84話 騒動①
ティオから話を聞かされたリヒトは、思わず耳を疑った。
昼に宿を出てから、夜更けまで戻らなかったことを叱るつもりでいたはずなのに、そんなことは今や頭の中からすっかり消え去っていた。
彼女たちの到着は、窓から微かに覗ける街並みの変化や、この宿の女将から漏れ聞いた噂話で知ってはいた。どこぞの貴族令嬢が、妓女や楽団を呼び寄せ、たいそう華やかな宴を催しているという噂だ。
貴族令嬢といえばルナリス以外に考えられなかったが、なぜ彼女がそんなことをしているのか、リヒトには皆目見当がつかなかった。無事であると知れて安堵する一方、真意の分からぬ振る舞いにヤキモキさせられていたのだ。
まさか、宴を装って街長を誘い出していただなんて。
大胆な行動に肝を冷やされながらも、一方では彼女らしいと納得してしまう自分がいる。
ルナリスが直面したという出来事は、あまりに衝撃的だった。
“赤竜の核”を巡って動いているのは、ノクティリカの五大鉱脈家。そして街長は私設兵を動員し、ザヒールを探しているらしい。
(ノクティリカが、浄化された核を求めている?)
一体なぜ、あの国が。
魔物の核を所持すること自体は、法に触れるものではない。もし核に強い魔力が込められているのなら、魔力を至上とするノクティリカが欲しがるのも理解できる。
だが、リヒトには釈然としない気持ちのほうが大きかった。
彼自身、ルナリスと出会うまでノクティリカに良い印象を抱いたことはなかった。
昼よりも夜が長い国。食料や水に乏しい岩山の街。しかし、他国とは桁違いに産出される宝石。そして、魔力を重んじる人々――。
聞かされる断片的な話は、いつもどこか陰鬱さを帯びていた。緑豊かなウォルフワーズと比べると、なおさらだ。
けれども、今はすこし違う。あの国に興味を抱けるようになったのは、ルナリスがいるからだ。
彼女が愛し、故郷と呼ぶ場所ならば――自分にとっても、大切に思うべき土地なのだと。
ティオの話では、その彼女でさえ戸惑いを見せたという。
ノクティリカが核を求める理由は分からない。だが、誰よりも不安に駆られているのは、ルナリス自身に違いなかった。
それでも駆けつけることはできない。今はなによりもザヒールを守らなければならなかった。
「ティオ、ここへ来るまでに私設兵を見たか?」
「もちろん。連中、しらみつぶしに探す気らしい。ただ、砂漠のほうへ人員を割いてるようだね」
「……つまり、ザヒールがこの街にいることは、まだ知られていないということか」
「かもね」
二人の会話を耳にして、ザヒールは不安そうに身を縮めた。
別室にいた女性陣も、いつの間にか集まっている。ベルがそっと少年の肩を抱き寄せる一方で、唯一オズだけは健やかな寝息を立てていた。
「意外と図太いわねぇ」
呆れ気味のグレイスに、リヒトは苦笑する。
「そう言ってやるな。サフィナと別れて以来、ずっと一人で魔道具の監視を続けてくれたんだ。疲れもするさ」
労わるような言葉に、仲間たちの表情も少し和らぐ。
「で、どうするつもり? 今から街を抜け出す?」
ベルの問いかけに、リヒトは首を横に振った。
「いや、かえって危険だ。ザヒールの滞在がまだ知られていないのなら、しばらく様子を見よう」
とは言え、もしもの時には街を脱出する算段も必要だ。
「ま、いつまでもここに隠れているわけにもいかないしね」ティオが肩をすくめる。
「なにかいい方法がないか、明日は街を探ってみるよ」
「頼む」
リヒトは頷いた。
本当は早くルナリスたちと合流し、神殿へと向かいたい。だが今は焦るわけにはいかない。
考え込んでいた顔を上げると、窓枠に寄り掛かるエルフの姿が目に入った。
彼は自分よりも先にルナリスの姿を見ている。そのことが、少しだけ羨ましい。
「……ルナリスは、元気だった?」
静かな問いに、ティオは笑みを返す。
「元気だったとも。果実酒の瓶を三本空けても、ケロッとしていたよ」
「そうか」
リヒトはふっと目元を和らげ、愛おしげに笑った。
その横顔を見つめていたベルの表情が、ほんのり寂しげに曇ったことに、彼は気付かなかった。
翌日になると、仲間たちはそれぞれ情報を集めるために街へと繰り出した。
フェニアの街が本格的に活気づくのは、昼前とやや遅めの時間帯だ。観光客は宿や庭園で優雅に朝を過ごし、商人たちはその流れに合わせて動き始める。通りを彩る香辛料や果実の匂いも、午前の遅い時刻になってようやく漂い出すのが常だった。
だが、その穏やかな日常に似つかわしくない影もある。
通りを駆け回っているのは、街長ムザが抱える私設兵たち。武装した男たちが人目を憚らず行き交い、物見高い市民たちを不安げにさせていた。
街の隅に追いやられた庶民区の一角にも、私設兵の姿が見えた。
リヒトは窓辺に立ち、風を浴びるふりをして密かに様子をうかがう。部屋の中には、外套を目深に被って小さくなっているザヒールと、不安げにきょろきょろと視線を彷徨わせるオズの姿があった。
「しばらく窓には近づかないように」
そう念を押すと、ザヒールは無言のまま頷いた。しばらく兵の様子を観察していると、やがてその影は視界から消える。巡回をしているようなので気は抜けないが、ひとまずリヒトは胸をなで下ろした。
「……それで、オズ。さっきの話の続きだが」
簡素な椅子に腰を下ろし、テーブル越しに怯え切った青年を見やる。足音に気を取られて中断してしまったが、昨夜ティオから伝えられた出来事を話していたところだった。
「どうやら、ノクティリカが“赤竜の核”を欲しがっているらしい。……思い当たる理由、ないか?」
オズもまたノクティリカ出身の魔術師だ。核の使い道を知っていてもおかしくはないと考えたのだが、
「す、すいません……僕にも分からないです」
オズは肩を落とし、項垂れるように答えた。
「あの国には宝石や鉱石は溢れるほどありますが、魔物の核なんて見たこともありません。それに、五鉱家が直々に動くとなれば……」
「国の中枢に関わるもの、ってことか?」
リヒトの問いかけに、オズは迷いながらも頷いた。
「ですが、あんなものを……一体なにに使うのでしょう?」
「オズが分からないんじゃ、俺には想像もできないよ」
苦笑して答えると、リヒトはベッドに目をやった。ザヒールは昨夜から一睡もしていないのだろう、時折まどろんでははっと目を開け、怯えたように体を強張らせていた。
リヒトはそばへ歩み寄り、切り揃えられた黒髪にそっと手を置く。
「大丈夫だ。少し眠れ」
安心させるように微笑みかけると、ザヒールはぎこちなくも小さな笑みを返した。背を優しく叩いてやるうちに、やがて瞼は重くなり、静かな寝息が漏れ始める。リヒトはそっとベッドに寝かせ、毛布を掛けてやった。
「……子供の扱いに慣れているんですね」
感心したように呟いたのはオズだった。
「妹がいるからな。小さい頃はよく、昼寝の相手をさせられた」
リヒトには腹違いの妹姫がふたりいる。双子ではないが、同じ年頃で、どちらもよく懐いていた。お転婆とおませをそのまま歩かせたような妹たちだ。使節団の案内役として旅に出ると知れたときは、散々泣きつかれたものだった。思い出し、自然と頬が緩む。
ザヒールは妹たちより少し年上だが、それでも大人びすぎている少年だった。これまでの苦労がそうさせたのだろう。
こちらの都合に巻き込んでフェニアまで連れてきてしまったことに罪悪感はある。だが、あの寂れた隠れ家にひとり残す気にもなれなかった。
そしてそれは、浄化という使命を果たした後も、同じことだった。
せめて、人並みの生活を与えてやりたい。存在を疎まれず、狙われず、子供らしく生きていける居場所を。
それこそが、少年に対する自分の精一杯の感謝だと、リヒトは心に誓っていた。




