのコートにしっかりボールが返っている!


「ウオオオオ!やるじゃん小野ちゃん!」


「当たった……」


「それがボレーだ!」


「ボレー……」


「よし!このままさっきの練習をもう一回やってみよう!」


「はい!」


そこからは時間の問題だった。


コツを掴んだ小野ちゃんは時々空振りしつつも、『ラケットにボールが当たるようになる』という目標自体は達成できた。


俺はこの、できなかったことができるようになる瞬間ってのが大好きだ。


よかったな小野ちゃん!


いい顔できるじゃん。


練習が終わる頃には、小野ちゃんから漂っていた薄紫色のオーラは消えていた。


◇


今日、いきなり練習に参加することなったにもかかわらず、小野ちゃんは飲み会まで来てくれた。


改めて思う。声をかけてよかったな。


大人しそうな子だし、あっちのしっぽりテーブルで楽しくおしゃべりしてくれていれば今日は大成功だ。


そう思っていたのだが……。


遠くのテーブルにいる小野ちゃんを横目で見ていると、


持っているの、ビールか……?


「ごくっごくっ……ぷはー!」


「大丈夫!?小野ちゃん」


「無理しないでね!」


「んまい」


おお!?やるなぁ!


「おお!小野ちゃん飲めるじゃん!」


大丈夫か?


まぁ、恵美子が水を飲ませてるし大丈夫か。


「おっしゃー!行くぞーーー!」


<アフロ!アフロ!

<アフロ先輩!お供しますよ!

<俺たちキウイ♪パパイヤ♪アフロだね♪


「ゴクっごくっぷはー!うんめーーー!」


「アフロ先輩!飲みましょう!」


「やるなあサブレー!」


「任せてくださいよー!」


「ガハハハ!」


新入生のサブレは面白いし、いいやつだ。


二十二歳。今年は二十三になるらしい。俺よりも年上だ。


それなのに、「何を言ってるんですか。サークルや大学ではアフロさんが先輩なので、敬語を使わせてください」などと言って、実際その通りにし行動している。


なかなかできることではない。


飲み会のマナーもしっかりしているし、掘り出し物だな。


ん?


小野ちゃん。


なぜ君はこっちに向かってきているんだい?


「アフロ先輩《センパーイ》!飲みましょう!」


「お、おう!」


だ、大丈夫なのか?


「かんぱーい!」


「乾杯!」


「「ごくっごくっごくっ!ぷはー!うまい!」」


いい飲みっぷりだな小野ちゃん!


「小野ちゃん飲んでなくない♪ウォウウォウ♪」


大学デビューのカズヤが煽っている。


おそらく入学前に美容院に行き髪を染め、「大学生 ファッション メンズ」とでも検索して仕入れた服を着て、Youtubeの動画か何かで少し勉強したコールで周りを煽るが、足元は子供用運動靴を履いている感じの抜け感。


先輩の下ネタには誰よりも大袈裟に笑い、女の子の前では少しだけ声が低くなる。


見ていて面白いので、俺は結構好きだった———。


なんてことを考えていると、小野ちゃんがスマホを突然投げ捨てた!?


なんで!?


「まかせろー!うおおおーーー!」


おおおお!やるなあ!


<やるなあ小野ちゃん!

<ラケットよりもジョッキが似合う女!

<アフロの弟子!


いつの間にか小野ちゃんは俺の弟子になっていた。


む?


小野ちゃんがカズヤに勝負を挑もうとしている。


「カズヤ!次はお前の番———」


「おいおい♪小野ちゃん♪そんなもんじゃねーだろ♪」


むむ?


小僧、煽っているだけで自分は飲んでいないぞ?


「まかせろー!ごくっごくっ!ぷはーーー!んまい!」


おお、小野ちゃんやるなぁ!


「おいおい♪小野ちゃん♪そんなもんじゃねーだろ♪」


カズヤはまだまだ小野ちゃんのターンを継続させようとしている。


……。


これはルール違反だな。


注意をせねばならんぞ。


「おい、カズ———」


俺が声をかけようとしたその時。


「カズヤ♪飲んでなくない♪ウォウウォウ♪」


……。


サブレ……。


やるなあ!!!


◇


それからしばらく飲み会は大盛り上がりだった。


カズヤとサブレを中心に、他の新入生たちも上級生も、飲んで飲ませての健全な飲み会だ。


……?


小野ちゃんがいつの間にか輪からハミ出た場所で座っている。


大丈夫か?


目が半開きだぞ。


「小野ちゃんやべー!!!」


「おいおいカズヤ、女性に向かって『やべー!』とはなんだ!マナーの悪いやつだな!コレでも飲め!」


「ンゴっっ!ぷはぁ!写真撮っとこうぜ!」


「こらこら」


カズヤがカメラを小野ちゃんへ向ける。


俺は反射的に手を伸ばし、そのスマホを下げた。


「おいおいカズヤ、リプトンの飲み会においてカメラは立ち入り禁止だぜ」


「あ、マジすか」


「うむ。説明を聞いていなかったようだな」


「すんません」


カズヤは素直にスマホをポケットへ戻した。


新入生の美咲ちゃんが小野ちゃんに水を飲ませてくれている。


サブレに叱られながらカズヤはカオスの中心に連れて行かれてしまった。


「おら!マナワル野郎め!コレでも飲め!」


「ンゴっ!ぷはぁ!」


「仕方がない。お前の罪に付き合ってやろう!ゴクッゴクッ!プハー!」


「お前は自分が飲みたいだけだろうが!」


ははは。


カズヤは、サブレが同期でよかったな。


タイミングと相手によっては干されてるぞ。


まぁ、別に悪い奴じゃないのはわかっているし、俺もカズヤのことは好きだ。


新入生なら知らなくても仕方がないし、友達が酔っぱらっている姿を面白がって撮ろうとするくらいなら、大学生にはよくあることだ。


ただ、炎上だの個人情報だのという小難しい話以前に、これから何をやらかすか分からない人間にカメラを向けるのは趣味が悪いってことを自分で気づけるようになってくれるといいな。


飲み会の思い出は、頭の中にだけ残す。


覚えていれば笑い話になる。


忘れてしまったら、周りの奴に聞けばいい。


写真や動画という明確な証拠が残ってしまえば、それは答え合わせではなく確認作業になってしまう。


それでは風情がない。


何より、いつどこからカメラを向けられているか分からない場所で、安心してバカになれるわけがない。


人間、バカになる時くらい、プライバシーは守られるべきだ。


……。


さっきまで水を飲んでいた小野ちゃんが、何やらブツブツ言いながら、カオスの中心に向かっている。


「私を……仲間外れにする気か……そうは問屋が……おろさんぞ……」


小野ちゃん!?


コレはやばいやつだ!


「小野ちゃん、大丈夫か?」


「大丈夫でsウオロロロロロ!」


……大丈夫じゃなかった。


頭から被った酸っぱいゲロの匂いで去年の記憶が蘇る。


<ぎゃあああああああああ


<うおお!小野ちゃんがやりやがった!


<誰か袋を持って来い!いや、雑巾だ!


<であえであえ!


<サブレ!それは飲んじゃダメだ!小野ちゃんのゲロだ!


阿鼻叫喚だ……。


俺はというと、あまりにも身に覚えがある光景に思わず笑いが止まらなくなり、


「ウオオオオ!俺の後継者が現れたぞ!」


と叫んでしまった。


ゲロ処理に追われる周りの同期や先輩たちも笑い出す。


突然の出来事に呆然としていた新入生たちも笑い出した。


小野ちゃんだけは「ごめん…な…さい…」と涙目だ。


みんなでゲロを片付けながら、すでに主役は去年のションベン話に持ってかれていた。


「いやー、去年はやばかったな!ションベンを漏らすというか、振り撒いてたもんな」


「大型新人現る!って話題になってたな。当のアフロは寝ていたが」


「ゲロを吐いてそのゲロを尿で流すアフロの姿を見てこれはこのサークルに入ろうと決めたんだよな」


ひどい言われようだが、ションベン事件が後継者の傷を少しでも癒してくれるのならば、過去の俺も報われるだろう。


小野ちゃんは今日、恵美子の家に泊めるらしい。


恵美子に支えられながら、弱々しくも自分の足で退場していく小野ちゃんの後ろ姿に


「来年は君が後輩のゲロを片付ける番だ」


と、エールを送る。


頑張ったな小野ちゃん。


いや、我が弟子——新歓ゲロの後継者よ。


大丈夫。


ゲロを吐いて、ションベンを漏らすくらいで大学生活は終わらないさ。






※この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。また、法律・法令に反する行為を容認・推奨するものではありません。


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