9話 「何か」と風呂とコピーの力
8話の続き。
リョーは電車内のトラブルで一時期電車に乗れなくなってしまった過去があった。
その過去を思い出し、手をつないで「何か」と電車に乗った。
帰り道、自分の過去を乗り越えているのだとふと感じながら、帰路を辿った。
家に帰ると疲れがどっと溜まっていたのか、自室に入るとすぐ仰向けになった。
なんだか遠足に行った気分だ。
このままゴロゴロとしていたらきっと眠ってしまうだろう。
「何か」のほうを見る。
まるで疲れていない様子だった。
窓の外の散歩している人や犬などを見ているのだろう。目線があっちこっちに移動しては対象物を追うように身を乗り出して窓の外を見ている。
元気そうでなりよりだ。
それに対し俺は、朝起きてもう一人の自分がいることや、学校にもう一人の自分に出くわすことや、もう一人の自分と電車に乗ろうとしたこと、それらだけで一週間分の疲れを優に超えていそうだ。
先に風呂に入ってしまおう。
そう思ってたちがると、風呂場へ向かった。
そして、「おいだき」のボタンを押す。
すぐにお湯を足すときに流れる機械音が流れたのを確認して、部屋に戻る。
さて、10分の待ち時間ができた。
再び床に寝っ転がる。
頭の中の話題はやはり「何か」である。
「何か」について今日でいろいろと分かることがあった。
1つ目、「何か」は確実に人、特に俺を見て学んでいる。
朝は道路の真ん中を歩いたり、信号機を飛び出したりとかなり自由だったが、帰りは白線の上を意識的に歩いていた。
それに、電車できちんと人が下りるのを待っている俺を見て同じようにまねしていた。
ことあるごとに俺の方を見てそれにできるだけ近づけて行動しようとしている。
まるで、親を見て育つ子供のように。
2つ目、俺を見て「何か」は姿を変えている。
昨日今日で、「何か」は目に見えない姿からパジャマ姿の俺に、そして制服姿に変わった。
こっちはあまり、結論付けるに十分な要素はないが、とにかく「何か」はいつも自分の姿が流行りのスタイルらしい。
これから独自の路線を走ってほしいものである。
自分と同じ姿ばかり視線に入っていては生活への不満が溜まりそうだ。
そして、3つ目。
自分の過去と「何か」は所々つながっている。
それはつまり、自分の見たくないものを「何か」を通してもう一度見る羽目になるかもしれないということだ。
あの電車の時のように、自分の経験したことを「何か」も同じように体験するというのは絶対に嫌だ。
たとえ、人じゃない「何か」だとしても。
今回は多分、なぜ駅のホームで立ち竦んでしまったのかわかっていないだろう。
あのようなトラブルを「何か」は見ていないのだから。
しかし、怖いという感情は確かにあの場所で「何か」から感じたのだ。
たぶん、感情が飛び出していたのだろう。
しかも、なぜそんな気持ちになっているのかも知らずに。
その点は、これからも注意していこう。
そう心に決めた。
しばらくすると、風呂が温まったことを告げる音が聞こえた。
寝巻をもって風呂場に向かう。「何か」もそれを見てついてくる。
服を脱いで裸になると、「何か」は驚いた。
裸がそんなにおかしいことか?そう思っていたが、そんな仕草を見せるのも納得してしまった。
「何か」が服を全て脱いだ時、顔と首と手を除いて肌色一面の皮膚がなく、初めて会った時のような透明な身体をしていたのである。
その時、初めて「何か」を化け物だと思ってしまった。
そう見えてしまった。
この驚きを勘付かれないように、手ぬぐいをもって風呂に入った。
しかし、勘ぐられていたようである。
風呂の外でひたすら出てくるのを待っていた。
まあ、「何か」は風呂で体を洗うことはできないのだから、待ってるのが普通なのかもしれないが。
体を洗い、湯船に入り、「何か」は風呂に入るべきなのか、イマジナリーフレンドも風呂に入るのか、幽霊は体を清めることがあるのか。そういえば「何か」は寝巻きを切れるのか。
そんなことを考えていたせいでかなり長風呂になってしまった。
せっせと湯船から上がり、手ぬぐいで体を拭いた。
風呂から上がって、「何か」洗面所の近くでぽつんと立っているのを発見し、また目を見張る。
全身が肌色一色となっていた。
俺を見て、コピーをしたということか。
それならば、とある案が浮かんだ。
「何か」に目配りをしてこちらに目を向けさせ、俺はパジャマ一式をさっと着て手を広げた。
見せるだけでコピーができるのであれば、これで「何か」もパジャマになることができるのではないか?
目を見開き、「何か」はこちらを上から下まで眺め始めた。
そして、うーんというような顔で目を瞑った。
頭の中でパジャマをイメージしているのだろう。
しばらく時間がかかりそうだと思ったので、お茶を飲もうと台所へ向かう。
コップを出して、一口分ペットボトルから注いで飲み干すと、再び洗面所付近に向かった。
そして予想通り、「何か」はパジャマ姿になっていた。
やっぱり、「何か」は目で見ることで自分だけが使える模倣したモノを作り出すことができるのだ。
想像以上に簡単にできるらしいな。
そう感心していた。
そうすると、次は不安が募ってゆく。
「何か」は俺のほかにも模倣できるんじゃないか?
例えばハマダとか、妹とか母とか、
例えば小田谷とか。
まあ、ないだろう。杞憂であればいいが。
現実にフラグなんてものは存在しない、するはずない。
もう一人の自分はいるかもしれないが。
・・・・・
まあ、きっと大丈夫だろう。
4人分のご飯とみそ汁を準備するために、台所へ向かうのだった。




