83話 祖国の影②
ムザの突拍子もない謝罪に、ルナリスは一瞬言葉を失った。
ラセルたちですら目を丸くし、互いに顔を合わせている。
(……私に何を謝るというの?)
ルナリスの胸に、疑念が静かに芽生える。だが、ここで戸惑いを見せてはならない。
涼やかでいて、どこか圧のある笑みを浮かべると、彼女はわざとゆったりとした声音で問いかけた。
「その謝罪は――なにに対してかしら?」
こちらはすべてを承知しているのだ、と言外に告げるような眼差し。
「そうだそうだぁ!」
酔いのせいで頬を真っ赤にしたサフィナが、果実酒の杯を掲げて囃し立てる。
「お嬢様はたいそうお怒りだぁ! 正直に言いなさぁいっ!」
場の緊張を和らげるどころか、逆に刃を突きつけられたような気分になったのだろう。ムザは脂汗を浮かべ、狼狽のあまり声を震わせた。
「せ、赤竜の核については、我々としても、一刻も早い発見をしたいところでありまして……!」
(赤竜の核……ですって?)
ルナリスは思わず眉を顰める。胸の奥に冷たい動揺が走った。
(なぜこの男が“核”を……? しかも、まるで私たちが探させているかのような口ぶり……)
混乱を押し隠すように沈黙したルナリスに代わり、ラセルが鋭い声で口を開いた。
「こちらとしても困っているのだ。おかげで、砂漠にまで足を運ぶ羽目になってしまった」
すぐさまアイゼンが追い打ちをかける。
「誰からの命か……お分かりでしょうね?」
畳み掛ける二人の言葉に、ムザは青ざめた顔をさらに歪め、床に伏した背をぶるぶると震わせる。
ルナリスは冷然とした眼差しでそれを見下ろした。その視線は、彼にとって氷に等しいものだったに違いない。
「も、勿論でございますっ……! “五大鉱脈家”の皆様には、まこと、お詫び申し上げたく……!」
つまり――赤竜の核を探させているのは、ノクティリカの五大鉱脈家。アイオライト家もそのひとつだ。
そして、核の発見が遅れていることを詰るために、自分がここに派遣されたのだと、ムザは勘違いしているらしい。
話の筋は見えてきた。だが、なぜ五鉱家が核を求めるのかは分からない。ざわつく胸の内を抑えるように溜息をつくと、ムザの肩がびくりと震えた。苛立ちと受け取ったのだ。
「も、申し訳ございません! 現在、祈祷師の末裔である子供も一緒に捜索しております! なにとぞ、なにとぞもうしばしの猶予を……!」
恐怖に駆られ、口を滑らせるように喋り続けるムザ。
やはり、探している「子供」とはザヒールのことだった。
赤竜の核とザヒール。そして彼は、瘴気を浄化する手立てを知っている。
(必要とされているのは……“浄化された核”ということ?)
ルナリスは音もなく立ち上がると、閉じた扇をムザへと突きつけた。
「……分かりました。そこまで仰るのなら、時間を差し上げましょう」
ここは話を合わせておいた方が賢明だ。
「しかし、私は手荒なことを望んでおりません。その少年を見つけたら、まずは私のもとへ連れてくるように……怪我ひとつ無く、ね」
「は、はいぃっ!」
ムザは情けない声を上げ、抜けた腰を必死に奮い立たせると、這うようにして部屋を去っていった。
扉が閉まると同時に、宴の残り香とは不釣り合いな緊張の余韻だけが、そこに残された。
ムザが去った後の部屋は、息苦しい静寂に満ちていた。
窓の外に広がるオアシスは、つい先ほどまで目を奪われるほど美しく思えたのに、今はその水底に得体の知れない闇が潜んでいるように感じられる。背筋を冷たいものが走り、ルナリスは思わず肩を震わせた。
静寂を破ったのは、ソファに寝転んだままの侍女から洩れる、安らかな寝息だった。場違いなほど穏やかな音に、張り詰めていた空気がふっと緩む。
「……なんだか、おかしなことになりましたね」
ほっと息を吐きながら、ラセルが口を開く。
「そうね……。ありがとう、話を合わせてくれて」
「いやぁ、なんとなく合わせてみただけですよ」アイゼンは苦笑する。
「しかし、ああも簡単に口を割るとは……よほど恐ろしいんでしょうね、“彼ら”が」
アイゼンがあえて名を伏せたのは、ルナリスへの配慮だろう。
「彼ら」とはもちろん、ノクティリカの五大鉱脈家に他ならない。
ルナリスはきゅっと口を結んだ。情報を得るために一芝居打ったものの、まさかその名が出るとは思わなかった。
五大鉱脈家は、ノクティリカの根幹に深く関わる存在――すなわち、国そのものが動いているも同然なのだ。
浄化された赤竜の核。もし本当に祖国がそれを探しているのだとしたら、一体何のために?
考えても、答えは見つからない。
「ルナリス様にも知らされていないとなると……相当な機密情報ですが」
ラセルの声には、王家に仕える身である自分たちが、この秘密を知ってよいのかという迷いが含まれていた。
ルナリスは静かに首を振る。
「勝手なお願いだけれど、このことは内密にしてほしい。ただし――ウォルフワーズに害を及ぼす話だったら、その時は私が直々に陛下へ伝えるわ」
それは、他国の令嬢としてではなく、いずれ王家に嫁ぐ者としての覚悟を示す言葉だった。第三王子の伴侶になるということは、そういう決意を背負わねばならない。
ラセルたちは無言で頷いた。ここまで苦難を共にしてきた彼らは、ルナリスを信じてくれている。その信頼が、異国にある彼女の胸にどれほど力を与えているか。
改めて思い知ったルナリスは、心からの感謝を伝えた。
その時だった。
風のないはずの夜に、カーテンが大きく揺れる。
バルコニーに、音もなく影が舞い降りた。
月光を受けて煌めく、長い金糸の髪。現れたのは、美しいエルフの青年だった。
「ティオ……!? どうしてここに?」
驚きに目を見張るルナリスに、青年は飄々と笑みを浮かべる。
「いやぁ、キミたちが街に入るのを見て、後をつけさせてもらったのさ。そしたら、いきなり大宴会が始まるものだから」
悪びれもせず、軽く言ってのける。そして唇に笑みを残したまま、視線を宙に泳がせる。おそらく、彼の友である風の精霊に語りかけているのだろう。
「面白い話をしていたね。聞かせてもらったよ」
「盗み聞きなんて感心しないけれど――ちょうどいいわ」
「ちょうどいい?」
ルナリスは一歩彼に近寄ると、真っ直ぐに見据えながら告げる。
「今の話を、リヒトに伝えて」
「……いいの?」
ティオは意外そうに眉を上げる。
「キミの故郷が関わっている話なんだろう? 王家に伝えれば、キミの立場が悪くなるかもしれないのに」
「構わないわ」
ルナリスの声音はきっぱりとしていた。
祖国の動きは気になる。けれど、リヒトに隠すつもりはなかった。赤竜の核を探す理由が、悪いものであると決まったわけでもはない。
そして、ザヒールに捜索の目がかかっている以上、躊躇はできない。ムザの様子を見れば、彼らが本気で動き出すのは明らかだ。危険を知らせなければ。
ルナリスの瞳を見つめ、ティオは小さく口元を緩めた。
「なるほど。そういうことなら、急いで伝えないとな」
「お願いね」
頷いた青年は、軽やかに身を翻すと屋根の上へと舞い上がる。次の瞬間には、音もなく夜の街の闇に溶けていった。




