33 待っていた男
北の古城を出て、丸一日が過ぎた。
馬にゆられていると、胸ポケットから、ダンさんが顔を出した。
「リク……おいら、もう限界だ……」
「大丈夫?乾燥してきた?」
「いや……おいら腹がへった……」
「……」
「卵の殻……食べたい……」
ほっと、息をはいた。
「王都に着いたら、春香さんからもらおうか」
「ほんとか!? 約束だぞ!」
小さな足が、ぱたぱた動いた。
後ろの馬から、低い笑い声がした。
「……お前ら、本当に緊張感がねぇな」
ダニエルさんだった。
顔色は悪くそれでも、目には、ちゃんと光が戻っていた。
「帰ったら、まずは飯だな」
「ダニエルさんも、腹へってるじゃないですか」
エトさんが、肩をすくめた。
その肩の上で、サスケが小さく頭を下げた。
「……私も、少々空腹です」
「サスケもかよ」
みんなで、少しだけ笑った。
あの水牢から、全員で帰ってこられた。
(ヤコブさんも、きっと待ってる)
手綱を、にぎりなおした。
───
夕暮れ。
王都の門が見えてきた。
「……おかしい」
最初に気づいたのは、エトだった。
「門番が、いない」
大きな門は、あけはなたれたままだった。
馬の足をゆるめて、そっとくぐった。
大通りには、人がいた。
店じまいをする八百屋。
洗濯物をとりこむ母親。
石だたみで遊ぶ子どもたち。
いつもの、夕方の王都だった。
「リク……」
胸ポケットの中で、ダンさんが小さくふるえた。
「なんか、変だ」
「……変?」
「みんな……目の焦点があっていない」
あらためて、通りを見た。
八百屋も。
母親も。
子どもたちも。
みんな、同じように、うっすらと笑っていた。
そして——
ぴたり。
通りにいた全員が、同時に、手を止めた。
ゆっくりと。
首だけが、こっちを向いた。
「ッ……!」
ララが低くうなって、白い毛を逆立てた。
「ララ、待て」
ダニエルの手がララを落ち着かせる。
「……エト。何が起きてる」
「わかりません……でも……」
人々は、何も言わなかった。
口元だけ笑ったまま、リク達を見ていた。
しばらくして。
何ごともなかったように、また動きだした。
洗濯物をたたんで、店の戸を閉めて、子どもたちは石をけった。
背中を、冷たい汗が流れていった。
───
「ヤコブさんの屋敷へ」
エトさんの声に、みんながうなずいた。
屋敷の門をくぐると、中庭の噴水が見えた。
ダンさんが、胸ポケットの中で、急にかたまった。
「……リク。この噴水……」
「え?」
「前に本部の噴水で飲んだとき、味が変だったんだ。……ここのも、同じ匂いがする」
背中が、ぞくりとした。
噴水のふちに、ひとりの男が腰かけていた。
色あせた、旅人の外套。
整えられた、あごひげ。
足もとに集まった鳩たちに、パンくずをまいていた。
そのすぐ後ろに——
「ヤコブさん!」
ヤコブが、立っていた。
わき腹に、包帯。
背筋はいつものようにまっすぐなのに、その目は、どこも見ていなかった。
「……ヤコブ、さん?」
返事は、なかった。
噴水の男が、最後のパンくずをまいた。
ゆっくり、顔を上げた。
澄んだ、青い瞳。
男は、俺を見て——
ニヤッと、笑った。
「やあ。待ってたよ」
パン。
男が、軽く手をたたいた。
その瞬間。
となりで、ダニエルさんの体が、ぴたりと止まった。
エトさんも。
ララも。
サスケも。
剣にのばした手のまま、動かない。
「え……?」
動けるのは——
俺と、ダンさんだけだった。
「……やっぱりね」
男は、うれしそうに目を細めた。
「君たちだけは、効かないんだね」
続く




