表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
あなたの歩幅に合わせていたのは、わたくしでございます 〜婚約解消の翌週から、殿下は誰とも踊れません〜  作者: 由良こはる


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
14/15

第14話 エルミナ様の一小節

 残りは八日でございました。

 稽古は王宮の稽古場をお借りいたしました。クヌート様が使わせてくださったのでございます。ご自分は一度も見物にいらっしゃいませんでした。


 初日、わたくしはエルミナ様に紐をお渡ししました。稽古場の床はよく磨かれており、白墨がきれいに乗ります。

「まず、ご自分の三歩を測ってくださいませ」

「あなた様が測ってくださらないの」

「ご自分でお測りください。ご自分の一歩は、ご自分で知っておくものでございます」


 エルミナ様は膝をついて紐を伸ばされました。公爵家のご令嬢が床に膝をつくのは、たいへんなことでございます。裾の埃を気になさる素振りはございません。


「……あなた様と、同じくらいでございましょうか」

 わたくしは自分の三歩を並べて測りました。印は、ほとんど重なります。

「ええ。わたくしと同じでございます。殿下より、指三本ぶん狭うございます」

 エルミナ様が顔を上げられました。

「三本」

「はい。十年、わたくしが埋めていた三本と、同じ幅でございます」

「……では、わたくしも、埋めるのですね」

「いいえ」

 わたくしは、そこを間違えていただきたくございませんでした。

「埋めるのは、広いほうの役目でございます」


 わたくしは白墨で床に四つの点を打ちました。オルガ様に打ったのと同じ間隔でございます。


「エルミナ様。これまで、どのように合わせておいででしたか」

「殿下が動かれるのを見て、それから動いておりましたわ」

「見てからでは、必ず遅れます」

「では、どうすれば」

「合わせないでくださいませ」


 エルミナ様が、扇を持つ手を止められました。


「……合わせない」

「はい。ご自分の拍で出てくださいませ」

「そんなことをしたら、ばらばらになりますわ」

「なりません。合わせる者がひとりいれば、二人は揃います。二人とも合わせようとすると、二人とも遅れます」


 エルミナ様は、しばらく点を見ておられました。


「では、合わせるのはどなたですの」

「殿下でございます」

「殿下が、わたくしに」

「はい」


 部屋が動かなくなりました。エルミナ様は、扇をゆっくりと下ろされます。


「リンダール嬢。それは、十年のあいだ、あなた様がなさっていたことでございましょう」

「はい」

「それを殿下に」

「はい」

「……できますかしら」

「できなければ、乱れます。乱れたら、それは殿下のご不首尾でございます。あなた様のものではございません」


 エルミナ様の目のふちが赤くなりました。

 それから、深く息を吸って、点の上に立たれました。


「一。二。三。四」

 わたくしが声を出しますと、エルミナ様の足が出ます。四つの点の上を、はじめは一歩ずつ確かめるように渡っていかれました。

 三日目までは、二歩目で必ず遅れておいででした。合わせる癖が抜けないのでございます。抜けない癖を抜くには、抜けるまで繰り返すよりございません。

 合わせる癖というのは、悪い癖ではございません。相手を見ている、というだけのことでございます。ただ、相手も同じことをしていると、二人でお辞儀を譲り合うようなことになります。誰かが先に出ないと、いつまでも始まりません。


 四日目に、アンゼルム様がおいでになりました。

「拍はこちらで出します」

 弓を構え、四小節だけ弾かれます。楽が鳴りますと、エルミナ様の肩が下がりました。人の声で数えられるより、楽のほうが恥ずかしくないのでございましょう。


「リンダール嬢」

 休みの合間に、アンゼルム様が仰いました。

「あなたが十年やっていたことを、八日で教えるのですか」

「教えているのは、合わせ方ではございません。合わせないやり方でございます」

「なるほど。そちらのほうが短くて済む」

「ええ。合わせるのは、十年かかりましたので」


 アンゼルム様は弓を下ろし、少し黙ってから仰いました。

「当日、私が首席で入ります。三歩目の拍を、わずかに広く取ります」

「……よろしいのですか」

「楽団の裁量です。誰にも咎められません」

「殿下の左足のためだと、お気づきになる方がおいでかもしれません」

「気づく方は、もう気づいておられるでしょう」


 五日目に、稽古場の扉が細く開きました。

 緑の帽子が覗いております。オルガ様でございました。


「見学ですの。邪魔はいたしませんわ」

「オルガ様。こちらは公爵家の」

「存じております。エルミナ様でいらっしゃいましょう」

 オルガ様はずかずかと入ってこられ、それから膝を折って、たいそう丁寧な礼をなさいました。礼だけは完璧でいらっしゃいます。


 エルミナ様が困った顔をなさいました。

「あなた、先日の披露で踊られた方ね」

「はい」

「よく通されましたわね。わたくし、あの日ずっと手に汗をかいておりましたの」

「わたくしは足に汗をかいておりましたわ」


 エルミナ様が笑われました。声を立てて笑われるのを見たのは、初めてでございます。


「オルガ様。ひとつ伺ってもよろしくて」

「なんなりと」

「止まった時、こわくございませんでしたの」

「こわかったですわ。ですけれど、こわいのは止まっている時だけでございます。動き出すと、なくなりますの」

「……動き出せない時は」

「数えてもらいますわ」


 エルミナ様は、床の四つの点をご覧になりました。

「当日、リンダール嬢は数えてくださいませんのよ」

「では、ご自分で数えればよろしいですわ」

 オルガ様は、あっさりとそう仰いました。

「わたくし、いまは自分で数えておりますの。先生の声は、もう頭の中におりますもの」


 エルミナ様が、こちらをご覧になりました。

 わたくしは何も申しませんでした。申し上げることは、この十三の方がもう全部仰っておられます。



 六日目。

 エルミナ様が、はじめて四小節を通されました。

 通し終えた時、扇が床に落ちました。三月のあいだ、ずっと握っておいでだった扇でございます。


「あら」

「エルミナ様。手が空いておりますね」

「……ええ。空いておりますわ」

 拾って差し上げますと、要の部分が緩んでおりました。握り続けた指の形に、骨が寄っております。


「新しいものをお持ちくださいませ」

「これでよろしいですわ。もう握りませんもの」


 八日目の稽古の終わりに、エルミナ様が仰いました。


「リンダール嬢。当日、いらしてくださいますか」

「わたくしは招かれておりません」

「わたくしがお招きいたしますわ。公爵家の連れとして」

「エルミナ様」

「見ていただきたいのです。……いいえ、違いますわね」

 エルミナ様は言い直されました。


「見ていただかないと、わたくしが困りますの。数えてくださる方が、どこかにいらっしゃると思えませんと」

「当日は、数えません」

「ええ。数えなくてよろしいですわ。座っていてくださいませ」


 わたくしは白墨を片づけました。

 六本買ったうちの、五本目が半分ほどになっております。

 「合わせないでくださいませ」。十年かけて身につけた技を、八日で反対向きに渡す回でございます。合わせるのには十年かかりましたが、合わせないやり方は八日で済むのだそうでございます。作者もその場で初めて伺いました。

 三月のあいだ握りっぱなしだった扇が、床に落ちます。要が緩んでおりました。手というのは、使ったほうの形になるものでございます。

 白墨は、六本のうち五本目が半分。十七日の夜、蝋燭は五百でございます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ