93話 砂漠の迷宮①
砂に足を取られながらも、リヒトたちは止まることなくルナリスの後を追った。
風に攫われた砂が、残された足跡をすぐにかき消していく。頼れるのは、ゼファーの嗅覚だけだった。
埋もれかけた遺跡の残骸を抜け、低い砂丘を越えたその先。
ようやく、彼らの視線がひとつの影を捉えた。
細い身体を揺らしながら、覚束ない足取りで歩く姿。ルナリスだ。
先導するゼファーに合わせて、リヒトの足も自然と速くなる。
声の限りに彼女の名を叫ぶ。
表情はまだ見えない。だが、振り返ってくれた。そのことに、少しだけ安堵する。
心が急く。
今すぐ彼女を抱きしめ、腕の中に閉じ込めてしまいたい。
もうどこにも、行かせたくなかった。
だが、夜の静寂を破って、突如轟音が響く。
地の底から伝わる震動に、リヒトは息を呑んだ。
(まさか、遺跡の崩落か!?)
舌打ちする間もなく、彼の視界の中で砂が大きく裂ける。
そして、あろうことかその中心にいたルナリスの身体を、容赦なく呑み込んでいった。
衝撃で砂塵が舞い上がる。
視界は奪われ、息もできないほどの混乱の中、リヒトはただ手を伸ばした。
「ルナリス!!」
しかし、その手は届かない。
落ちていく彼女の影を、砂嵐が容赦なく遮っていく。
ふと、視界の端を黒い閃光が横切った。
砂の渦の中へ飛び込んでいく影――ゼファーだった。
「ルナリス! ゼファー!!」
叫びながら、リヒトも駆け出す。
今ならまだ、届くかもしれない。
そんな希望だけを頼りに、崩れ落ちる穴へと走り寄ろうとした、その瞬間。
「おやめください、殿下!」
ラセルの叫びとともに、力強い腕がリヒトの身体を掴む。
大きなアリジゴクは渦を巻くように広がり、足元の砂さえ攫って行く。今行かなければ、穴が塞がってしまう。
あの砂の下には、ルナリスとゼファーがいるのに。
「放せ、ラセル! 俺も――!」
「なりません、殿下!!」
必死に振りほどこうともがくリヒトだが、騎士として鍛えられたラセルの力は強かった。
その間にも、崩落の穴は無慈悲に砂を飲み込み、やがて跡形もなく埋まっていった。
「あ……あぁ!」
喉の奥から漏れたのは、悲鳴のような声だった。
届かなかった。助けられなかった。
絶望は怒りへと変わり、胸の奥を灼くような激情がラセルへと向かう。
「どうして――なぜ止めた、ラセル!!」
怒号とともに、彼女の胸倉を掴んだ。
アイゼンとマシューが慌てて声を上げるが、リヒトの耳には届かない。
彼らは息を呑んでいた。
いつも穏やかで優しい王子が、これほどまでに感情を露わにする姿を、誰も見たことがなかったからだ。
「……私を詰って気が済むのなら、どうぞそうしてください」
ラセルは静かに言った。
凛とした瞳を揺らしながら、それでも真っ直ぐリヒトを見据える。
「しかし、我らはウォルフワーズの騎士。殿下をお守りすることが、私たちの第一の使命なのです」
その言葉に、リヒトははっとした。
今まで、無茶を許してもらえていたことに甘えていた。
だが、彼女たちは常に「王子を守る」覚悟で共にいたのだ。
自分の命よりも、主君の命を優先する。それが、ウォルフワーズ国騎士の誇り。
自分はそれを知りながらも、彼らの信念を踏みにじろうとしたのだ。
リヒトは胸倉を掴む手を離し、項垂れた。
「殿下……」
アイゼンが静かに声をかける。
「俺たちだって、ルナリス様を心配してないわけじゃありません」
「そうですとも。あの方はもう、俺たちにとっても大切な存在です」
マシューの言葉に、リヒトは顔を上げた。
そして、静かに頭を下げる。
「……すまない。俺は、大切な仲間の“信”まで失うところだった」
「いいえ殿下……どうか、顔をお上げください」
ラセルは静かに首を横に振った。
どれほど激しい激情を見せようとも、彼女の中にあるリヒトへの信頼は揺らがなかった。
過ちを認め、騎士たちを臣下ではなく、仲間として見ることのできる王子。
だからこそ、彼らはここまで付いてきたのだ。
リヒトは、すでに埋まってしまった崩落部を見やる。あたりの地形が変わるほど、砂は深く沈んでいた。
掘り返すのは容易ではない。それに、別の場所が連鎖的に崩れる恐れもある。
「……一度、街へ戻ろう。そこで、救出の手立てを考える」
そう告げながらも、リヒトの声は重く沈んでいた。
彼女たちの落ちた先に、別の空間が続いていればいい。そんな僅かな希望を胸に抱きつつ、心の中では、底知れぬ恐怖がじわじわと広がっていく。
(……俺はまた、彼女を失うのか?)
砂漠の冷気が、リヒトの全身から血の気を奪っていった。




