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異世界転生したら、弟が婚約者になりました  作者: くなぎ八重
第二章 赤き竜とオアシスの街
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85話   騒動②


 太陽が沈み始め、オアシスの街は金色の輝きに包まれていった。乾いた風はいまだ砂漠の熱を運んでくるが、夜の訪れとともに次第に冷え込んでゆくだろう。

 仲間たちが戻ってきたのは、フェニアの街にあかりが灯り始めた頃だった。

 木目の節が浮き出た粗末なテーブルに、塩漬け肉や干し果実を並べながら、リヒトたちは簡素な夕食を囲む。


「街の出入り口は南北にひとつずつ。どちらも兵の見張りが厳重だったわ」


 南北の門をベルと手分けして探ってきたグレイスが報告する。街の出入口では厳しい検問が行われており、通行人が列をなしていても積荷を一つひとつ確認されていたという。中でも子供を連れた者への尋問は横暴ともいえるほどで、ベルは怒りを露わにしていた。


「オアシスを泳いで越えるって手もあるけど……」


 干し果実を齧りながら、ティオが肩をすくめる。


「向こう岸は砂虫の巣窟だ。群れで潜んでるらしい」


 お手上げだというように吐き出された言葉に、皆の顔が曇った。砂除けのために築かれた街を囲む壁は、乗り越えられる高さではない。ところどころ欠けている場所もあるが、そこには必ず兵が張りついている。

 ――ただ一か所を除いては。

 続けてティオは、妓女たちから仕入れた話を披露した。彼女らが言うには、「妓女の抜け穴」と呼ばれる場所があるらしいのだ。

 それは街はずれにある古い遺跡で、赤翼の災禍によって命を落とした赤の部族が葬られた地だった。

 とはいえ、まともに弔われたわけではない。崩落で現れた遺跡に、亡骸を放り込んだだけのものだ。遺跡の通路はかなり奥まで続いているらしく、妓女たちが足抜けする際に密かに使われたと噂されている。

 呪われた遺跡、あるいは亡霊が出るとも囁かれ、近づく者はほとんどいない。


「……そういえば」


 薄焼きパンを齧っていたザヒールが、思い出したように声を上げた。


「祖父が一度だけ、話してくれたことがあります。犠牲になった人たちを、ちゃんと弔えなかったと」


 生き残りである彼の祖父たちは、また赤竜がやって来るのではと怯えながらも、仲間の亡骸を遺跡まで運んだという。だが、全てを埋葬できたわけではない。灼熱の下で腐敗の進んだ遺体は運ぶこともできず、砂にさらわれるまま放置された。そうしているうちに土地を追われ、奪われ、やがてその地にはフェニアの街が築かれてしまった。

「酷い話だ……」リヒトは眉を顰め、他の仲間たちも痛ましげに目を伏せた。


「……その遺跡は、どこへ通じている?」


 沈黙を破ったリヒトの問いに、ティオは小さく首を振る。


「そこまでは分からなかった。足抜けした妓女は“戻らない”からね。成功しようが、失敗しようが」

「ああ、そういうことね……」


 意味深な言葉に、グレイスが低く呻いた。

 

「で、では……もうしばらくここに留まるべきですか?」


 尋ねたオズに、皆が顔を見合わせて唸る。確実な抜け道が分からぬ今、無闇に動くのは危険だった。


「そうだな――」


 リヒトが言いかけた、その時だった。

 コン、と突然扉が叩かれた。全員が息を呑み、声を潜める。次に響いたのは、宿の女将の声だった。

 警戒を緩めず扉を開けると、女将は憤ったように鼻息を荒くし、片手で一人の青年を締め上げていた。


「あんたたち、すぐに逃げなさい!」


 女将は掴んでいた青年を床へと乱暴に叩きつけ、切羽詰まった声を張り上げた。

 リヒトたちは思わず立ち上がるが、あまりに突然の事態に、状況を飲み込めずにいた。

 床に転がった青年にリヒトは見覚えがなかったが、ザヒールが「あっ」と短く声を漏らす。

 

「こ、この人、息子さんですよね? 宿の手伝いをしていた……」

 

 オズも青年を見つめ、戸惑いがちに問いかける。


「こいつが息子なもんか!」

 

 女将は怒りに頬を紅潮させたまま吐き捨てた。

 

「欲に目がくらんで人を売るなんて……あんたなんかに、うちの娘を任せたアタシが馬鹿だったよ!」

「お、俺は……ちょっと金が欲しかっただけで……」

「おだまり!」


 うわずった声で弁解を試みる青年を、女将は鋭く睨みつけた。叩きつけるような一喝ののち、逃げ出そうと這いつくばる青年の背へ、容赦なく跨りかかる。

 どすん、と床が揺れる音。青年は呻き声をあげ、力尽きたように動かなくなる。気を失ったのだろう。


「女将さん、これは――」

 

 リヒトが声をかけかけると、女将はそれを遮るように言った。


「その子、街長に追われてるんだろ? 話はさっき聞いた通りさ。このボンクラが宿にいるってことを兵に漏らしたんだ。今ごろ奴らは仲間を集めて、ウチを囲もうとしてるよ。早くしないと――」


 言葉の最中、窓の外に鏑矢の甲高い音が響いた。私設兵が集合の合図を送っている。じきに奴らが押し寄せてくるに違いない。


「でも、どうして……」

 

 ザヒールがなおも戸惑いを隠せずにいると、女将はふっと微笑んだ。


「似てるんだよ、アンタ。昔死んじまった、末の子にね。それだけさ」


 肉厚の暖かな手が、ザヒールの髪をそっと撫でる。少年の瞳が潤んだその時、背後から声が飛んだ。

「ザヒール、こっちだ!」窓に身を乗り出したティオが手招きしている。


「はいっ! あの、女将さん……ありがとう!」


 ティオはザヒールの体を抱え上げ、その軽やかな身のこなしで隣家の屋根へ飛び移った。

 続いてグレイスとベルが、そしてオズは息を切らしながらもなんとか後に続く。

 最後に残ったリヒトは、振り返って女将を見据えた。

 

「女将さんは、なにも知らなかったことにしてくれ。でないと、あなたの身も危ない」

「分かっているさ。適当に誤魔化すよ」

「……ありがとう。この恩は、必ず返す!」


 そう言い残し、リヒトも窓から飛び出した。

 残された女将は、倒れ伏す義息子を一瞥し、深く息を吐いた。




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