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8話 リョーと電車

7話の続き。

リョーと「何か」は家に帰るたびに再び駅へ。「何か」を電車に乗せるために、リョーは手をつないだ。

そして、その手によって2人は電車に乗ることができた。

 小学生になって間もないころの話だ。

俺は、母と急行電車に乗って、映画館に行こうとしていた。


その電車の中で、誰が聞いてもうるさいと感じる声で話す3人の学生が近くのドア付近にいた。

隣に座っていた60歳くらいの白髪のおじさんがその声に耐えられず、立ち上がって注意をし始める。


初めは、3人とも静かに聞いていた。しかし、おじさんの説教もうるさく、グループの内の1人がそれをなだめた。その行動におじさんはさらに怒りを見せ、怒鳴り始めた。そうすると、3人がおじさんに抵抗し始めた。


電車の中は不穏な空気が流れていた。その空気に乗り込まれ、4人を止めようとする人も電車内にはいなかった。

まだ、漢字をようやく習い始めたような子供だった俺は、彼らが何を言っているのかはほとんど分からなかった。

しかし、それらがとても汚い言葉で傷つけあっていることは理解できた。



嫌悪や憎悪という言葉で表せられようその状況は、俺の心をひどく蝕めた。

母もそれを察知し、隣の号車に移動しようと俺に目配りをした。

しかし、それは意味を成さなかった。


彼らを見たくもなく、声を聞きたくもなかった。

それなのに、いつも以上に耳ははっきりと音をとらえ、目をつぶりたいのにその鬼のような形相にとらわれてしまっていた。


やがっておじさんが1人の体を突っぱねた。それを見て、また学生の1人がおじさんの胸ぐらをつかんでいた。

お互い引き下がれなくなっていたのだろう、睨み合いが続き、いつ何かが起きてもおかしくない状況になっていた。



すでに俺の目からは涙はこぼれていた。寒気も止まらなかった。


そして、いつの間にか声をあげて泣き始めていた。

この最悪な空気を振り切るためか、言いようのない感情がこうして形になったのか。



すでに胸ぐらをつかみ返したおじさんはその泣き声を耳にしてその手を放し、しわがついた制服の学生は深くお辞儀をして謝った。あとの2人もそれに続いて謝った。



母は俺の頭をふんわりとなでた。

やがておじさんは元の席に戻り、学生らそれぞれの最寄りの駅を静かに待っていた。

電車は止まることなく運転し、何事もなく駅に着いた。



それで事態は収束した。



しかし、心は全くと言っていいほど良くならなかった。



心に残ったトラウマは映画を見ている間も残り続けていた。



映画を見終わった後、再び駅に着く。

着いた途端に、また寒気がした。頭が、ぼーっとしていて全く働かない。

帰りの電車が到着し、人が激しく出入りしていた。



その人混みが収まってからも電車には入れなかった。

足が動かなくなっていたのだ。


人の顔を見るたびに、あの時のことが何度も鮮明に蘇った。

頭がその記憶にとらわれると、体は電池の入っていない機械のように全てを停止させた。



母は俺の異常に気づいて急いで電車を降りた。

そして、見たことのないほど強張った我が子の顔を見て、おもいきり体を抱き寄せた。


身体はひどく震え、冷たかった。



電車は2人を置いて、発車し始めた。



結局、帰りはタクシーに乗って帰った。

タクシーに乗っている間母は、ずっと手を握りしめていた。




あの後、2ヵ月ほどで電車に抵抗なく乗れるようになった。

それは、駅についてからもずっと母が手をつないでひたすら元気づけてくれたからである。



人の心をよく理解し、内に秘めるその恐ろしさと温かさを一番感じた2ヵ月だった。









「何か」と電車に乗ったとき、そんな過去を思い出していた。



「何か」も俺も、静かに電車の揺れを感じていた。

駅に着くまで、ぼんやりと無限とも思えるようなビルを眺めていた。


電車を降りたとき、「何か」は笑顔だった。

それは、電車に対する恐怖がなくなったときに、自然に母に見せたときのような安心させる、心をほっとなでおろすような、そんな気分にさせた。



その顔を見て、なんだか泣きそうになってしまった。

嬉しくて、いろいろな思いがこみ上げてきていた。



「何か」から顔をそらし、なんとか自然な笑顔を見せようと、できるだけ口角を上げた。



そして、もう一度「何か」の顔を見る。

変わらず見せたその笑顔を見て、自分もまた自然に笑みがこぼれた。

それは、家に着くまでずっとそのままだった。



夕日がやけに眩しい夕方だった。

久しぶりに夕焼けがきれいだと思った、そんな一日だった。

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