最終話 伊達に歳は食っていない
夕方の高速道路。
トラックは一定の速度で流れに乗っていた。
今日の現場は、特に問題もなく終わった。
説明すれば理解され、契約外の要求も出なかった。
当たり前の仕事。それが、少し前まではこんなにも遠く感じていたことを、俺は思い出していた。
「佐伯さん」
助手席で窓の外を眺めていた佐伯さんが、ゆっくりと顔を向ける。
「はい」
「……あの時、止めてくれて、ありがとうございました」
「何をです?」
「上に、すぐ電話しようとしたのをです」
佐伯さんは少し考えてから、笑った。
「止めたというより、別の道があるって言っただけですよ」
「正直、我慢するか、揉めるか、その二択しかないと思ってました」
「多いですね、そういう考え方」
佐伯さんは穏やかに言う。
「でも、世の中は案外、三択目、四択目が用意されてるものです」
しばらく、沈黙。トラックのエンジン音だけが続く。
「佐伯さんみたいな年の取り方を、したいです」
俺の言葉は、飾り気がなかった。自然と、そんな言葉が出ていた。
「権力とか声の大きさじゃなくて、経験と知恵で戦えるような。そんな大人になりたいです」
佐伯さんは少し照れくさそうに鼻をさすった。
「買いかぶりすぎですよ、三上さん。私はただの、おしゃべり好きな爺さんです」
「いいえ、本気です」
俺はハンドルを握り直す。
「今回のことで分かりました。歳を取るって、悪いことばかりじゃないんですね。『老害』なんて言葉もありますけど、佐伯さんや黒川さんを見てると、経験っていうのは最強の武器なんだなって」
そう。彼らは経験を「若者を潰すため」には使わなかった。「若者を守るため」に使ってくれた。
それが何より格好よかった。
佐伯さんは、ゆっくりと俺の方を向いた。
その瞳は、西日を受けて優しく輝いていた。
「三上さん。一つだけ、ジジイの戯言を聞いてくれますか」
「はい、何でしょう」
「失敗を人のせいにしなければ、ちゃんと歳は味方してくれますよ」
俺はハッとした。
「何かあっても、誰かのせいにしない。環境のせいにしない。自分の足で立って、自分の頭で考える。……それを続けていれば、経験は澱にならず、知恵として積み重なっていきます。そうすれば、歳を取るのも悪くないもんです」
失敗を人のせいにしない。
あの時、大野課長たちはそれをしなかった。だから、いざという時に脆かった。
黒川室長は、自分の仕事に責任を持っていた。だから強かった。
そして佐伯さんも。
「……肝に銘じます」
「ははは、まあ、気楽にいきましょう。三上さんはまだ若い。これからどんな大人にだってなれます」
佐伯さんは大きく伸びをした。
「さて、次の現場まであと少し。もうひと仕事しますか」
「はい! お願いします、パートナー」
俺の言葉に、佐伯さんは嬉しそうに頷いた。
トラックは夕焼けの中、次の目的地へと進んでいく。
俺の隣には頼れるベテランがいる。
そして、背中には目には見えないけれど「コンプライアンス」という名の強力な盾もある。
理不尽なことは、これからも起きるだろう。でも、もう怖くはない。
正しく働き、正しく歳を重ねていく。
その先に、佐伯さんのような笑顔が待っているなら、この道も悪くないと思えた。
「――左オーライ。行けますよ」
「はい、行きます!」
俺はアクセルを踏み込んだ。
隣には頼れる相棒が、前方には俺たちの道が続いている。
明日もまた、現場が俺たちを待っている。
(完)




