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―帰り道だけ彼氏面―・下


体育祭当日の朝はよく晴れていて、そして空気が澄んでいた。

七時前に八王子の駅に着くと、ちょうど中央線のホームに陸が立っているのが見えた。


「陸くん」

まなが呼びかけると、ゆっくりと陸が振り返って微笑む。


「おはよう、まな」

「おはようございます。間に合ってよかった」

「本当はゆっくりでもいいのに、付き合ってくれてありがとう」


まなの手を、そっと陸が取る。

指をやさしく絡めて、並んで電車を待った。


一緒に登校ができるかもしれないと思ったまなの行動は早かった。

前日のメッセージのやり取りで、朝早く登校するという彼に、自分も付き合いたいと伝えた。


ガラガラの電車に、二人手を繋いだまま乗る。

静かな、朝の時間。

揺れに合わせて彼の肩に重心が寄る。

言葉はなかった。

だけど、繋がれた指を撫でる彼の指の腹が心地よかった。


一駅の区間はあっという間で、すぐに最寄り駅へ到着する。

学校までの間も、手を離さなかった。

だれも居ない通学路。

朝日に、陸の髪が透けて、明るく光っていた。


「……すき」


気が付いたら、無意識に言葉が零れていた。

言ってからはっとして、口元を手でふさぐ。

恥ずかしさやらなにやらで、思わず頭を深く下げてしまった。

陸は穏やかに目を細めながら「俺も、まなが好き」とだけ答える。


今だけは、先輩とか、みんなの保健委員長ではなくて、まなの彼氏。

恥ずかしがりやで、真面目で、繊細な、一人の男の子。


「あ、ネコ!」

校門そばの木の下に、ネコがちょこんと座っていた。

しっぽを手に巻いて、こちらを窺うように見ている。


繋いだ手が離された。

その手を追いかけようとして、まなは止めた。

陸がスマートフォンを構えて、「撮ってもいい?」とネコに話しかける。

ネコはどうぞと言わんばかりにゆっくりと体を舐め始めた。


「かわいい」

ネコにとろけた表情で写真を撮る陸もかわいいなと思い、まなも同じように写真を撮った。


「よし、このネコちゃんにアプリのアイコン変えよう!」

陸が嬉しそうにアプリを操作しながら、早起きしてよかったと喜んでいる。


「私も、この子に変えようかな」


アプリの画面に並ぶ、ネコの写真。

お揃いのそれがちょっとだけ恥ずかしくて、でも嬉しかった。



吉田は意外と早く登校してきて、そして一緒に準備やトイレ巡回に当たってくれた。

保健委員を”ハズレ”と言っていた彼だが、やるべきことはきっちりとやろうとするところは素直にいいなと思った。


準備がしっかりと整った頃、花火の音と共に、まなの高校初めての体育祭が始まった。


最初は一年生の徒競走から。

一年は陸上部らしいA組の男子が、クラスを盛り上げながらぶっちぎりで速かったのが印象的だ。

女子に替わってもその流れは変わらなかった。

A組にはまなの姉であるなおがいる。

他のクラスは思いっきり気圧されていた。


「海くんだっけ、あの子。やばすぎ」

「……来年は、きっとあの男子となおちゃんはクラス離れるね」

たかちゃんがおっとりとその呟きを拾う。


結局、まなの列でもA組が一番だった。

まなは六人中三位。

速くも遅くもない、そんな目立たないポジションだった。


走り終えると救護席へ向かった。

隣には吉田が座る。

三年の、陸と同じクラスの女子保健委員が、やさしく転んだ子どもの膝に絆創膏を貼る。

誰かの妹なのだろうその子は、涙目でにこりと笑う。


(やっぱり、この仕事は温かい)


吉田はその様子を眺めながら、ぽつりと一言「ごめん」とだけ言った。

驚いて吉田を見ると、彼は前を向いたまま言葉を紡ぐ。

「前に、委員長とのこと、嫌な風に言った。

 委員長、クソが付くほど真面目な人ってわかってる」


まなは、静かに目を伏せた。

「陸くんは、いい加減な仕事はしないから、そこは伝わってくれて嬉しい。

 ……職権乱用は、否定できないけど」


その様子に、吉田が吹き出す。

「職権乱用って……自分で言っておいてなんだけど、トイレ係のどこにロマンスが生まれるんだよ。

 まなちゃんも委員長に負けず真面目だから……オレの言葉あんまり本気にしなくていいからね?」

そのトイレで告白されました、とはさすがに言えないので、曖昧に笑ってごまかした。



陸は速くも遅くもなく、まなと同じ三位。

二人ともお揃いの順位じゃん、と吉田が茶化した。

ちなみに吉田はちゃっかりA組男子を抜いて、一位でゴールしていたりする。

「吉田くん、足速かったもんね」

「おー、オレ、中学時代陸上部。

 だから、さっきのA組のやつも、競技で何度か走ったことあるから知ってたりする」

「なるほど、納得の速さだよ」

まなは視線を陸に戻した。


トイレ係……ではなく、保健委員の面々は言葉通り自分の担当時間だけ救護席に座ると、後はニコニコ笑顔で戻っていった。


――吉田以外は。


彼は意外と救護席に残ってくれていた。


「吉田くんありがとう。

 でも、良かったの? ずっとここにいるよね?」

吉田が体育祭まで縛られることに難色を示していたことを思い出し、まなが心配そうに声を掛ける。


「まなちゃんと一緒に居たかったから……って言ったら困る?」

しれっと言われた言葉に、まなは本気で困ってしまった。

後ろで水分補給をしていた陸のむせる声も聞こえる。


「委員長慌てすぎでしょ。

 まなちゃんとクラスメイトとして仲良くするのもダメとか言います?」

「……同じ委員として、仲がいいのは……悪いことではないと思う……」

煮え切らない陸の言葉に、もやもやを感じたのはまなだけではなかったようで、吉田もつまらなそうな表情をする。


こういうときにはっきり言ってもらえないのは、やっぱり寂しい。

大勢の前で堂々と宣言するのは違うと思うけれど、ライバル相手には線引きをしてもらえたら嬉しいなとは思う。


だけど、自分に置き換えてみたら。

もし、陸のことが好きだという女子が今ここにいたら、自分ははっきりと「陸くんは私の彼氏です」と言えただろうか。


三年生の借り物競争が始まる。

陸の番が近づいたときに、吉田がにやりと笑いながら言う。

「ねぇ、まなちゃん。

 委員長のお題が、好きな人とか気になる相手とかだったら、どうする?」

「ま、まさか……そんな意地悪なお題……」

ないと思いたい。

「わかんないよー?」

吉田の言葉で変に意識してしまった。

お題がなんであるかは、ゴール手前の審判がお題を読み上げて合格かどうか宣言する。

不適合とされたらもう一度引き直しだ。

嫌なお題が出たとしても、一度は何かを持って来ないといけないのがルールである。


陸の番になり、手をぎゅっと握りながら応援する。

吉田のせいで、へんな手汗をかいてしまった。


お題を引いてめくった陸の動きが、一瞬止まったように見えた。


(まさか、本当に……?)


陸の視線がこちらを向く。

まっすぐにまなの方を見たような気がした。

陸が声をかけてくれたら、立ち上がって、手を繋いで……一緒に走って……そこまで勝手にシミュレーションをしたときに、陸の声が響いた。


「吉田くんっ!」

「え、オレ!?」

吉田の戸惑う声が響く中、陸が彼の手を握ってお願いする。

「ごめん、手伝ってもらえるかな」

一瞬だけまなの方を見たあと、軽やかに二人は走り抜けていく。

そんな二人を、まなは呆然として見送った。


(男子とか、そういうお題だったのかな?)


ゴール前で、お題が読み上げられる。


「お題は”後輩”でしたー!」

拍手と共に、陸が吉田とゴールする。


(後輩……?)


私でも当てはまるお題だったのに、と一瞬だけ思ってしまって、それを首を振ることで打ち消した。

彼のことを考えたら、当然ながら吉田を選ぶのが正解だ。


でも、ほんの少し。

選んでくれるんじゃないかって、期待した。


青空があまりにもまぶしくて、目に痛かった。



「委員長、チキンっすね」

ぽそりと落とされた言葉に、陸が下を向く。

「……うん、自分でも、そう思う」

陸の目が地面を見つめる。

「女の子は、そういうの不安になるし、嫌だと思いますよ。

 まなちゃんみたいな主張しない子は、特に」


陸の表情が固まる。


「……そう、だよね」


吉田は、大きなため息をつく。


「そうやって、まなちゃんに甘え続けていると――いつか、後悔しますよ」

吉田のため息交じりの呟きが、陸の胸にじんわりと染みのように溶けていった。


一年男子の競技が始まる。

救護席は、まなと陸の二人だけ。

後ろの方で、養護教諭は校長先生と雑談をしている。

まなは鉢巻を結び直す。

彼との繋がりを少しでも感じたくて、でも、本人には言えなくて。

一生懸命普通を装おうとするけれど、先ほどの期待からの落胆が、どこかまだ尾を引いている。

そんな風には思いたくないのに、やっぱり寂しくて。


「まな」


陸が、そっと左手を伸ばしてきて、まなの手に触れた。

まなの肩が驚きで揺れる。


「手、繋いでもいい……?」

控えめなお願いに、こくりと首を縦に振る。

陸は右手でリストをめくりながら、机にかけられた白布の下でまなの手を握る。

手の温もりが、冷たくなった心まで温める。


「塩タブレットくださーい」

「あ、はいっ」

まなが左手で手渡す。

右手は繋がれたまま。


後ろから養護教諭が戻ってくる気配を察したとき、二人ともが手を離す。

「あら……。

 いいのよ、二人とも。

 普段から真面目過ぎるくらい真面目だから、少しくらい青春したって罰当たらないわよ」

養護教諭の言葉に、二人ともが大げさなくらい狼狽えた。

敢えてなのか、もう一度養護教諭は後ろへ移動する。


二人とも、真っ赤になりそうな頬を必死でごまかしながら。

それでももう一度、手をつなぎ直した。


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