94話 砂漠の迷宮②
宿へ引き返すと、すでにサフィナとオズは目を覚ましていた。
部屋へ戻ったリヒトの姿を見つけるや、サフィナは縋るような目を向けてくる。
事情は、残ったベルたちが伝えてくれたのだろう。冒険者たちはただならぬ気配を感じ取り、静まり返っていた。
ルナリスの姿が、ない。
それを認めた瞬間、皆の顔に痛ましげな色が走る。
「殿下、ルナリス様は……?」
サフィナが、きょろきょろと辺りを見回す。主を探すその仕草に、リヒトも護衛たちも言葉を失った。
悔しさが、喉の奥を締めつける。
「……助けられなかった」
静かな一言が、部屋の空気を凍らせた。
「や……いやですよ、殿下。こんな時に、冗談なんて」
おどけたように笑おうとするサフィナの声は、震えていた。
彼女も本心では分かっているのだ。これは冗談などではないと。
それを察せてしまうほどに、リヒトの顔は絶望に沈んでいた。
「サフィナ、落ち着いて聞くんだ」ラセルが静かに口を開く。
「ルナリス様は……遺跡の崩落に巻き込まれた」
「……うそ」
小さな声が震える。
はっと顔を上げたサフィナの瞳が、涙で滲んでいた。
「嘘ですよね、殿下……? だって、ルナリス様が、そんな――」
悲鳴のような叫びが、狭い部屋に響く。
オズが駆け寄り、半狂乱の彼女を抱きとめた。
「いや……いやぁ! ルナリス様ぁ!」
オズの胸に顔を埋め、サフィナは泣きじゃくる。
リヒトは唇を噛み締め、ぎゅっと目をつぶった。
「すまない、サフィナ……」
声がかすれる。だが、決して諦めたわけではない。
ルナリスを追って、ゼファーも飛び込んだ。あの相棒が一緒ならば、きっと道を見つけてくれる。
その思いが、リヒトの心を支えていた。
「……俺はこれから、ルナリスとゼファーを助けに行く」
それは、夜の砂漠を再び踏みしめるということだ。
危険極まりない決断。だが、誰ひとり異を唱える者はいなかった。
「殿下。どうか我らにお命じください――“ついてこい”と」
ラセルが騎士の礼を取る。
続けて、アイゼンとマシューも片膝をつき、敬礼を交わした。
「ぼ、ぼくも、連れて行ってください!」
勢いよく前に出たのは、それまで大人たちの背に隠れていたザヒールだ。
「ぼくは、古代遺跡の地形に詳しいです。きっと、力になれます……!」
その申し出に、リヒトは頷く。
この中で最も砂漠に精通しているのは彼だ。闇雲に探すより、彼の知識に頼る方がはるかに希望がある。
最後に名乗りを上げたのは、ベルだった。
彼女の表情はどこか思いつめている。
サフィナが彼女を睨んだことから察するに、今回の経緯はすべて話したのだろう。
だが、彼女にはなんの責任もない。
今回のことは偶然起きてしまったことだし、ましてや欠片の暴走など、誰にも予見できることではなかった。
もし責めるべきがあるとすれば――彼女を繋ぎ止められなかった自分だ。
「……大丈夫なのか?」
リヒトの問いに込められたのは、単なる体調の心配ではなかった。
迷いを抱えたままでは、冷静な判断を失う。もし心にわだかまりがあるなら、残るべきだと考えていたのだ。
「お願い。あたしも連れて行って」
力強い眼差しが、まっすぐにリヒトを射抜く。
その決意を見て、リヒトは同行を認めた。
「サフィナ」
泣き腫らした瞳を向けてくる少女に、リヒトは静かに告げる。
「必ず、ルナリスを連れて帰る」
その言葉を聞いた瞬間、サフィナの顔が再び歪む。
――“たとえ、どんな姿になっていても”。そんな含意を、彼女は無意識に感じ取ってしまったのだろう。
けれど、リヒトの顔を見た瞬間、何も言えなくなった。
痛みを抱えているのは、自分だけではない。
「オズ、彼女を頼む」
「はい……お気をつけて」
オズの顔色は優れなかった。瘴気の影響が残っているのだろう。
ティオも本調子ではない。そちらはグレイスに任せることにした。
こうして、ルナリスを救出するための小隊が編成された。一行は素早く装備を整え、再び夜の砂漠へと踏み出す。
この闇の向こうに、彼女がいる。その一縷の希望だけを頼りに。
砂を踏みしめる音が響く。
風が吹きすさぶたび、砂の丘は形を変えてしまう。
刻一刻と変化する砂漠の中で、リヒトたちが崩落現場へと辿り着けているのは、アイゼンが残した目印のおかげだった。
崩れ落ち、砂に埋もれる石柱や岩に括りつけられた布の切れ端が、わずかな灯のように進むべき方角を示している。
風に煽られて翻るそれを見つけるたび、リヒトは心の底から感謝を覚えた。同時に、己がどれほど冷静さを欠いていたかを痛感する。
もし、アイゼンの機転がなければ、今も闇雲に砂の海を彷徨っていたことだろう。
一行はやがて、窪地に行き着いた。
大規模な崩落穴は、すでに塞がれている。だが、耳を澄ませば、かすかに砂が落ち続ける音がする。
リヒトたちは、窪地の縁から少し離れた場所に立った。
列の中央にいたザヒールが、夜空を仰ぐ。星の位置を読み取るように静かに目を細め、方角を確かめると小さく頷いた。
「……この遺跡なら、きっと……」
呟いた後、少年はぱっと顔を上げ、周囲の大人たちへ向き直った。
「おそらく、ここは地下迷宮の遺跡です」
「地下迷宮……」
リヒトは砂の窪地をじっと見つめた。
初めて砂漠を訪れた際、ザヒールから聞いた話が脳裏に蘇る。
ザルカード王国ができるよりも遥か昔、この地には、今とは異なる文明が栄えていた。
人々は灼熱の地表を避け、地下に都を築き、建物のすべてを通路で繋いで暮らしていたという。それはやがて幾重にも枝分かれし、迷宮と呼ぶにふさわしい姿へと変貌した。
滅びた後も、それは砂の下に埋もれたまま、いまだ息を潜めている。
ザヒールが住んでいた隠れ家も、もとはその名残の一部だった。
彼の話によれば、縦横に伸びる迷宮は、場所によって深さが異なっているという。そしてルナリスたちが呑み込まれた崩落穴は、隠れ家よりもずっと深い層に通じているとのことだった。
「地下迷宮は、かつて主要な建物を繋いでいたんです。……以前、お話ししましたよね?」
「ああ。たしかに、そう言っていたな」
「つまり……赤の部族の神殿にも、通じているはずです。あそこは、もともとあった遺跡をもとに建てられた場所ですから」
その言葉に、一行は顔を見合わせた。
それが本当なら、神殿の内部から迷宮へと入れる可能性がある。
そして、彼女たちがまだ動ける状態であるなら、その地下通路を通って脱出を試みているかもしれない。
もちろん、それは希望的観測に過ぎない。
崩落時の衝撃と大量の砂の重みを考えれば、生存は奇跡に等しいとさえ言える。
それでも、何もせずに待つよりはずっといい。僅かでも可能性があるのなら、そこに賭けたい。
「ありがとう、ザヒール」
リヒトは顔を上げた。
その瞳に宿る光は、迷いのない決意の色をしていた。
「俺はなんとしてでもルナリスを助けたい。その神殿まで、案内してくれるか?」
問われたザヒールは、真っ直ぐに頷いた。
「はい!」
少年の声は力強かった。
夜風が吹き抜ける中、その響きが確かに皆の胸へと届いた。




