79話 オアシスの街②
安宿の一室、窓枠に腰を下ろしたリヒトは、外の景色をぼんやりと眺めていた。
街の片隅に追いやられた宿からは、フェニアが誇るオアシスの輝きは見えない。視界に入るのは、整然と並ぶ白亜の建物の壁と屋根ばかりで、その隙間から辛うじて街の入り口が覗ける程度だった。
だが、それでよかった。
リヒトは今、この窓から見えるもの以上を望んではいなかった。
ただ待っているのだ。ルナリスたち、別動隊の到着を。
この街に入ってから三日が経つ。昨日には街へ着いてもよさそうなものだが、待ち人の姿はいまだ訪れない。
(まさか、道中で何かあったんじゃ――)
思索に沈んでいると、背後で扉の開く音がする。買い物に出かけていたオズとザヒールが戻ってきたらしい。
女性陣の二人は散策に出かけ、ティオは「オアシスを見てくる」と言い残して部屋を出て行った。森の民であるエルフは、少しでも自然を感じられる場所にいたいのだろう。
ザヒールは、この街へ入ることを最後まで恐れていた。赤の部族の末裔である彼にとって、ここは過去の影が色濃く残る場所だからだ。
だが今のところ、目立った問題は起きていない。
街に入る前、仲間たちは少年の姿を整えることに心を砕いた。砂にまみれた汚れを拭い、手持ちの服に着せ替えたのだ。少年に対してリヒトの服は大きすぎたが、グレイスが襟を詰め、裾を折り上げ、色々と工夫を凝らしてくれた。
旅の埃を帯びてはいたものの、王子が身にまとう衣である。少なくとも、砂漠でひっそりと隠れ生きてきた少年に見えぬ程度には、整った身なりとなっていた。
「戻りました。すいません、留守を任せてしまい……」
ザヒールが言いながら外套のフードを脱ぐ。切り揃えられた艶やかな黒髪が、さらりと揺れる。
「気にするな。俺も、この街じゃ大人しくするしかないしな」
顔が割れて、最も立場的に困ることになるのはリヒトだ。ウォルフワーズの王子が密入国などということになれば、国同士の問題に発展しかねない。仮面を着けているとはいえ、慎重に行動するに越したことはない。
オズは大きな包みを机の上に置き、額に滲んだ汗を拭った。包みの中には、干し肉や果実酒の瓶、日持ちのする薄焼きパンが詰まっている。量に比して金貨の減りは大きい。
「はぁ……どの店も、法外な値段をふっかけてきましたよ。殿下のお財布がなければ、パンひとつ買えそうにありません」
「こら、オズ。殿下と呼ぶんじゃない」
「そ、そうでしたね……。えぇと、リヒト様のお財布が無ければ――」
わざわざ言いなおすオズに、つい苦笑が漏れる。
リヒトは立ち上がると、買い出し品の整理をする少年を手伝いながら尋ねた。
「街の様子はどうだった? ずいぶん貴族の滞在が多いようだが……」
「エルドラの収穫祭へ向かう方たちだそうです。毎年、祭りの前は込み合うのだとか」
「なるほど。ここで優雅に時間を潰す、ってわけか」
国土の大半を砂漠が占めるザルカード王国は、食品の多くを貿易に頼っている。エルフの国と隣接する西域では、わずかな緑地を利用して農業も営まれているらしいが、近隣諸国からの輸入品のほうがはるかに多い。
その点はノクティリカと似ている。異なるのは、こちらでは地下水脈を比較的容易に掘り当てられることだろう。それでもなお、民の中には飢えに苦しむ者も少なくないと聞く。
収穫祭に向かう人々の中には、食料の買い付けを目的とする者もいるのかもしれない。もっとも、この街で贅沢を楽しんでいるような貴族たちが、そんな殊勝なことを考えているとは到底思えないが。
ザルカードの内政は、思っていた以上に腐敗しているのかもしれない。リヒトは胸の内でひそかに呟くと、窓の外に視線を走らせた。
石畳を往来する人々の中に、彼女たちの姿はまだ見えない。




