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48. アクアリスの記憶

アクアリス崩壊の理由が語られます。

 再び通された応接室の空気は、

 先ほどまでとは違っていた。


 怒りでもない。


 敵意でもない。


 もっと重く、

 沈んだものが部屋の中に満ちている。


 ハルヴァードさんは席に着くと、

 しばらく黙っていた。


 そして、

 ゆっくりと口を開く。


「アクアリスは、俺たちの故郷だ」


 低い声だった。


「今でこそ外の連中は好き勝手な名で呼ぶが、

 少なくとも俺たちにとっては、

 今でも水の都アクアリスだ」


 誰も口を挟まなかった。


 レーヴァでさえ、

 今回は黙って聞いている。


「俺はかつて、

 アクアリス騎士団の副団長だった」


「副団長……」


「団長は強い男だった。 誰よりも街を愛し、

 誰よりも前に立つ男だった」


 ハルヴァードさんの声に、

 わずかな懐かしさが混じる。


「そして、

 その団長の隣には一人の女がいた」


 そこで一度、

 言葉が止まった。


「異なる世界から来た女だった」


 転生者。


 その言葉が、

 頭の中に浮かぶ。


「名は、エミリー」


 ハルヴァードさんは静かに続ける。


「水の神剣ミスティルテインの使い手だった」


 レーヴァの赤い瞳が、

 わずかに細まった。


「神剣を持っていたのか」


「そうだ。 彼女はその力で何度も街を救った」


 ハルヴァードさんは頷く。


「水を操り、傷を癒やし、瘴気を祓う。 彼女はアクアリスの守護者だった」


 守護者。


 その言葉は、

 今の話とどうにも結びつかない。


「団長とエミリーは恋仲だった」


 静かに告げられた言葉に、

 リンが小さく息を呑む。


「二人は本当に、

 街の未来を信じていた」


 けれど。


 その言葉の先に、

 明るい未来がないことは分かった。


「ある日、

 大規模なスタンピードが起きた」


 部屋の空気がさらに重くなる。


「規模は想定をはるかに超えていた。 騎士団も冒険者も総出で防衛に当たったが、

 被害は大きかった」


 ハルヴァードさんの拳が、

 静かに握られる。


「団長はいつもどおりに最前線に出た」


 声が低くなる。


「そして、

 戻らなかった」


 沈黙。


 短い言葉だった。


 けれど、

 その重さは十分だった。


「団長を失った現実を、

 エリスは受け入れられなかった」


 ハルヴァードさんの声は低い。


「愛した者を守れなかったことに、

 耐えられなかったのだろう」


 短い沈黙。


「そして――

 少しずつ壊れていった」


 ハルヴァードさんは続けた。


「……いや、

 あの時ならまだ引き返せたのかもしれん」


 彼は目を伏せる。


「ただ、

 強く願ったのだろう」


 誰にも止められなかった後悔。


 愛する者を守れなかった絶望。


 そして。


「もっと力があれば、と」


 その言葉が、

 静かに部屋へ落ちた。


「神剣は強大な力だ。 だが扱う者の心が壊れれば、

 その力もまた歪む」


 レーヴァは何も言わなかった。


 ただ、

 静かに聞いている。


「エミリーは力を求めすぎた。 街を守るため、

 団長の愛したアクアリスを守るため、

 さらに深く神剣の力へ踏み込んだ」


「それで……制御できなくなった?」


 僕の言葉に、

 ハルヴァードさんは頷いた。


「そうだ」


 その一言は重かった。


「彼女は敵を拒んだ。 魔物を拒み、

 瘴気を拒み、

 街へ近づくすべてを拒んだ」


 そして。


「やがて、

 人も拒むようになった」


 ぞくりとした。


「スタンピードを防ぐのと同じ理屈だったのだろう。 街へ入るものは敵。 街を脅かすもの。 排除すべきもの」


 ハルヴァードさんの声には、

 怒りよりも深い疲労が滲んでいた。


「だが彼女は気づいていなかった」


「何にですか」


「街を壊していたのは、

 彼女自身だったことに」


 重い沈黙。


「水が溢れた。 魔力が暴走した。 防衛のために張られた結界は、

 街を閉じ込める檻になった」


 ハルヴァードさんは、

 ゆっくりと息を吐いた。


「アクアリス崩壊の原因は迷宮崩壊であったと言われているが、

 真実は違う」


 鋭い視線が僕たちを射抜く。


「アクアリスを崩壊させたのは、

 守ろうとした者だ」


 言葉が出なかった。


 リンも黙っている。


 レーヴァだけが、

 静かに目を伏せていた。


「エミリーは今もアクアリスにいる」


「生きているんですか?」


「あれを生きていると呼ぶならな」


 ハルヴァードさんの声がさらに低くなる。


「彼女は今も街を守っているつもりだ。 団長の愛した街を、

 誰にも踏み荒らさせまいとしている」


「自分が街を壊したことには……」


「理解していない。 あるいは、

 理解することを心が拒んでいる」


 それは、

 あまりにも痛ましい話だった。


「だからアクアリスに近づく者は排除される」


 ハルヴァードさんは続ける。


「魔物であろうと、

 冒険者であろうと、

 かつての民であろうと」


 その言葉で、

 蒼鱗旅団があれほど強く拒んだ理由がようやく分かった。


 彼らにとってアクアリスは故郷だ。


 同時に、

 戻れない場所でもある。


「それでも行くのか」


 ハルヴァードさんが問う。


「そこにあるのは宝でも名誉でもない。 壊れた守護者と、

 閉ざされた故郷だけだ」


 僕はレーヴァを見る。


 レーヴァは静かに頷いた。


「水の神剣ミスティルテインは、

 そこにいるのですね」


「……おそらくな」


 ハルヴァードさんは答えた。


「エミリーが持っている。 そして、

 あれを手放すことはないだろう」


 水の神剣。


 壊れた守護者。


 そして、

 閉ざされた街。


 次に向かうべき場所が、

 はっきりと見えた気がした。


「行きます」


 僕は答えた。


「理由があるので」


 ハルヴァードさんは、

 しばらく黙ってこちらを見ていた。


 やがて、

 深く息を吐く。


「……ならば止めん」


 低い声だった。


「だが覚えておけ。 あの街で待っているのは、

 ただの敵ではない」


 その言葉は、

 警告というより祈りに近かった。


「かつて誰よりも街を愛した女だ」


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ここまでお読みいただきありがとうございます。


アクアリス崩壊の真相が、

ようやく明らかになりました。


水の都編は、

少し切ない話になりそうです。


ブックマーク・評価・感想等いただけますと励みになります。


引き続きよろしくお願いいたします。

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