表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
あなたの歩幅に合わせていたのは、わたくしでございます 〜婚約解消の翌週から、殿下は誰とも踊れません〜  作者: 由良こはる


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
3/15

第3話 合わせていたのは、どちらでしょう

 噂というものは、当人より先に歩くのでございます。

 婚約の解消が正式に告げられましたのは五日後でしたけれども、その三日前には、もう園遊会の芝生の上を歩いておりました。


「十年もお待たせして、結局お応えできなかったのですって」

「まあ。それでは、あちらのご不首尾ということ」

「殿下のほうから、とは仰らなかったそうですわ。リンダール嬢からお願いしたと」

「そうでしょうとも。そう申し上げるものですもの」


 その日の園遊会には、行かないという道もございました。

 欠席すれば「傷ついている」と読まれます。出席すれば「厚かましい」と読まれます。どちらに転んでも読まれるのでしたら、読まれ方の軽いほうを選ぶのが得でございます。母は最後まで反対しておりましたけれど、支度を終えて玄関に立ちましたら、黙って襟元を直してくださいました。


 芝生はよく刈られ、日差しがまだ強うございます。

 わたくしは白い天幕の下で、冷めかけたお茶をいただいておりました。

 こういう時にお茶をいただくのは、口をふさぐためでございます。何も申し上げなければ、話は勝手に形を得て、勝手に落ち着きます。落ち着いた形が正しいかどうかは、また別の話でございました。


「リンダール嬢」

 初老のご夫人が近づいてこられました。

「お気を落とされませんように。若い方には、若い方のご縁がございますからね」

「ご心配をおかけいたします」

「ええ、ええ。それにしても十年は長うございましたわねえ」

 わたくしは頭を下げました。長うございました、と申し上げるのが正しいのか、あっという間でしたと申し上げるのが正しいのか、まだ決めかねておりました。


 天幕の向こうで、扇が三つ寄り集まっております。


「けれど、踊りだけは合っていらしたわね。お気の毒に」

「あれは殿下がお上手なのですわ。どなたとでも踊れる方でいらっしゃるもの」

「そうそう。エルミナ様とも、それはお楽しそうで」


 その時でございます。


「では、どなたが数えていらしたんですの」


 小さな声でございました。小さいのに、芝生の上をまっすぐ渡って参りました。

 扇が三つとも止まります。振り向きますと、天幕の縁に、緑の服を着た小さなご令嬢が立っておいででした。十三、四でいらっしゃいましょうか。手袋を握りしめておいでで、その手が白くなっております。


「あら。ザントナー家のお嬢様?」

「オルガと申しますわ。それで、どなたが数えていらしたのかと伺っております」

「数える、とは何のことかしら」

「拍でございます」

 オルガ様は一歩前へお出になりました。

「わたくし、去年の冬の舞踏会で、リンダール様のつま先をずっと見ておりました。殿下の左足が遅れるたび、リンダール様が先にお動きになるのです。四回に一度は必ず。数えましたもの」


 扇の陰から、返ってくる言葉がございませんでした。

「……あら、まあ。子どもの目には面白いものが映るのねえ」

「わたくし、そのために踊りを見に行くのでございます」

「ええ、ええ。ご立派ですこと」


 三人はゆっくり離れていかれました。負けたわけではございません。ああいう場では、離れた側が勝ちでございます。


 オルガ様はまだ手袋を握っておいででした。


「オルガ様」

「……はい」

「ありがとうございます」

「お礼を言われる筋合いはございませんわ。わたくしは本当のことを申し上げただけですもの」

「ええ。ですから、ありがとうございます」


 オルガ様は口を開き、それから閉じられました。目のふちが赤くなっております。怒っておいでなのだと、しばらくしてから気がつきました。わたくしのために怒っておいでなのでした。


「あの方たち、どうしてリンダール様が悪いことになるんですの」

「そういう作法だからでございます」

「作法」

「解消のお話は、たいてい娘の側からお願いしたことになります。そのほうが角が立ちませんので」

「角が立たないのは、どなたですの」

 わたくしは答えられませんでした。


 オルガ様は芝生を一度蹴って、それからわたくしを見上げられました。


「リンダール様。わたくし、来月に初めての舞踏会がございます」

「まあ。おめでとうございます」

「めでたくありません。わたくし、人前だと足が動かなくなるんです」

 握りしめた手袋が、いよいよ皺だらけになっております。

「姉が三年前に、大広間の真ん中で転びましたの。皆さま、笑いましたわ」

「……さようでございましたか」

「ですから」

 オルガ様は息を吸い、それから一息に仰いました。


「わたくしに、教えてくださいませんか。数える踊り方を」


 風が天幕の布を鳴らしました。

 わたくしは、すぐにお答えできませんでした。


 数える踊り方、という言い方を、これまで誰もなさったことがございません。わたくし自身も、そう呼んだことがございませんでした。あれはわたくしの手癖で、隠しておくべき不作法で、上手な女がやることではない、というのが十年の理解でございます。

 その手癖に、この十三の方は名前をおつけになりました。


「オルガ様。それは、あまり上品なやり方ではございませんのよ」

「上品でしたら、姉は転びませんでしたわ」

 言い返す速さだけは一人前でいらっしゃいます。

「わたくし、上手になりたいのではありません。転ばずに、最後まで踊りたいのです。それだけですの」


 わたくしはお茶を置きました。

 十年ぶんの帳面は、もう手元にございません。けれども、書いてあったことは全部覚えております。覚えていることは、誰にも返せと言われないものでございました。


「歩幅を測らせていただくことになりますけれど、よろしいですか」

「はかる」

「紐と白墨を使います。ご自分の一歩が何指ぶんかを知らないうちは、どなたにも合わせられませんので」

 オルガ様の目が、大きくなりました。

「ご自分の、と仰いました」

「はい」

「合わせるお話ではなくて」

「まずはご自分の歩幅からでございます。オルガ様の一歩を知っているのは、この世でオルガ様おひとりですから」


 オルガ様はしばらく黙って、それから深く頭を下げられました。

 握りしめておいでだった手袋が、ようやく手を離れて地面に落ちます。拾って差し上げますと、皺の寄った布の内側が、じっとりと湿っておりました。


 帰りの馬車で、母に今日のことを申しました。

「ザントナー家の。あの、お姉様が転ばれた」

「はい」

「よそ様のお嬢様に踊りを教えるなど、聞いたことがございませんよ」

「ええ。わたくしも聞いたことがございません」

「なら、およしなさい」

 母は窓のほうを向いておしまいになりました。心配しておいでなのはわかります。娘が婚約を解いた月に、風変わりなことを始めたと言われては、下の弟の縁談に障りますので。


 わたくしは、返事をいたしませんでした。

 噂は当人より先に歩くと申し上げましたけれど、歩いていくのは噂だけでございます。あの方の一歩が何指ぶんかは、噂には測れません。

 オルガ様は、扇三つの真ん中へ割って入るところだけ決めて置きました。あとはご本人が勝手にお喋りになります。十三歳、言い返す速さだけは一人前。作者は書き取り係でございました。

 もっとも、握りしめた手袋の内側は湿っております。口が悪いのは、たいてい怖さの裏返しでございますので。

 次は、十年ずっと客席ではなく舞台の側から見ていた方が、ひとりだけ口を開きます。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ