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"揺れるアフロ"と"しじみ汁"④


アフロ先輩に連れて行かれた『リプトンテニスクラブ』は、想像していたよりもまともなテニスサークルだった。


綺麗な女性の先輩が高校時代に使っていたという、良い香りのするジャージを貸してくれたので、着替えて戻ると、私が使うためのラケットとテニスシューズが用意されていた。


新入生も少なくないみたいだが、今日初めてきたのは私を含めて三人。


一人は、左耳に三連リングのピアスをつけたやたらと顔の良いチャラそうな経験者。


もう一人は、似合わない金髪に雑誌で見たような服を着ている低身長の未経験者。


そして、テニスどころか運動経験もないメガネをかけた誰とでも寝るチビ女の私だ。


他の新入生たちはすでにグループができあがっている。


まぁ、今日はせっかくだしテニスをして帰ろう。


たまには運動も悪くない。


◇


練習が始まってもやはり『リプトン』はまともにテニスをしていた。


おかしなものは歌うアフロだけで、特に変なサークルではないみたいだ。


なんなら当のアフロでさえ、頭がもじゃもじゃしている以外は極めて真っ当な人間のようだ。


「テニスは……中学までやっていました」


などと言っていた、チャラそうな経験者は、想像していたよりもずっとテニスがうまかったので、普通に先輩たちに混ざってラリーをしていた。


金髪のチビは、


「未経験です」


とか言いながら、元々の運動神経がそこまで悪くはなかったみたいだ。一般初心者組に混ざって違和感なく練習に参加できている。


ふむ。


落ちこぼれは私だけか。


私も金髪と一緒に初心者たちの練習に混ぜてもらったは良いものの、そもそもラケットにボールが当たらない。


意味がわからない。


動いている小さなボールをラケットのような道具で打ち返す行為をなぜ皆平然とやってのけるのだろうか。


もちろん初心者たちは打ち返す方向が合っているわけでもないし、ネットを超えないこともあれば、外を囲っている柵を越えるようなボールを打つこともある。


しかし、全くラケットとボールが接触しないのは私一人だった。


……。


まぁいい。


ラケットにボールが当たらなくたって死にはしない。


別に今日を乗り越えれば、二度とやることのないスポーツだ。


適当に空振りして帰ろう。


経験者側のコートを見ると、チャラ男が先輩とゲーム形式でバシバシやりあっていた。


ルールはわからないが、とにかく楽しそうだ。


あんなふうに打てたらそりゃあ楽しいんだろうな。


ラケットにボールが当たらない人間の気持ちなど一生わからなそうな顔をしている。


まったく。


……。


「小野ちゃん、テニス初めてって言ってたよね」


突然現れた巨大なアフロが聞いてきた。


「はい」


「じゃあ、こっちで俺と特訓だ!」


とうとう初心者の群れからも弾き出されてしまった。


……。


他のコートは12人以上でシェアして使っているというのに、私だけ贅沢にアフロ先輩のマンツーマンレッスンだ。


みんなが見ている。


本当だったら今頃家で本でも読んでいるはずだったのに、なぜ私はこんなところで他人のジャージを着て辱めを受けているのだろう。


……。


考えても仕方ない。


私にはアフロの特訓を受ける以外に選択が残っていないのだから。


アフロ先輩は丁寧にラケットの持ち方から教えてくれた。


「ラケットを包丁みたいに持つのがイースタングリップで、置いたラケットを上から握るのがウエスタングリップだよ」


「何が違うんですか?」


「イースタングリップは少し前は主流だった握り方で、面を固定して打つからフラット系のボールが打ちやすいし、両手バックハンドを打つ時にグリップチェンジをしなくても左手を重ねるだけで打てるメリットは大きいね」


何やら呪文を唱え始めた。


「なるほど」


「それで、ウエスタングリップは現在のプロシーンで主流の握り方で、フォアハンドのドライブショットがとにかく打ちやすい。俺も基本的には厚めのグリップで打つタイプかな」


「プロで主流ってことはウエスタンの方が優秀ってことですか?」


「そうとも限らない。プロとはフィジカルも要求されるショットの質も違うからね。小野ちゃんはどんなテニスがしたい?」


どんなテニスと言われても、そもそもテニスをしたいかどうかということから考えなくてはいけないんだが……。


とりあえず


「ラケットにボールがあたるようになりたいです」


せっかくテニスをしにきたんだ。


ラケットにボールを当てずに帰ったら、テニスをしたとは言えない気がする。


「オッケー!そしたら一旦イースタングリップでやってみよう!イースタングリップなら、力がなくても当たればボールは飛ぶから!」


「こうですか?」


「そうそう!そんな感じ!うまいじゃん!」


「まだ握っただけですよ」


「それじゃあ俺が手でボールを投げるから、打ってみて!」


至近距離からアフロがヤマナリのボールを下手《したて》で投げてくる。


ふん。


スカッ


空振り。


「惜しい!」


もう一球。


空振り。


「惜しい惜しい!」


三球目。


空振り。


「いいねえ!」


何も良くない。


「先輩」


「ん?」


「当たりません」


「当たるよ」


「当たりません」


「やってみようか。ちょっとネットに近づこう」


真ん中の線より前に連れて行かれた。


「横向いて、顔は正面のコートを見て」


「横を向く……。顔は前……」


「そうそう。そしたら、腕を伸ばして、ラケットをそのまま右肩の延長に……そんな感じ!うまいうまい」


まだラケットを持って立っているだけなのだが。


「そしたら俺がボールを出すから、『そい!』って言ったら『グッ』って握ってみて」


そい!と言ったらグッだな。


そい!グッ


そい!グッ


よし、いつでも来い。


「行くよー」


アフロ先輩がボールを私のラケットに投げつけてきた。


「そい!」


グッ!


パコンッ


!?


当たった。


しかも向かいのコートにしっかりボールが返っている。


アフロを見る。


「ウオオオオ!やるじゃん小野ちゃん!」


私よりもはしゃいでいた。


「それがボレーだ!」


「ボレー……」


今日初めて聞く単語だ。


なんということだ。


ラケットにボールを当てるどころか、相手のコートにしっかり返球してしまった。


目標を一足飛びで乗り越えてしまった気分だ。


実際には私が持っているラケットにアフロがボールを投げつけただけなのだが。


……。


悪くない。


「よし!それじゃあもっかいさっきのやつやろうか!」


「はい!」


「ほいっ」


空振り。


「いいねえ」


空振り。


「さっきより近いよー」


ガシャッ


フレームに当たったみたいだ。


「ナイスナイス!この調子!」


ポカッ


ラケットに当たったボールがネットに吸い込まれていく。


「ウオオオオ!当たったじゃん!」


「当たりましたね!」


「どう?」


「当たりました!」


「やったな!」


「ありがとうございます!」


「体が忘れないうちにもうちょっとやっていこう!」


「はい!」


その後もアフロ先輩の特訓は続いた。


アフロ先輩はテニスが上手い。


インターハイにも出たことがあるらしい。


自分の練習もしたいだろうし、他の人たちもアフロ先輩とテニスがしたかったと思う。


でも、その日は最後まで私の練習に付き合ってくれた。


おかげでまだ空振りはするけど、ラケットにボールは当たるようになってきたし、何球かに一球は相手のコートに入るようにもなった。


実に充実した練習だった。


意外とテニスも悪くないものだな。


なんて思っていると、チャラ男と金髪が何やら変な会話をしている。


「カズヤよ。『うんこ』と『うんち』の違いを知ってるか?」


「なんだよいきなり」


「『うんこ』とは、野菜や穀物のみを消化吸収して排出されたものでな」


「『うんち』とは、魚や肉などのタンパク質を消化吸収して排出されたものとなるらしい」


「つまり人間は『うんち』をしているわけだな」


「知らねえよ!」


……。


知らなかったな。


◇


「恵美子さん。練習着を貸していただいてありがとうございました」


「全然!練習楽しかった?」


「はい!」


「最後はボールに当たるようになってたもんね」


「アフロ先輩の教え方がうまかったおかげです」


「あいつは教えるの上手いよね!楽しかったならよかった」


「服は洗って返しますね」


「良いの良いの!気にしないで!」


女の先輩とちゃんと話せたぞ。


しかも、こんな美人の先輩とだ。


「それじゃあ行こうか」


「どこに?」


「風呂」


「風呂?」


「汗かいたでしょ」


「かきました」


「だから飲み会の前にお風呂入らなきゃ」


「なるほど」


「小野ちゃんも行くよ」


「そうなんですか」


「行かないの?」


「行きます」


テニスだけやって帰ろうと思っていたのだが……。


飲み会まで行くことになってしまった。


お風呂も。


まあいい。


汗でべちょべちょだ。


このまま着替えても着替えまでべちょべちょになってしまう。


風呂に入るのは合理的な判断と言えよう。


◇


先輩たちが連れてきてくれた大学近くの銭湯は実に趣のある風貌だった。


昔ながらの街銭湯という感じだったが、サウナも水風呂もついていて、わざわざ遠くからも入りに来る人がいるらしい。


女友達すら殆どいない私はいわゆる裸の関係とやらには慣れておらず、同性とはいえ知り合ったばかりの人たちと一緒に風呂に入るのは気恥ずかしかったが、「大学生とはこういうものか」と割り切った。


汗を流した後の湯船は、思いがけない快楽だった。


思わず、


「ふいー」


と、おっさんみたいな声が漏れた。


「小野ちゃんもおっさんみたいな声出すんだね、かわいい〜」


隣にいた恵美子さんが笑う。


「ふいー」


「ふいー」


なぜか周りまで真似を始めた。


恥ずかしい。


非常に恥ずかしい。


ただ。


そんな風に大勢から悪意なくいじられた経験は、今まであまりなかった。


少し嬉しかった。


ふと、横を見ると、やたらと大きな胸を湯船に浮かべている子がいる。


確か……同期の美咲ちゃんだ。


可愛い顔してとんでもないものを持っているな。


ん?


目が合ってしまった。


気まずい。


「……でっかいね」


私は何を言ってるのだろうか。




※この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。また、法律・法令に反する行為を容認・推奨するものではありません。

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