64. 水剣の守護者エミリー
エミリーの過去編、後編です。
水剣の試練。
それは、
アクアリスを作り上げた初代以外、
誰一人として成功していない試練だった。
水都アクアリスを守護する神剣ミスティルテイン。
ただの伝説ではない。
この街の誰もが知っていて、
けれど誰も手にできなかった力。
「本当に挑むのか?」
アルフレッドが真剣な顔で聞いてくる。
「うん」
私は頷いた。
「怖くないと言えば嘘になるけど、
でも、やっぱり挑みたい」
「エミリー」
「私、守られるだけは嫌なの」
この街が好きだった。
この街の人たちが好きだった。
そして、
アルフレッドのことも。
だからこそ。
「あなたの隣に立ちたい」
そう言うと、
アルフレッドは少し困ったように笑った。
「……本当に、
敵わないな」
その言葉が、
少しだけ嬉しかった。
――――――
試練の場は、
水剣の神殿の最奥にあった。
白石で造られた円形の空間。
中央には、
静かな水面が広がっている。
湖の底を覗き込んでいるようで、
けれど、
底は見えない。
神殿の管理者に促され、
私はその水面の前へ立った。
「水へ手を」
言われるまま、
私は水面へ手を伸ばす。
指先が水に触れた瞬間。
世界が反転した。
――――――
次に目を開けた時、
私は水の中にいた。
いや。
水の中なのに、
息ができる。
苦しくない。
足元には何もない。
上下も分からない。
ただ、
青く澄んだ空間だけが広がっていた。
「こんにちは」
声がした。
振り返ると、
そこに一人の女性が立っていた。
蒼い髪。
柔らかな微笑み。
水そのものが形を取ったような、
不思議な存在。
「あなたが……水剣?」
「ええ」
女性は穏やかに頷く。
「蒼海を統べる神剣ミスティルテイン」
その女性は、
優雅に一礼した。
「ミスティと呼んでくれていいわ」
怖いとは思わなかった。
むしろ、
懐かしいような、
包み込まれるような感覚があった。
「さて、エミリー。
ここまで来てくれてありがとう」
「はい」
「あなたには、
私の力を扱うだけの才があります」
心臓が跳ねた。
「本当に……?」
「ええ。
確かに、あなたなら私の力を使えるでしょう」
嬉しかった。
これで、
私も守れる。
そう思った。
だけど。
「ただし、
条件が一つあります」
ミスティの声が少しだけ低くなる。
「条件?」
「剣としての私を使わないこと」
私は意味が分からず、
首を傾げた。
「どういうこと?」
「私の力は強すぎます。
あなたの身体では耐えられない」
ミスティは、
私を真っ直ぐに見つめた。
「水魔法の補助。
結界。
都市防衛。
それらなら問題ありません」
けれど。
「私を剣としての力を振るえば、
あなた自身が壊れてしまう」
その言葉は、
静かなのに重かった。
「約束してくれる?」
ミスティは微笑んでいた。
でも、
その瞳だけは真剣だった。
「剣としての私は、
決して使わないと」
私は少しだけ黙った。
でも、
すぐに頷いた。
「分かった。
約束する」
だって。
私は死ぬために力が欲しいわけじゃない。
守るために欲しいのだから。
「よろしい」
ミスティが優しく笑う。
「では、契約しましょう」
次の瞬間。
青い光が、
私の胸へ流れ込んだ。
温かい。
水なのに、
温かい。
不思議な感覚だった。
「これからよろしくね、エミリー」
「うん。
よろしく、ミスティ」
こうして私は、
水剣の守護者になった。
――――――
神殿へ戻った瞬間、
周囲がどよめいた。
右手には、
一振りの剣が握られていた。
透き通るような蒼。
刀身の内部を、
水の光がゆっくりと流れている。
銀細工のように美しく編み込まれた柄。
ただそこに存在するだけで、
神聖さすら感じさせる幻想的な剣だった。
「成功……したのか?」
「水剣が……!」
「初代様以来だぞ……!」
ざわめきの中、
真っ先に駆け寄ってきたのはアルフレッドだった。
「エミリー!」
「アルフレッド」
次の瞬間、
強く抱き締められる。
「大丈夫か!?
どこか痛むところは――」
「もう、
心配性なんだから」
私は笑った。
「成功したよ」
アルフレッドの表情が、
驚きから安堵へ変わる。
そして。
心の底から嬉しそうに笑った。
「……すごいな」
「でしょ?」
「ああ。
本当にすごい」
しばらくの間、
アルフレッドは私を抱き締めたままだった。
周囲の歓声も、
ざわめきも。
その時だけは、
まるで遠く感じた。
そんな空気を破るように。
「それでエミリー、
こちらの女性は?」
アルフレッドが、
私の隣へ視線を向ける。
そこには。
先ほどと変わらぬ姿のミスティが、
穏やかに微笑んでいた。
「あらあら、
お熱いわね」
その言葉に、
私は一気に顔が熱くなった。
――――――
それからの日々は、
夢みたいだった。
私は正式に、
アクアリスの守護者として認められた。
まだ未熟だったけれど、
ミスティが力を貸してくれた。
街の水路を制御する。
結界を張る。
魔物の侵入を防ぐ。
今まで守られるだけだった私が、
この街を守る側になっていた。
「やるじゃねぇか、嬢ちゃん」
ハルヴァードが笑う。
「もう嬢ちゃんじゃないです」
「おっと、
水剣の守護者様だったな」
「もう!」
そんなやり取りに、
周囲の騎士たちが笑う。
この場所が好きだった。
この人たちが好きだった。
そして。
その中心にいるアルフレッドの隣に、
少しだけ近づけた気がした。
――――――
約束の日。
私は以前もらった首飾りを着けて、
アルフレッドの前に立った。
「……似合ってる」
彼は少し照れたように言った。
「本当?」
「ああ」
「じゃあ、
もう一回言って」
アルフレッドは一瞬だけ目を丸くする。
そして、
真面目な顔になった。
「エミリー」
「うん」
アルフレッドは真っ直ぐに私を見る。
「俺は、
この街を愛している」
前と同じ言葉。
でも今度は、
続きが違った。
「そして、
お前を愛している」
涙が出そうになった。
「俺の隣で、
一緒にこの街を守ってくれ」
私は頷いた。
「うん」
守られるだけじゃない。
隣に立つ。
そう思えたから。
「私も、
あなたと一緒にこの街を守りたい」
アルフレッドが笑う。
私も笑った。
その日から。
私は、
アルフレッドの妻になった。
――――――
短いけれど、
本当に幸せな日々だった。
朝起きると、
水路に光が反射していた。
市場では、
いつもの人たちが声をかけてくれた。
騎士団の詰所へ行けば、
ハルヴァードが茶化してくる。
アルフレッドは、
相変わらず真面目で、
少し不器用で。
それでも、
いつも私を見てくれていた。
私はこの街が好きだった。
この街で生きていくのだと思っていた。
この幸せが、
ずっと続くのだと思っていた。
けれど。
ある日、
不吉な知らせが届いた。
迷宮都市近郊で、
迷宮崩壊が起こったという。
そして。
その崩壊に関わったのは、
風剣の勇者ではないかと噂されていた。
渡り人。
異世界から来た存在。
残忍で。
暴虐で。
力に溺れ、
多くの命を奪っていると。
「……渡り人」
私と同じ。
そう思った瞬間、
胸の奥がざわついた。
でも。
私は違う。
私はこの街を守る。
ミスティもいる。
アルフレッドもいる。
だから大丈夫。
そう信じていた。
――――――
だが、
不穏な知らせはそれだけでは終わらなかった。
各地でスタンピードが頻発している。
魔物の動きが明らかにおかしい。
そして、
その波はアクアリスにも迫っていた。
「エミリー」
アルフレッドは、
いつになく厳しい顔をしていた。
「俺は元凶を探る」
「私も行く」
「駄目だ」
即答だった。
「また?」
「今度は違う」
アルフレッドは私の肩に手を置く。
「街を頼みたい」
「街を……?」
「ああ」
真剣な声。
「この街を守れるのは、
お前だ」
胸が熱くなった。
ようやく。
守られるだけじゃなくなった。
「分かった」
私は頷く。
「あなたの愛するアクアリスは私が守るよ」
アルフレッドは微笑んだ。
そして、
ハルヴァードへ視線を向ける。
「ハルヴァード。
エミリーを頼む」
「任せろ。
命に代えても守るさ」
「やめてよ、
縁起でもない」
私がそう言うと、
二人は少しだけ笑った。
その時の私は。
この幸せが、
ずっと続くのだと信じていた。
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ここまで来たら多くは語りません。
物語は、
第一部の最終局面へと進んで行きます。
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